熊吾のその後の鍵を握る作品 - 天の夜曲の感想

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天の夜曲

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熊吾のその後の鍵を握る作品

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目次

ロマンティックなタイトルとは裏腹に

流転の海シリーズはタイトルが松坂熊吾一家の幸不幸を象徴していることが多い。

しかし、この四作目に限っては、天の夜曲という宮沢賢治の詩を思わせるようなロマンティックな情景を彷彿とさせるものであるにも関わらず、内容は松坂一家の不幸の引き金になる数々の事件が発生する辛い筋書きとなっている。

天の夜曲とは、房江や熊吾が移住した富山の吹雪の中で聞いた不思議な音、何かの音楽の様な、雑音の様な正体不明の音が由来しているようだが、著者はその不思議な音を作品の最初と最後に挿入することで、何を意図したかったのかは不明である。

その曲ともつかぬ不思議な音は、太平洋側の温かい地域で暮らしてきた松坂一家にとって、富山の雪深さはあまりに辛いという、深々とした寒さの象徴とも感じる。

富山で妻子を生活させるという決断だけではなく、この四作目では熊吾の人生における判断ミスと思える行動が多く、人間ツキに見放されるときもあるのだと痛感する。

読み飛ばした?と思わせるドキリとする手法

流転の海シリーズを通しで読んでいる人には、この天の夜曲の冒頭は、「あれ?三作目を読んだはずだけど、どこかページを読み飛ばしてしまったか?」と思うほど、驚いてしまうだろう。

なぜなら、三作目の終わりと、全くつながりを感じさせない、一家の富山行きのシーンからいきなり始まるからである。いつこんなことになってしまったんだ?と三作目に戻って後半を読み返したりするが、本作に戻って読み進めると、三ページ目の後半から、やっと大阪を離れざるを得なかった理由が、実は、とでも言いたげなように判明する。

続きものだからこそできる手法だが、読者をびっくりさせるという意味では非常に面白い手法だ思う。

しかし、もっと驚くのが、その大阪を離れる理由が悲惨極まりないという点だ。三作目でも台風でのせいでテントパッチ工業の原材料をすべてダメにしてしまうという大失敗をしただけでも大痛手だったのに、副業でやっていた中華料理屋に食中毒の疑いがかかり、当然並行してやっていたきんつば屋やカレーうどんの店までとばっちりを食う。松坂熊吾が人生で一番の勢いをもって多角経営していた商売が、一気に崩壊してしまったのだ。

そして人を頼って富山へ・・・と、読み飛ばした?大阪で失敗した?またよそに引っ越すの?という三度ビックリの冒頭である。宮本輝氏は比較的、作中でも漫画でいうモノローグのような手法を使って、過去の回顧シーンや説明すべき補完部分を挿入するのがうまい。物語のペースをダウンさせることなく、自然に読ませる理由として、過去を箇条書きのように端的に描き、過去のセリフなどには鍵カッコを使わず、今の時点の出来事とはっきり文体を使い分けている点にある。

大変な失意からの再出発であるが、全体を通しては忍耐という言葉がふさわしい巻である。

自分のダメさを自覚しているか

最近は、SNSの発達で、世の奥様方も旦那の態度や言動を、気軽に見知らぬ人に発信して相談が簡単にできる時代になった。DVやモラハラなど色々な理不尽がある中、世の男性は、どれだけ自分の至らなさを至らなさとして自覚しているのだろうか。そのあたりは、男性に聞いてみたいように思う。

松坂熊吾は、妻の房江を殴ったことがある。これはDVだろう。子煩悩な一方、房江に対してはモラハラと思える言動もあったし、コロコロ居を変えて落ち着きのある商いをしようとしないところもある。

そして、この四作目では浮気でなくて本気とも言える不倫をしてしまう。作中、熊吾は自分のお人よし、商売への読みの甘さ、不倫をした自分を責めてはいる。しかし、自覚はあるけどはたして自分のその悪しき性分に懲りているのだろうか?二度とこんなことは止めようと反省しているのだろうか?という点においては、いささか疑問である。

自分の欠点を自覚しないよりしていた方がいいに決まっているが、自覚しているのに直す気がないのだとしたら、無自覚とはまた違った質の悪さを感じる。

しかし、今は余り男女差はないかもしれないが、どこかいつまでも少年でいるような、松坂熊吾のような男性は、俺はこういうダメ人間だが、これが俺なのだと居直ってしまうタイプなのではないだろうか。浮気癖を何度謝っても直そうとしないとか、ギャンブルを止めないとか、口の悪さを直そうとしないなど、現代にもそういう男性は多そうである。

同時に、房江という旦那の短所も理解した上で連れ添ってくれている妻への甘えも感じる。後々、このことで熊吾は取り返しがつかない後悔をすることになるのだが、この作品ではその後悔の筋書きへ熊吾が一歩踏み込んでしまった過程が描かれている。

並行して周囲の日常も変わっていく

松坂熊吾という人物が、やたらと人の人生に深くかかわる質のせいか、この作品では熊吾一家以外の生活も、どんどん変わっていく様子が描かれている。シリーズ名の流転の海という言葉のように、この作品は本当に多くの人の人生の営み、生と死が多く描かれる。これだけの人生を俯瞰でリアルに描ける作家も非常に稀有なのではないか。

三作目までだけでも、熊吾の事業に関わった人間関係などや、実母の行方不明など様々な問題が生じたが、四作目では、伸仁が大阪でかわいがってもらっていた、観音寺のケンというやくざの子を身ごもった女性とその子供の世話まですることになる。房江や千代麿も病になるし、熊吾の人生の大失態につながる、ダンサーの博美の大火傷も、この四作目で起こる。

自分だったら、自分の運命の身ではなく、他人の身の上に起こったことまで、松坂熊吾のように背負いきれるだろうか?そう思った時に、松坂熊吾という人間は、本当に懇意にしている人間に対し、余り自己と他人という部分に境界線を引いていないことに気づく。

それがいいか悪いかは別として、魅力的に描かれていることには間違いない。

社会の移り変わりの中で

この作品は、戦後の混乱の中、移り行く社会背景も作中に盛り込まれているので、非常に当時の世相なり、政治や経済への人々の思想の一端を垣間見ることができる貴重な史料的作品とも言える。

松坂一家の主治医である、小谷医師が、健康保険制度を頑なに受け入れず、小谷医師の息子は制度に賛成していて袂を分かっているなどは、非常に興味深い。

今なら保険証を使わせない医師など、ぼったくりで患者のことなど考えないどうしようもない医師と非難をされそうであるが、小谷医師の言い分を聞くと、保険を使ったら安いのをいいことに余計な検査や余計な薬剤を処方する意思が増えるという言い分は、まさしく現在医療現場で問題になっていることなのだ。著者がある程度未来の事情を知った上で小谷医師を未来を見据える力量のある医師とした可能性もあるが、健康保険制度に賛同しない医師は淘汰されるだろうとしながらも、小谷医師の言い分が非常に納得できるのは、とても興味深い。

文庫版の児玉清氏と著者の対話

天の夜曲の文庫版には、亡き児玉清氏と、著者宮本輝氏の対談が掲載されているが、その対談では、自尊心より大事なものを持つことに触れられている。実際に著者が父に言われたことを熊吾が息子伸仁に言い聞かせているのだが、自尊心より大事な物というのは、読み手もなかなか抽象的で理解がしがたいのではないだろか。著者は自尊心と誇りとは違うし、若いうちはわからないと言う。

端的に言うと、自分より大事だと思える何かを持て、という事なのかもしれない。存在にしろ、行動に対する意思にしろ、自尊心を超えるところに大きな価値を置いている人間には、つまらない自己保身の感情など持ちえないだろう。

しかし、この作品をこよなく愛した児玉氏が、このシリーズの結末を待たずに亡くなったことは、本当に残念である。

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