長い長い人生の営みシリーズの第三弾 - 血脈の火の感想

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血脈の火

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長い長い人生の営みシリーズの第三弾

5.05.0
文章力
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ストーリー
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キャラクター
4.5
設定
5.0
演出
5.0

目次

タイトルから感じる新たな展開

血脈の火は、流転の海シリーズの3作目にあたる。このレビューを書いている時点では第8作目まで刊行されているが、主人公松坂熊吾が、シリーズの中でもおそらく人生で最も多忙な時期であったのではと感じる作品である。

タイトルや、本の表紙の挿絵の背景の赤からして激しさを連想するが、血脈という言葉は単純に血管のことを意味するのみではなく、血のつながりや血縁、仏教においては師弟関係を意味する用語である。

熊吾の故郷、南宇和での生活から、再度大阪での生活を選んだ松坂一家の当たらなスタートの巻であるが、親子、血のつながりというものが熊吾をとりまく人々の営みの中で大きくクローズアップされている。熊吾と息子伸仁のみならず、麻衣子と周栄文、丸尾千代麿の愛人の死による新たな展開、熊吾の母ヒサの行方不明など、血のつながりや縁がもたらすものの大きさを感じさせる作品である。

チャンスは自分でつかむ

地脈の火では、松坂熊吾の経営者としての手腕がいかに優れているかが存分に堪能できるが、彼の行動から教えられることがある。

それは、目の前にチャンスが転がっていたとして、それをチャンスにするか見過ごすかは本人次第だという事だ。松坂熊吾という男は、チャンスの掴み方に長けすぎている、一見他人がチャンスとも思わぬ会話から商売のヒントをつかんで生業にしてしまう。実行力と頭の回転のよさ、世のニーズをつかむうまさ、いずれその商売が廃れ、一過性の儲けで終わるであろうことまで計算して次に潰しがきく商売にも手を出す機転。舞台は昭和20年代、もうじき昭和30年代に突入しようという時期の話だが、彼のバイタリティと時代を見据える目には、どの世代の人も驚嘆し、学ぶべきところが多い。

自分の主治医の義弟が接着剤を作る仕事をしている。そんな話を聞いた後に、妻房江の姪である直子の所に、直子の恋人らしき消防局勤務の男性がホースの修繕の話を持ち込む。その場に居合わせたとしても、普通なら聞き流してしまうような雑談であるが、熊吾はここですぐに、接着剤でホースを直したら商売になるのでは?と行動に移す。そして会社まで立ち上げてしまう。この行動力と、たまたまの縁からくるチャンスをつかむ手腕は並大抵のものではない。

一見横暴で大雑把な松坂熊吾に読者が惹かれてしまう理由は、豪胆な中にも天才的ひらめきと、細やかとも言える気づきから、自分の人生を充実させていることへの羨望かもしれない。

果てしないお人よし

熊吾が他人から大将、と呼ばれる理由は何だろうと考えた時、おそらく外見的な理由だったり、やや横暴とも言える性格だったり色々な要因が考えられるが、彼はかなりの世話焼きであるというのが、シリーズを通じた印象である。彼に恩義を感じている多くの人が、実の父のように大将、と熊吾を慕っているのがよく分かる。

とにかく熊吾は義理堅い。世話になった周栄文の娘、麻衣子を実の娘のようにかわいがって、何かにつけて手を差し伸べているし、一度人生で何かしら関わった人間の恩義は忘れないタイプである。

しかし世話好きもここまでやるかと感じたのが、熊吾の長年の片腕であり親友とも言うべき丸尾千代麿のシリーズ中最大級のピンチとも言うべき、愛人の急死の際の熊吾の行動である。

自分がなまじ破天荒な印象があることを自覚してか、千代麿の妻に熊吾は俺の子供と言い張り、千代麿にも口裏合わせを命じる。いくら千代麿が大事な仲間とは言え、一歩間違えたら自分の家庭が破たんしかねないのに、ここまで千代麿をかばう熊吾のお人よしには絶句である。

千代麿も感謝はしているし、憎めないキャラクターなのだが、調子に乗って自分の子じゃない様子でしれっと妻に素知らぬ芝居をしているのを見ると、この時代の男性は、よそに子供を作ることなどこの程度の事なのか?と呆れてしまうと同時に、コントを見ているような印象も受ける。

世のニーズに応えようとする貪欲さ

最近は世の流行り廃れのスピードに、商品やサービスを提供する企業側も、また購買する顧客の側も、若干ついていけないような世相になってしまっている。つい最近、20年以上前に流行っていたゲーム機の再販版がヒットしていると言うが、一周回って古いものがまた流行るという逆転現象すら起きている。

普通は一から商売を始めようと思っても、そう簡単になんでもこなせる人はいない。元々自営業の才覚があるからと言って、都会に出て何かを始めるのには、資金と度胸と、そしてやはり成功するには需要のあるものを売る、これに尽きる。

松坂熊吾は、そういう意味では需要があるものへの嗅覚に非常に優れている。本作血脈の火では、彼の人生で最も多角経営をしていたと思われるほど、多くの商売に活路を見出している。ただ単純に成功者になりたいというよりは、需要があるところに手を伸ばして人の役に立つことを喜んでいるような気がする。妻房江の弁によれば、飲食業に関しては、夫はただ自分が美味しいと思ったものを作りたいだけなのではとも言っており、美味しいものを人に勧めたい、そういう意味では働くことを楽しんでいる羨ましい人物だと言える。

ここはサラリーマンが一杯いるという土地の特性から、中華料理屋、雀荘、きんつば屋、カレーうどん屋など、食事と娯楽に目をつけ、一方で消防のホースの修繕やプロパンガスといった大きく社会貢献できる事業まで、人が必要とするものにさっと手を差し伸べる商売が本当にうまい。

また、きんつばの商売においては房江の提案で莫大な利益を得る。シリーズを通して、房江の助言が商売をより成功に導いたことはあったため、本当にお互いのアイデアを生かせる、商売人の夫婦としては理想的だ。房江が、熊吾の商売人としての飽きっぽさを把握しているところも、妻ならではの視点であろう。

最近は、あまりニーズがないものも世に溢れかえっているし、流行に乗って爆発的に儲けを出してもそれが恒久的に続くものではないことは覚悟するのは当たり前のリスク管理になってきている。

松坂熊吾が、今存命ならどんな商売をしただろうか、そんなことすら考えてしまう。

古風だがふんぞり返った親父ではない

熊吾は典型的な昭和の男という感じがするので、一見家事を何もしないふんぞり返った亭主関白と思いがちだが、この第三作を読む限り、きんつばやカレーうどんを自分で調理して供するあたり、男は台所に立つべきじゃないと考えているような男ではないことがわかる。

房江も普段は自分が食事を主に作ってはいるが、夫が外食してきておいしかったものを自分で作ってみるという癖があり、またおいしく作ることを理解しているし、そういう意味では熊吾は現代における共稼ぎ世帯の理想の旦那と言えるかもしれない。

しかし、本当に旨いものを作るのは男と豪語し、自分の作るきんつばの味はそう簡単には出せないと言ったそばから、息子の伸仁が、いともあっさり父の味とそっくりなきんつばを焼いてしまうというエピソードは、微笑ましく、また息子のたくましさを感じる。

伸仁のこれからに期待

寝小便が治らなかったり、肺に病気が見つかったりと腺病質で親に心配ばかりかける一方で、何人も人を殺しているようなやくざ者とマージャンをする胆力がある伸仁に、次巻以降どういう成長をしていくか大きな期待が生まれる。

親の都合とはいえ、色々な土地で暮らし、多くの人と接してきた伸仁の経験値は、一般の小学生が一つの土地で凡庸に生活してきたものとは比較にならないだろう。熊吾が著者宮本輝氏の父がモデルだとしたら、伸仁は著者自身という事にもなる。稀代な才能がこうして生まれたのかという見方をして読むのも、またおもしろい。

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