純愛なのかホラーなのかがきわどい話
いじめられっ子の少年
スウェーデン映画であり、世界中で称賛されたというこの映画。どの辺が称賛に値するかと一般人目線で考えてみると、やはりホラーとラブロマンスが絶妙に共存していることが大きいと思う。
いじめられっ子のオスカーは、やり返す勇気もなくて日々やられっぱなし。ナイフで木を傷つけてどうにかやり返したふりをしてみる弱きオスカーは、雪が深々と降る中薄着でたたずむエリと出会う。予告編を見てエリがヴァンパイアだってことはわかっているし、これからホラーな出来事が続くのだろうということもわかっていたのだけれど、静かに雪の降る街で巻き起こる死の謎、それに関わる人間、そしてオスカーの恋が絡み、怖さと切なさをぐいぐいと心に落としてくる。何か1つでもいい、明るい何かが2人のもとへ届けられないだろうかと願わずにはいられなくなる。
オスカーにしてみれば、辛い毎日の中で唯一の光がエリだった。自分と遊んでくれる唯一の人らしき人。まだたった12歳の少年であるにもかかわらず、エリとともに生きたいと決断させてしまうくらいの何かが、エリにはあった。エリが200年という間生きてきたことは、別に望んで生きてきたわけじゃないし、望んでヴァンパイアになったわけでもない。これからもエリは生き続けるし、いつかはオスカーとも別れがやってくる。それをわかっているようで、きっとわかっていなかったことだろう。初めての恋は止められない、若いからこそ夢中になった恋…誰か教えてやってほしい。彼を救ってやってほしい。でもエリも救われて欲しい…何が救いで、何が罪かもわからぬまま、静かに降り積もる雪とは裏腹に、オスカーの恋は燃え上がり続ける。
12歳くらいの少女
エリは少女じゃない。この事実が原作を読んだ人たちが語り出して、タイトルの「200歳の少女」という部分に相当なブーイングが巻き起こった。確かにエリは作中でも「女の子じゃない」と言っていたのだが、オスカーはそれをちゃんと理解していないのだ。エリは去勢された男の子であり、そのあとヴァンパイアとなってしまったのである。その事実は作中では語られず、原作を読むことで明らかになる。それを聞かないうちは、「私は女の子じゃない」というのは、人間じゃないから女の子ってわけじゃないんだよ、という意味だととらえていた。原作「モールス」の読者たちが騒ぎ、裸になったエリのモザイク加工を取る奴も出てきたくらいだ。エリの局部を見ると、モザイクさえなければ去勢された手術痕が残されているらしい。
エリは、オスカーを受け入れることをためらったかもしれない。だけど、ホーカンを失ったエリにとって、次に自分を守ってくれる人間が必ず必要になる。日中は陽の光から身を護る場所が必要だし、人間の血を毎日常に手に入れなければ、飢えて死んでしまう。彼女が生き続けるためには、一人では絶対に不可能で、人間を殺さなくてはならないのに、人間の協力者が不可欠という複雑な条件が必要だ。200年という間、エリはあらゆる人間を殺してきただろうし、昔なら何となく闇に紛れることも不可能じゃなかったはずだけど、これくらい近代化してくると、人の集まるところで強引な殺しは絶対にできない。だからこそ、自分を受け入れてくる人間が、本当の意味で必要だったはずわけだ。
そういうことを考えると、エリにとってもオスカーという人は本当に貴重な存在だったのではないだろうか。今までになく、自分を完全に理解してくれて、すべてを受け入れて、愛してくれる存在。ペドフィリアのホーカンなんかとは比べ物にならないくらい、オスカーはエリにとっても愛すべき存在のはずだ。
ヴァンパイアも生きていかなきゃならない
エリによって血を中途半端に抜き取られ、ヴァンパイア化してしまったヨッケの友人の妻がいた。彼女のように、中途半端に生きて、それこそ「バイオハザード」シリーズのように、200年の間にヴァンパイア化した人もいたはず。それなら、人間の協力者を得るよりも、同じヴァンパイアの協力者を探すほうが、すごく生きやすい気もするんだけど、どうなんだろう。エリは12歳の姿ではあるけれど、200年という人生の経験値を持っている。世界のどこかには同じようにして生きているヴァンパイアもいるのかもしれないじゃない。
まぁ確かに、夜通し歩いて、昼間は隠れて、探しているうちに人間を適当に襲って血をいただいていたら、いつか足がついて逃げられなくなる可能性は高いよね。昼間行動できないのが絶対的な痛手。やっぱり人間の協力者が必要不可欠なんだなーという答えに至る。
エリが生きていくために、いったいどれくらいの人の命が失われたんだろうね?と考えると、エリを否定しなくてはならない気持ちになってしまうが、オスカーから家に入ることを拒絶されて全身から血が流れ出るエリを見ていると…どうにかして許してあげたいし、救いたいと思ってしまうね。長き時を生きた先に、ヴァンパイアが残せるものってなんだろう?そこに悲しみしかないとしたら、いつかオスカーは裏切るだろうか…。
これからの生き方
いじめられっ子にプールに沈められ、本当に意識が遠のいた時、エリがやってきていじめっ子たちの腕から頭から、切り落としまくって殺していく。オスカーは救われ、エリは血をいただき、2人は絆を確かめあい、2人で生きていくことを決める。
これからさき、特に成長するわけでもないエリをトランクにつめこんで、オスカーは旅をしていくのだろう。それはエリとずっと一緒にいられる旅。心から望んで、そうしたいと思える旅…子どもだからこそ残酷で、男の子であるエリと何かが残せるわけでもなく、ただオスカーはエリを愛していくことができるのか…?とにかく心が痛くなった。
冒頭のシーンでエリが老人と一緒にいるところを見る限り、エリとオスカーは、オスカーの寿命の分だけ添い遂げたのだろうと推測はできる。ここにはちゃんと純愛があって、オスカーはエリを愛し続けたんだな…ってわかるから、ちょっと涙が出てしまう。どれほどの命を奪っても、君と一緒に生きていきたい。12歳という若さで決断できてしまったことが、本当に綺麗すぎて、残酷すぎて、言葉がうまく見つからなくなる。そこが数々の賞を受賞した理由のように感じられる。愛は美しく、時に残酷だということだ。
もちろん、エリにとっても、オスカーという本当に自分を愛してくれた存在はいなかっただろうから、最期の最期まで、大事にしただろうな…と想像できる。一人じゃない旅は、きっと楽しかっただろう。
原作を知るほど深みを増すらしい
原作の「モールス」では、ホーカンがペドフィリアであることや、エリが男の子であったこと、ヨッケたちの心情など、映画よりも細かな描写があったらしい。でもそれがなくても、映画だけでこの切ないのに嬉しいような気持ちにはなれたことだろう。ただ静かに、当たり前のように血が流れて、エリが生きていて、時々苦悩して、愛を知って…200年経って初めて、オスカーという存在に出会えたことに感動するし、それすらも永遠でないことに涙する。実にうますぎる。
モールス信号でやり取りするオスカーとエリ。それは、他の人にバレずに言葉をやり取りする手段であり、ただ情報をやり取りするだけじゃなくて、愛を語ることもできるもの。現代だからこそモールス信号を理解する人は少ないから、彼らの一生の暗号になるんだろうな…。
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