男の優しさは相手のためであり、女の優しさは自己愛だという残酷さを切ない恋物語の中で描いた 「ハッスル」
このロバート・アルドリッチ監督の「ハッスル」は、現代のロサンゼルスが舞台だ。ニコル(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、まぶしいブロンドの髪が波うつ、高級コールガール。恋人は、ロス警察特捜班のゲインズ刑事(バート・レイノルズ)だ。
二人は同棲している。お互いに首ったけだ。ゲインズ刑事は、アイルランド移民の息子で、娼婦のニコルは、流れ者のパリジェンヌだ。男は一度結婚に失敗している。惚れきった女に、むろん商売から足を洗わせ、できれば正式に結婚したいのだけれど、それができない。しがない刑事の給料だけでは、贅沢が身に付いた女を、養えないと知っているからだ。
女もまた、男に結婚を強引に求められたら、踏ん切りはついたかも知れない。だが、父親はレジスタンスで、爆弾を抱えて死んだ。そんな父に愛され、父を愛した彼女は、ゲインズの上に父のイメージを重ねる。「父さんも、あなたのように正しくて強い男だったの」。
愛する人を二度と失う悲嘆におびえて、だから彼女は「今のままでいい」と言うのだ。さまざまな男とお金で寝て「でも心が通うのはあなただけよ」というニコルは、ゲインズを深く愛すればこそ、夫婦のしがらみに、彼を自分を、巻き込むことが不安なのだ。
ともに相手を失うことを恐れて、でもどちらも結婚に踏みきれない、大人同士の男と女の、"やるせない仲"なのだ。女も辛いだろうけれど、男はもっと辛い。ニコルは彼の眼の前で、ガウン姿で、洒落た電話器を取り上げて、馴染みの客と卑猥な会話を交わす。彼らのベッド・シーンがゲインズの眼に灼きつく。狂わんばかりの嫉妬を抑えて、けれど彼は彼女の自由を決して束縛したりはしない。それが彼女への思いやりなのだ。
二人は、かつて数年前にゲインズが事件で出張したローマのことを、よく話題にする。「いつか一緒にローマへ行こう。連れて行って、いつかね」それが二人の合言葉だ。ローマへの旅が、彼らの"結婚への夢"を象徴しているのだ。
だが、事件が相次ぐ。海岸で若い娘の死体が発見される。他殺らしいが、事件に絡むのは、ニコルの常連客の大物弁護士だ。また、以前ゲインズが捕まえた偏執狂の男が保釈出所になり、衣料工場に押し入り、二人を殺し、ひとりを人質にする。恨みの銃を向ける殺人鬼に立ち向かったゲインズは、さらに殺された娘の復讐を遂げた父親を、温情で見逃す処置もとる。
ゲインズは、危険に身をさらして恐れぬタフな刑事で、だが人生の裏表を知り尽くして、なお人の世の哀れを知る男だ。
ようやく事件解決の安堵と疲労に、ゲインズは湧き上がるニコルへの思いを抑えかね、遂に旅に出ようとニコルを誘うのだった。空港へ向かうニコル。ふと酒屋へ立ち寄るゲインズ。が、この店での一瞬の出来事に、彼は命を落としてしまう。野良犬のように撃ち殺されてしまうのだ-------。
コール・ポーターのレコードが好きで、1930年代に憧れて、あの時代の「男は女性を尊敬していたんだ」と、人なつっこい笑顔を浮かべたゲインズは、もういない。娼婦に惚れた彼は、そう「華麗なるギャツビー」のように、求めた愛の幸せを眼の前にして、犬死の最後を遂げたのだった。
ニコルは悪女ではなかった。だが、彼女は、愛する彼を、どれほど精神的な苦痛で傷つけていたことだろう。「男の特権は優しさということだ」と、ずっと以前に誰かが言った言葉を、私は深い衝撃で忘れない。
そう、本質的に、男の優しさは相手のためであり、女のやさしさは自己愛なのではないかと思う。そして、程度の差こそあれ、ニコルのような"残酷さ"を、女性は秘めているのかも知れない。
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