吉田修一の思惑通りに踊らされた感覚 - 愛に乱暴の感想

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愛に乱暴

4.504.50
文章力
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ストーリー
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キャラクター
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設定
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演出
4.50
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吉田修一の思惑通りに踊らされた感覚

4.54.5
文章力
5.0
ストーリー
4.5
キャラクター
5.0
設定
5.0
演出
4.5

目次

ずっとある気持ちの悪さ

タイトルと扉の絵に惹かれて読み始めたこの作品は、冒頭からなにか不穏な空気を纏いつつ始まる。そして結婚している人間が恋愛として一線を越えるのはどこからかという話題から始まるこの話は、重くリアルで決して純愛ストーリーではないと思う。
主人公である初瀬桃子は普通の主婦だ。日記をつけ続けることができるという奇特な性格と、手作り石鹸公講習の講師であるということ以外は特に変わったところもないように思えた。その日常に、夫真守の浮気疑惑という問題が持ち上がってくる。これに桃子が気づいた出来事がとても気持ち悪い。香港に出張して帰ってきた真守の荷物の洗濯ものが小さく丸められていたのだ。このようなことをするのは女性としか思えない上、その丸まり方が虫を思わせて実に気持ち悪い。この“気持ち悪い”という気持ちはこの作品の根底にずっとあるもののひとつだ。魚の脂で汚れたゴミ袋の結び口、蚊を叩いたときについた誰のものかわからない血、真守が食べる甘ったるい豚肉、冒頭だけでもかなりそう感じることができる。そしてそれら全てはリアルで、意図的に強調されているようで、読み始めから少し気分が重くなったくらいだった。映画「パフューム」もそうだったけれど(あれは意図的にそういう映画だからすこし趣きは違うのだけど)、あれを思い出すくらいの気持ち悪さだった。

あらゆる意味でだらしがなく、軽すぎる真守

実の父親が倒れたときも恐らく浮気相手のところにいたり、その家族会議のときも一人ヒステリックに弱り、挙句の果てに桃子を悪しざまに言う様子は、一体桃子はこの男のどこに惹かれたのかさっぱりわからない。人の良さゆえの弱さとも思えず、なにか自分を正当化できるような対象があればそれを叩いて自分を上げる。このような人物は確かに世の中にいるけれど、こう頻繁に登場する人物がこのような人間だとかなりイライラする。しかも浮気発覚当初は「別れる方向で話をするから」などと言っている。どこまでも人を小馬鹿にしたような態度に、最後の方は腹も立たなくなった。
別れるつもりでいた女性と子供が出来たからといって、手の平を返したように愛せるものなのだろうか。初めて手に入れることのできる“自分と血のつながった子供”にただ夢中になっているのではないかとさえ思わせる。
作品の中では桃子がたくさん印象に残るセリフを言っているが、その中でも特に覚えているのが、必死に自分を美しく正当化して語る真守を前に言った(思った)「軽い、軽い、軽すぎる」という言葉だ。本当にこの言葉以外この男を表すことができないし、これほどひとつの言葉で全てを語る言葉もないと思う。
そういう男を選んだのは自分だし、当初は好きで始まった結婚生活なのだけれども、夫婦はここまで破綻することができるのかと思わせる。そしてそれを思わせるのは夫だけでなく、夫の母親も真守と同じように他人を叩き人のせいにし、自分を美しく見せようとする技だけに長けたような人格だった。この二人の描写を読むたびに苛立ちと腹立たしさを、身近な人間の話を聞いているときのようにリアルに感じた。

211ページ目の衝撃

この作品はストーリーの中に、浮気相手の日記と桃子自身の日記が交互に差し込まれる。だから真守の香港出張の荷物の出来事がなくても浮気旅行かということも分かるし、浮気相手と妻に真守が言っていることとの違いがはっきりと分かり、余計に真守のだらしなさが強調されているように思う。このように日記を物語のツールとして使うという手法は、湊かなえを思い出させる。湊かなえの作品では、男でも女でも使える名前をあえて使うことで実は男だったのかとか、そういうサスペンス要素というか大どんでん返しが楽しめる作品が多い。しかしそういう作品を吉田修一では読んだことがなかったし、この作品がそうだということは全く予想していなかったので、あまりにも驚いて頭の中がぐるりとなるくらいだった。今年一番の大どんでん返し作品だと思う。
浮気相手だと思い込んでいた日記は実は昔の桃子自身の日記だったということは、211ページ目で分かるのだけれど、そこからストーリーは全体的に桃子が追い込まれていく様相を見せる。お腹の子供をなくしたことも、ずっとそれを言えなかったことも、桃子自身のことだったということに、これからの展開が桃子に決して有利には動かないことを予想させた。

桃子に感情移入してしまう多くの描写

自らも妻を追い落とした経験を持つ以上、“やられたことはやりかえされる”という法則に則ってしまうのかもしれないけれど、それでもどうしても桃子のほうに感情移入してしまうのは自分が女性だからか母親だからか分からないけれど、どうしても桃子側にたってみてしまう。真守と浮気相手と3人で会ったカフェでヒステリックになってしまうのも大きな声になるのもおかしくないと思うし、それにあんな衆目を集めるような場所でわざとらしく二人で謝ってくるというのもひどすぎる(「きみはペット」でもスミレが後輩に社員食堂で謝られ、しかも泣かれるという場面がある。あれも同じやり方で、本当に腹立たしい)。謝罪するという本来の目的から遠く離れてただのパフォーマンスにすぎないのに、浮気相手はまるで自分が被害者のように振舞っているさまは、桃子でなくても激昂するのではないだろうか。そこでまた桃子を追い詰めたのは「他のお客様もいらっしゃるので」というオーナーの言葉。なんで自分に、となるし、考えるだけで頭がおかしくなりそうになった。
このあたりの吉田修一のとことん桃子を追い詰めていく描写は、読み手がどんどん桃子に感情移入していくことを分かって書いているのだと思う。本当に自分が桃子と同じように怒り、どうしてやろうかと考えるくらい同じ目で見ていたと思う。

桃子の行動の本当の異常さ

義母を怯えさせたことなどは、ただ怒りにかられて大声を出したに過ぎないから異常な行動とも思えない。ただどうしても気になったという畳の下を掘り返し、当時住んでいた愛人が残した壺を掘り返したというのは、あまりにもピンポイントすぎてすこしリアルでないように思えた。どうしてその畳が気になったのか少しでも描写があればいいのだけど、ただ気になったというだけでは(並び方が気になった程度では)あまり納得ができなかったのは残念なところだ。ただ壺の中には新聞だけしか入っていなかったところや、桃子の言う独り言(これもそのような日常におかれてみれば異常とも思えないが)に勝手に怯える義母はすこし気持ちがよかったところではある。
ただその愛人が放火魔だったかもしれないという思いにとらわれ、火をつけようと深夜にフラフラ出ていったところは本当にハラハラした。奥田英朗の「邪魔」でも奥さんが最後放火するためにうろつくところがある。あの場面も相当手に汗握ったけれど、今回のはそうしてしまうと本当に自分だけ排除されて、周りの皆はなにもなかったように幸せになってしまうんだよと大声で言いたいくらいだった。結果に何もなくて良かったのだけど、あれは本当に肩に力が入ってしまう展開だった。
あと異常というなら、アメリカンショートヘアーの猫にピーちゃんと名づけるところが、私にとってはちょっと怖さを感じたところだった。
この話は始めから終わりまで展開も早く、そしてあちこちで吉田修一の思惑通りに感情を揺さぶられたような感じだった。ラストのくだりはすこし綺麗に終わりすぎた感じはしないでもないが、それでもすこし涙腺が緩んでしまった。
個人的にはこの作品は間違いなく吉田修一の代表作だと思う。

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