必見の見せ場の連続で二転三転するドンデン返しに満ちた、サスペンス・スリラーの傑作 「海外特派員」
「海外特派員」は、サスペンス・スリラーの神様、アルフレッド・ヒッチコック監督が渡米後、アカデミー作品賞を受賞した「レベッカ」に続いて発表した作品で、シャープでドライなヒッチコック・タッチとアメリカン・ヒューマニズムが混然一体となった傑作だと思います。
第二次世界大戦前の緊張状態にある欧州へ、海外特派員として派遣された新聞記者ジョニー・ジョーンズ(ジョエル・マクリー)。彼は和平派の大物のオランダ大使、ヴァン・ミアやフィッシャーと知り合い、アムステルダムでの平和会議を取材するためオランダへ行きます。そこで、この大使を誘拐しようとするナチスの陰謀に巻き込まれることに------。
この主人公の新聞記者は、職業的な記者だから、平凡な一市民とは違って、取材上の必要から積極的に事件を追っていくことになります。しかし、彼がナチス側の陰謀を主張しても、周囲の人間、特に警察が信用せず、助力が得られないという点で、この「海外特派員」は、明らかにヒッチコック監督の「暗殺者の家」にはじまる"巻き込まれ型の系譜"に属していることになります。
まず、新聞社のビルの屋上の地球儀からカメラが引いて、全景、窓のアップと続く開巻からして、もうヒッチコック映画の世界に引き込まれてしまいます。海外特派員のジョニーが世界平和の大立者ヴァン・ミアを追ってロンドンからアムステルダムへ------。
ここで、映画史上有名なアムステルダムの平和会議場前での暗殺シーンですが、政治的要人を写そうとするカメラマンの手に、銃が握られている。その銃にカメラが寄っていく瞬間、鮮血に染まった要人の顔のアップに変わって、撃たれた要人は階段を転げ落ちていく。この暗殺は、激しい雨の中で起こり、ホールの周囲は雨傘をさした群衆で埋まっている。そして、犯人が傘をさした群衆の中に飛び込み、逃げる道筋の傘が揺れ動く俯瞰のショットは、実に映画的な映像の発見だと思う。
このように、ヒッチコック監督は、暗殺の直後、大俯瞰ショットに切り替え、眼下一面の雨傘が、群衆の間に逃げ込んだ暗殺者の動きで揺れ動く状況を、印象的な映像に定着したのです。そして、雨と雨傘のために見通しがきかない状況が、暗殺者の逃走を助けます。人の姿がほとんど見えず、一面の雨傘だけが密生したキノコのように視界を埋める大俯瞰ショットの効果は、意味の伝達性を超え、ヒッチコック監督特有の特権的瞬間のめくるめく魅力を発散しているのです。
その後、ヴァン・ミア殺しの犯人を、ジョニーと彼を助ける平和運動指導者の娘のキャロル(ラレイン・デイ)が、車で追跡して、オランダ特有の風車の群れ立つ平原で見失った直後に、次の見せ場がやってきます。ここには別に特殊な撮影技巧はありません。ただ、ゆっくりと回転する風車の群の中で、ただ一つだけが逆に回転しているだけです。これは後に、敵が仲間の飛行機に合図するためだと解り、それが必要とされる意味なのですが、無数の風車の中で一つだけが逆回りしている光景の不思議さ、非現実さの衝撃的な効果は、実に素晴らしいと思う。
----------以下、ネダバレ注意----------
ジョニーが風車小屋に潜入し、犯人たちに気づかれないようにヴァン・ミアに会います。(アムステルダムで殺されたと思われていたヴァン・ミアは、実は替え玉だったのです)。屋根裏に隠れた彼のコートが、風車の歯車に巻き込まれ、万事休す。一瞬脱ぐのが早かったが、今度はコートが下に落ちていく。それを歯車から引き抜いて、窓外に逃げる。その間の屋根裏の梁に止まる小鳥や、窓外に差し込む光線の美しさが印象的です。
さらに、この後、階段の踊り場で立ち往生するジョニーが、間一髪で身を隠すサスペンスが続き、息つぐ暇もありません。この風車小屋のシーンでの演出・編集は、まさに神技としか言いようがありません。ところが、もっと感心させられるのは、ホテルの窓から外に出て、窓外の桟を伝ってキャロルの部屋へ行くシーンです。
途中に"HOTEL EUROPE"のネオンサインがあり、その"E"に手を触れ、"EL"を消してしまいます。すると、"HOT EUROPE"の文字になり、それはとりも直さず、一触即発、開戦まじかの欧州情勢を"熱いヨーロッパ"と、ものの見事に表現していて心憎いばかりです。そして、それはジョニーが電気に触れて、"あちっ!"との意味のジョークにもなっているのです。
そして、協力者だと見えたフィッシャーが殺人犯グリークのいる別室に入っていきます。すると、グリークの右に彼の影ができる------フィッシャーが黒幕であることを表わす"ヒッチコック・シャドー"も実に効果的です。塔での殺人でフイッシャーの正体を知ったジョニーは、フォリオットがフィッシャーを脅している時、キャロルが帰ってきます。手元のメモには、"娘の車の音がしたので、あしからず"との言葉。ヒッチコック監督らしい皮肉なユーモアに加え、彼の「間諜最後の日」のピーター・ローレを思わせる変なラトビア人も実に楽しい。
そして、終盤の飛行機のシークエンスは、撮影技術上の工夫でショッキングな成果を生み出していて、主人公とキャロルとその父が乗った飛行機が、すでに戦闘状態に入ったドイツの戦闘機に撃墜される場面です。ここでは、パイロットの視野で海面がぐんぐん接近した後、飛行機が海へ突っ込んで、海水がフロント・グラスを破ってドッと流れ込んでくるのを、つなぎ目なしのワン・ショットで見せています。
ヒッチコック監督が後に語ったところによると、このショットは接近する海面を映し出すスクリーン・プロセスの後ろに巨大な貯水タンクを設置し、タイミングを計ってスイッチを入れると、水がスクリーンを破って流入し、セットのフロント・グラスを砕くという方法で撮影されたそうです。
そして、この後、海面に漂う飛行機の翼に遭難者が這い登った途端、翼が胴体から離れてスルスルと海面上を滑って遠ざかるという見事なショットがありますが、これは水面直下に鉄道の分岐点のように分かれたレールを敷設し、この上に機体を滑らせて撮影されたそうです。
平和運動の指導者を自称しながら、実はナチス側のスパイだったキャロルの父(ハーバート・マーシャル)は、この墜落後に死を選びます。そして、映画は主人公がドイツ空軍による空襲下のロンドンから、アメリカ向けの放送で、アメリカもナチスに向かって立ち上がるように訴えるという、いかにも戦時下のプロパガンダ臭いシーンで終わりますが、「海外特派員」全体が持っている、ワクワクするような映画的魅力は、このような意味付けをはるかに超えて、今も新鮮なのです。
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