一番話が複雑だが完結らしい素敵な終わり
死んだと思われたスパロウの復活が鮮やか
パイレーツオブカリビアンとして、ウィルやエリザベスが登場するシリーズ最後のお話。いやー…いろいろ評価はあったものの、自分としてはかなり楽しんだ作品である。話の内容が第一作・第二作よりもかなり複雑になっているため、その辺も考えながらまた振り返ってみたいと思う。
「デッドマンズチェスト」において、クラーケンと共に死んでしまったジャック・スパロウ。確かにジャックはクラーケンと共に死の世界へと落ちていったようだが…彼はクラーケンに勝ったうえで、魂と身体が囚われの身になっている、という不思議な状態であった。もうここからしてティア(カリプソ)が何もかも操っていたような気がしてならないのだが…それは後で後述しよう。死の世界の描写は、むしろ美しい場所で、青く澄み切った綺麗な空と、真っ白の砂浜しかない空間だった。そんな美しさも永遠に続くとしたら、それを美しいとは思えなくなるものなのかもしれないが、無になるということをイメージしたとき、必ずしもどす黒い暗い場所とは限らないなと、新たな価値観を得た気がする。そこから現世に連れ帰るために、海を経由する…というのは、まさに海賊らしい演出であり、そして本来のフライング・ダッチマン号の役割を考えたときにもしっくりくると思う。そして、水を経由する演出は神秘的であったし、なんだか本当にそうなんじゃないか…という気もしてきて、個人的にはジャックの復活まででかなりドキドキしてしまった。
ティアにより蘇ったバルボッサ、そしてウィルやエリザベス、もとのブラック・パール号の乗組員など、今まで登場してきた人物たち総動員で戦いを挑む姿は、なかなかに楽しい展開だった。
ジャックのおちゃらけがもっと見たい
しかし、蘇ったジャックはいろいろと真面目な展開になっていることにより、かなり静かな普通の人間であった。シリーズ第1作目のあのふざけ具合、人を騙して当たり前のジャック、裏切ってなお自分を貫くが、大事なところで何かが一本通っている、そんなジャックがもっと見たかった。一番良かったのは、オチでバルボッサにまたブラック・パール号を奪われ、ボートで一人海に漕ぎだしていかなければならなくなったジャックである。あれは…うん、これぞ本来のジャック、と思うシーンだった。不敵な笑みを浮かべてまた海賊を始めるジャック。きっとおもしろおかしい毎日がまた始まるのだろう。
ジャックが真面目な展開にならざるをなかったのは、第二作のデッドマンズチェストでエリザベスの裏切りにあったからかな…とは考えている。迎えに来たメンツの中に、裏切りのバルボッサだけでなくエリザベスもいて、なんとなく恋仲になりそうな雰囲気も出つつ、そこからの裏切りに合うジャックが…不憫というか、本当はいい人なんじゃないかと考えてしまうからこそ、ちょっと心苦しい。何とも思ってない。だけどそうでもない。といった表情の作り方などが、ジョニーデップの演技のうまいところなのではないだろうか。ジョニーデップのジャック・スパロウがあったからこそ、そのあとの「チャーリーとチョコレート工場」だって好きになったし、ディズニーリゾートにおける海賊アトラクションも好きになった。やはり俳優の影響力はすごいところがある。
エリザベスが海賊の王になっちゃうのには笑った
物語の中で、9人の海賊が招集され、会議を開くことになるが、まさかエリザベスがサオから船長を譲り受け、そのまま9人の海賊たちのリーダーになるとは思わなかった。もはやエリザベスも平気で意見を言い、それが通るような状況になっていたし、ベケット卿のからみも含めて、エリザベスって…最強だった。そもそも、よく考えてみたらエリザベスって本当に女の武器をフルに使うから最強だ。ウィルのため、ジャックを誘惑することもいとわず、他の男をコケにすることもいとわない。これは女船長になっていい人物だろう。
それぞれのいろいろな想いが画策し、共闘に至るのだが…これほどまでに目的が違うのも、大変だ。ウィルはお父さんを助けたいと思っているし、エリザベスはウィルを支えようと思うし、バルボッサはブラック・パールを取り戻すことや海賊狩りをやめさせることを考えているし、サオはエリザベスほしいなー…なんて思いながら協力し始めるし…私利私欲のぶつかりあいなのである。皆誰かのためでなく、自分の目的のために共闘する。海賊時代って、まぁそういう時代なんだろうし、お互いにそういう目的があるってわかっていて協力したり離れたりを繰り返すのは、当たり前のことなのかもしれない。
また、デイビィ・ジョーンズの心臓を手に入れて、思うがまま操るベケット卿。まさに悪だったが、本当にやりたいことがなんであるかとか、海賊への八つ当たりであることをわかっているふうな口ぶりもあり、エリザベスのこともあり…複雑な気持ちにさせられた。
カリプソが結局元凶か
そして、カリプソの話に戻るが…。彼女は神であり、自分に心臓を捧げてフライング・ダッチマン号で死者を弔う仕事をする男のことを、要は駒と思っているのだろう。デイビィジョーンズの悲しい恋物語は、結局はカリプソの裏切りによって始まったと考えるのが妥当である。
10年の仕事を終えてカリプソに会いにやってきたデイビィは、約束の地に彼女がいなかったことに絶望し、海の死者を弔うというフライング・ダッチマン号の本来の仕事を放棄して幽霊船へと変貌を遂げる。当のカリプソからすれば、
私は生まれつきそういう性分なの
と言い切るほど、自分が誰と遊ぼうが勝手じゃない!という感じで自分が悪いとは思っていない様子だった。「そんな私のことを好きになったのはあなたなんだから、心臓も捧げず大切な仕事を放棄しているあなたのほうが裏切り者よ」と言うカリプソを見て…あぁ…そんなことのために、たくさん人は死んだんですか…と悲しくなった。カリプソの気ままに惑わされたデイビィがいったい何人の人を殺したと思ってるんだ…
これが明らかになった時、この一連の流れはすべてカリプソが仕組んだデイビィへの罰だったかのようだと気づく。カリプソは結局神様なんだから、どうとでもできたはず。それを敢えて長引かせたのは、すべてデイビィ・ジョーンズという男に対しての、おしおきだったのではないだろうか。死ぬこともできずにさまよって、心臓を奪われそうになったり、結局はベケット卿に操り人形にされて、最後は自分とは違う愛を叶えた男の手によって死んでいく…悲しすぎる男だ。
ラストにあるいくつものせつなさ
デイビィが一番残酷な終わりを迎えるのだが、ウィルにとっても幸か不幸か、という状況で終わりを迎えた。本来の美しさを取り戻したフライング・ダッチマン号の船長となり、死者を弔う仕事をするウィル。10年に一度しか陸に上がれない誓約により、エリザベスと次に会えるのはまた10年後。それでも彼は笑って生きている。エリザベスはカリプソみたいに待てない女になってしまわないのだろうか、という不安もあるし、ウィルが結局は父親のように海賊であることを受け入れたようで、それもまた複雑な心境にさせる。父親のビルは嬉しかったと思うし、ジャックだって海賊としての不老不死になるチャンスを失ってまでウィルを生かすほうを選ぶことになったのだから、ウィル・ターナーという人物は、幸せ者だ。
ファンタジーの世界を実写化させようとするとき、やはり日本の邦画よりもハリウッドの洋画のほうが迫力と綺麗さは満点。何度でもドキドキさせてくれる。
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