外形的アイコンを排したオタク像とストレスコントロールの新機軸で今日のアニメ隆盛の基盤を作った意欲作 - らきすたの感想

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らきすた

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映像
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音楽
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外形的アイコンを排したオタク像とストレスコントロールの新機軸で今日のアニメ隆盛の基盤を作った意欲作

4.54.5
映像
4.0
ストーリー
4.5
キャラクター
5.0
声優
4.5
音楽
4.5

目次

「ストレス」を武器にした「ハルヒ」とストレスを制御した「らき☆すた」

2006年に「涼宮ハルヒの憂鬱」をアニメ化して爆発的なヒットを生み出した京都アニメーションは、その翌年この「らき☆すた」によっても社会的現象になるほどの成功を収め、アニメ製作会社としての評価を不動のものとします。

しかし、ハルヒのワガママに振り回されたり外部からの敵が襲ってきたりで内外からのストレスがきつく、だからこそそれをはねのけた時のカタルシスが強烈な「ハルヒ」に比べ、「らき☆すた」はそうした山や谷が見えない作品です。好感が持てて可愛らしい女の子たちがワイワイと過ごす見て愛でる作品だと、一見すると思ってしまうかも知れないほど「普通」な感じがします。しかし「らき☆すた」には現在にも通じる独自性のある新機軸がたくさん盛り込まれています。

第一に挙げられるのは、作品を見ている視聴者の「ストレス要因」をかなり意識的にコントロールしているということです。「らき☆すた」は共学高校が舞台ですが、主要キャラは皆女の子で、脇を固めるのも皆女の子です。従来の学園モノであれば、主要キャラの一人か二人は男子で、恋愛に発展することまではなくても何となく片思いが発生したり、といった展開が極めて定番でしたが本作では一切そうしたことはありませんし、主要キャラが学園のアイドル(男子)に熱を上げる、芸能人にハマるといった描写もありません。そのため観る側は「男の影」を気にすることなく楽しむことができます。

また、いじめやスクールカースト、無理解な教師といった学園ものにはありがちな「障害」も一切描いていません。クラスメイトも後輩も皆とてもいい娘たちですし、主人公である泉 こなたの担任の黒井先生は、時に頭をはたいたりはするものの、こなたと一緒にネットゲームをするほどの良き理解者です。こうした、現実社会にありがちな問題を一切排することで、よりストレスを帯びない安心感のある話作りを実現しているのです。

この「ストレスコントロール」手法による「作中日常」の円滑化は、トラブルメーカーや障害を設定して盛り上げるべきとする通常の作劇システムとは真逆のものですが、本作によって見事に成功したことで一般化され、「けいおん!」や「ゆるゆり」シリーズにおいてより徹底化されることになりました。いくつものストレスフリーな作品がアニメ化されるなどの評価を得ることができたのも、「らき☆すた」が地盤を築いたから、という考察も成り立つのではないでしょうか。

オタク的外形アイコンを一切持っていないこなたという一つの「模範」

もっとも、野心的で魅力的な構成だけでは、尖った要素の見えない本作の爆発的大ヒット、それもかつてない幅の広い層への波及の答えとしては十分ではありません。ジャンルを超えたファンたち、そしてオタクと呼ばれてきた人たちが、あそこまで熱くなれた原因は、やはり魅力的なキャラクターがいたからこそと考えますが、私としては万事ゆるゆるとしている主人公のこなたこそが革命的な要素だったと思っています。

こなたは、超強烈なオタクです。何しろ未成年ながら親にアダルトゲームを買ってきてもらってプレイするぐらいですから、相当筋金が入っています。しかしながら彼女をよくよく見てみると、外見的にも能力的にも、オタクキャラっぽいところが一切ないことが分かります。

実態はともかくとして、一昔前の「オタクキャラ」の造形は特徴的でした。男女ともに分厚いメガネをかけ、服やファッションには一切関心を払わず、人見知りで……、的な要素が多く、客観的にはネガティブな部分も少なくありませんでした。しかし、こなたは違います。

メガネをかけてもいませんし、バイト先の飲食店でコスプレを披露するぐらい、自分の優れたルックスを客観視し活かす術を心得ています。しかも社交的で温和で話を聞けるタイプでもあります。それでいて、「いつもは普通の生徒っぽくしてるけど、家で隠れてオタ活動を」的な、オタク的要素に後ろめたさを持つこともなく、どこまでも堂々としています。

外見上のオタキャラ的アイコンを一切排したこなたは、画的には「分かりにくく」なりましたが清潔でハンサム、あるいはキュートであり、内面に強いものを持ったオタクという、まったく革新的な要素を持って登場し、作中でもファンからも皆に親しまれ、愛される存在になっていきました。この成功により、フィクション作品においてオタク趣味と性格と外見をリンクしないケースが多くなり(「俺妹」や「僕は友達が少ない」などでも特徴的ですね)より自由なキャラメイクがしやすくなったとともに、現実においてもこのあたりから、外見的に爽やかになった「オタク」な人たちが増え、アニメや漫画といった趣味が一挙に市民権を得てきたような感があります。

さらに付け加えるなら、周囲とこなたの接し方も理想的と思えるものです。確かにこなたのオタ話は今時の女子高生には相性が合わないことも多いわけですが、それでもかがみやつかさは何の気負いもなく距離を詰めたままですし、こなたもまた自分の殻にこもったりはしません。趣味に対する理解というのはこういうことを言うんだろうな、と当時本放送を見ていた私はしみじみ感じたものでした。

時に悪い方にも作用するオタク的外形を一切持たず、それでもまったく負い目なくオタクを続けるこなたの姿から見えるのは、緩い勇気であり、二十一世紀においての「オタクの規範」だったとも言えます。だからこそ私たちファンはこなたに共感し憧れを抱いたのです。

オタクと「日常」を融合することができた功績

「涼宮ハルヒの憂鬱」は、ハルヒが作り出した理想的だけれども狭くて閉鎖的な世界をキョンが力づくで叩き壊し、「セカイ系」から「日常」へ回帰していくところにハイライトがありますが、SOS団の面々はいいとして、その日常に入って来られない人もいるのでは、という懸念があったことも事実です。しかし、その翌年にアニメ化された「らき☆すた」によって、今まで日陰的な存在だった「オタク」のネガティブな要素を一切排して、完全に自然な形で日常に組み込むことに成功してみせました。

こなたの活躍は、その後の格好良かったり可愛かったりする「普通の」オタクキャラの先駆けと言えるものですし、「僕は友達が少ない」の柏崎 星菜や「俺妹」の高坂 桐乃といった「エロゲー女子」キャラ隆盛の流れを生み出したものでもあるとともに現実社会のオタクの認知度アップにも一役買うことにもなりました。これによって、回帰してきた日常に、より多くの人が融和することが可能になったとも言えます。

さらには前述したストレスコントロール手法の導入によって、従来とは真逆の作劇を可能にした点も見逃せませんし、肝心となるキャラ造形も非常に好感と安心感が持てるという意味で、教科書的な美点があるとも言えます。

今や、「謎部活」ものと並んで一般化された感じの日常系アニメの成功例として語られることが多い本作ですが、その裏に込められたいくつもの挑戦と成功を忘れることはできません。さらに言えば、「セカイ系」から「日常へ」の「ハルヒ」と「普通なオタク像」という二つの分岐を示す作品の主演が、同じ平野 綾さんというところにも、何やら運命めいたものを感じてしまいます。

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らきすたが後世に与えたものとは

らきすたとは、ハルヒに続く京アニこと京都アニメーションが作成した人気作品であり、京アニが一発屋でないことを証明した作品でもある。さてこのらきすた、同じ京アニの作品でもハルヒとは作品の意味合いが大きく異なる。単純に原作が4コマかラノベか、あるいはギャグかシリアスかというものではなくもっと根源的な部分にある。それは意図的に男キャラクターが省かれていることだ。らきすたの男性キャラと言えばこなたの父やアニメオリジナルキャラの白石のようにこなたらとは恋愛に発展するはずもないキャラに限って描写される。ハルヒにキョンや古泉らがいたのとは大きな違いである。このような作品はらきすたの前にもあずまんがなど前例があったが、本格的に流行りだしたのはらきすた以降であり、有名な作品でいうと「けいおん」や「まどか」などが典型例であろう。らきすたはハルヒとはまた違った意味で後世に影響を与えた作品なのだ。この感想を読む

5.05.0
  • kurioukuriou
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