中島らもの天才ぶりが実感できる作品 - 僕にはわからないの感想

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僕にはわからない

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文章力
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ストーリー
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キャラクター
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中島らもの天才ぶりが実感できる作品

3.53.5
文章力
4.0
ストーリー
4.0
キャラクター
4.0
設定
3.0
演出
3.0

目次

難しい!

一番最初に読み始めた印象はまずこの一言だった。中島らもと言えば「アマニタ・パンセリナ」とか「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」とか名作ではありながらもエッセイのようであり、読みやすいものが多かったからだ。
なにしろ最初のテーマが「宇宙」である。そこから「ミクロとマクロ」と続く。それら小さなタイトルたちは大きなタイトル「僕にはわからない」の枠の中に入るのだけど、これらのテーマすべてが本当に難しい。のだけれど、中島らものわかりやすい文章がそうさせるのか、わからないのだけどどんどん読んでしまう。わからないなりに何か知的好奇心をくすぐられるような、いい文章なのである。結局よくわからなかったりするのだけど、普通分からない内容の文章は頭の中に入ってこず目滑りするものなのだけど、中島らもの文章に関してはそれがない。きっとそれは中島らも自身も分からないということを理解した上で書いているからなのかもしれない。
それにしてもこの人の知識量と読書量と映画量は恐ろしい。一体どれほどの時間を使えばこれほどの情報を手にいれることができるのだろう。灘高に入るくらいだから秀才ということは分かるけれど、ただ勉強のできる秀才ではない。それはどの彼のどの作品を読んでも感じることだけど、圧倒的に感じたのはこの作品だった。

それぞれのテーマに応じた様々な実例

この本は大きいタイトルの中に小さなタイトルがあり、大きなタイトルは全部で4つ、小さいタイトルは全部で50以上もある。だから小さいタイトルの話は短いのだけど、その内容がひとつの短編になるくらい読み応えがある。そしてすべてではないけど、それぞれのテーマに応じて様々な例やエピソードを用いている。それがいつも興味深く面白い。そしてそれらは皆実話であるというところがいい。前述したように、中島らもの読書量は半端な量ではない。一つのテーマについてどれほど読んでいたらここまで書けるのかわからない。そもそもそれを書くためにその本を読んだわけでなく、ただ興味のあるものをどんどん読み続けた結果脳内の膨大な本棚にジャンル分けされ、埃をぱんぱんと落とされ日の目を見るのを待っているような、そんな気さえする。だからそのジャンルのテーマで文章を書こうとしたら、いくらでも例が出てくるのかもしれない。そしてその例が、知っているとかどこかで聞いたことのあるというような軽いものでなく、専門書的なものを読まないと出てこないような印象を受ける。そしてそれらはこちらの知的好奇心をうまく刺激し、どんどん話に読みいってしまう。ちょうど、人気のある先生がする雑談を授業よりも覚えているように、これらの話は記憶に残る。この本にはそのような話が本当に多い。

中島らもの博学ぶりとその門扉の広さ

ただ狭い分野で深く知識があるというのは当たり前かもしれないけれど、中島らもの場合はその分野はありとあらゆるものに及んでいる。そしてそれらすべてに関連した書物や映画を相当数触れている。興味の幅が広いのか何なのか、話が進むにつれ本当に「この人の頭の中は一体どうなってるのか」という疑問がどんどん大きくなっていってしまう。
小タイトルで「悪い奴ほどよく笑う」というものがある。中島らもはそこではなんと音声学にも触れている。なぜそこまで知識の幅が広いのか、ここまで来ると脱帽ものである。
ただ最後のほうにでてくる「イドの怪物」。これは架空の人物に対してどんどんその人物像を語っていくというシュールなゲームで、若干ホラー風味のある話だけど、彼らは何もないところからものを作り上げるプロである。だからといって今までの話がこうだとは思わないけど、この話を最後あたりにもってくるところ、これは中島らもらしいジョークなのかもしれない。

「ガダラの豚」が生まれたところ

この作品ではケニアに取材に行った時のことも書かれている。ケニアといえば、中島らもの傑作「ガダラの豚」であろう。個人的には3部の後半のB級ホラーチックのところがあまり好みではないのだけれど、込み入った背景などの緻密な描写、物語の進むテンポの良さやキャラクターの魅力など、見所はたくさんある。その中でも完璧な大阪弁を駆使するケニア人のムアンギなどはその笑いのセンスはまさに中島らも自身も楽しみながら書いているようであったけれど、彼のモデルが実在するとは知らなかった。実在の彼はオワカという名前でボクサーを目指して日本に留学した経験をもつ。そして大生田チームが初めて出会った呪術医であるオプルは、援助依頼のエアメールをもらったガブリエルだろう(ガブリエルというとキリスト教の三大天使を思い浮かべてしまうため、アフリカで呪術医をやっている60過ぎの男の名前としては意外なものに感じたけれど)。彼とのやりとりは「ガダラの豚」でも再現されていた。この「ガダラの豚」の中の話は色々な作品で書かれていたことがうまく再現されておりそれを見つける楽しみもあったけれど、今回書かれていたのは完全にそのための取材だったので、とても興味深く読むことができた。
余談だけど、呪術医(ウィッチドクター)というと、漫画「動物のお医者さん」で漆原教授がアフリカで暮らした時のことを思い出す。医者とはいえ彼の場所を選ばないパワフルさが現地の人に「ウィッチドクター?」とささやかれる場面をどうしても思い出してしまう佐々木ファンは少なくないと思う。

無知の知ということ

「僕にはわからない」というタイトルが示すように、この本の大タイトルの一つには、中島らも自身が疑問に思ったままわからないこと、考えてもわからないこと、その他映画で感じた理解できないことなど、ありとあらゆる「わからないこと」が詰まっている。そしてそれに共通するのは、ただわからないというだけで済ましていないことだと思う。わからないから色々考え、調べ、書き、その上で分からないということ、いわば、分からないことを知っているということはこういうことなのかという意味が分かる本だと思う。
例えば、宇宙の広がりその始まり、宇宙の外はどうなっているのか、そして大の中の小さな宇宙、またその中のその中のと考えていって素粒子までに行くとまたそこには新たな宇宙がある。大が小を飲み込み小が大を飲み込み、まさにそれは無限大の記号メビウスの輪ではないのか。だからこそウロボロスの蛇が宇宙蛇と呼ばれるというあたりなど、実に面白く読んだ。個人的にも宇宙の始まり生命の始まりとはどういうことかとよく考えることがあったので、この辺の文章は自分が考えていたぐじゃぐじゃしたことをうまく表現してくれているようで、そうそう、ずっとそう言いたかったんだと言うようなすっきりとした気持ちになることができた。本当にこのあたりは考えても考えてもわからないところだろう。
そのテーマからは外れるが、ホラーオタクである中島らもらしい人造人間の心理などの描写も良かった。確かに有名なフランケンシュタインなど、なぜ自身が生まれてきたかといった哲学的な悲しみに悩まされる本人らに比べて、彼らを作り上げたいわゆる“マッドサイエンティスト”にはそれほど深みが感じられない。それは私自身もよく感じたことだった(「DRAGON BALL」でもレッドリボン軍が様々な人造人間を作るけれど、作られた者たちのそれに比べて作った側の悩みなどの描写は皆無だったり)。でもそういったことは気にしながらも忘れていく様々なことの一つだと思う。そういったことを忘れずにきちんと追求するのが中島らものすごさなのかもしれない。

私にもわからない

この本を最後まで読んで思った第一の感想はこれである。この本のあとがきをわかぎえふが書いているが、同じく「私にはわからない」と書かれていた。中島らもと最も近しい人物の一人であったであろう彼女のこの言葉はきっと中島らものことを言っているのだろう。彼女の文章「この人の頭の中は一体どうなってんのや?」。本当にこの言葉に尽きる。
それにしても中島らもの作品は今読んでよかったと思う。高校生の時に読んだ時にあまり何も思わなかったのは正解だったのかもしれない。その時読んでもきっとあまり理解も感情移入もできなかっただろう。だからこそ年を経て今読むことができる。それが実にうれしい。

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