詩的に美しく、異国の風景が印象的な作品 - スプートニクの恋人の感想

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スプートニクの恋人

2.752.75
文章力
3.75
ストーリー
2.50
キャラクター
3.00
設定
2.50
演出
3.00
感想数
2
読んだ人
16

詩的に美しく、異国の風景が印象的な作品

3.03.0
文章力
4.0
ストーリー
3.0
キャラクター
3.5
設定
3.0
演出
3.0

目次

他の作品と一風変わった印象の小説

これは、私が村上春樹の作品の中でもなぜかそれほど読み返していない作品である。短編を除き、時系列としてはこの後「海辺のカフカ」が出るのだけど、そちらはかなり本がくたびれるほど読んでいるのに、この「スプートニクの恋人」はいまだに綺麗なままだ。面白くないというわけでないのだけど、なにかしら何度も読むタイプの小説でないというのかそういう感じがする。
村上春樹の作品であまり読み返すことをしない作品はこれと、「海辺のカフカ」の後に出された「アフターダーク」「1Q84」「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」になる。これらカフカの後の3作品は個人的にはあまり好みではなく、無条件に心に入ってきた初期の頃の作品に比べたらどこか読み劣りがして(それは年をとった自分のせいなのだろうと思う)私の本棚にはないのだけど、「スプートニクの恋人」は別にそういうわけではなく、家にはあるのにそれほど読んでいないという中途半端な位置となっている。
具体的に言うとこの本を境目にして、村上春樹の作品を前期(何度も読み返す作品)と後期(読まない作品)となる。なので、象徴的ポジションといえばいえなくもないかもしれない。
これは私にとってそんな作品である。

すみれの竜巻のような恋

この物語の肝は、すみれの情熱的な恋の描写だと思う。その恋の相手は17歳年上で結婚していて、おまけに女性だった。にもかかわらずすみれは他の何をも考えられなくなるくらい彼女に恋する。今までは乱暴な物言いで、女性であることを意識さえするどころか憎んでいる風にさえ感じられた彼女だったにもかかわらず、それらすべてを理不尽に叩き壊すくらいの激しい恋だった。その描写がとても詩的で、激しく、そしていかにもすみれらしい。また女性が女性に恋する描写は村上春樹の作品では他にないと思う。それは何かしら芸術的で生々しくなく、その上危うさを感じさせ、この本を読む上でこの描写は好きなところだ。
また恋の相手であるミュウも魅力的な女性というのがいい。村上春樹の作品で、年齢は重ねているけれどきっと綺麗なんだろうなという女性は多くでてくる。例えば「ねじまき鳥クロニクル」の赤坂ナツメグ、「海辺のカフカ」の佐伯さん(「ダンス・ダンス・ダンス」のユキも美人とは思うけれど、彼女たちのような金銭的に裕福な女性のみが持ちうる優雅さとは無縁のような気がする)などがいる。そして彼女の全てが魅力的だ。しかも上品でありながらも人を見下すような俗っぽさとは無縁で、どこかしら気品のようなものさえ感じさせる。それはまるで繊細な銀細工のような印象がある。
そして初めての恋にそのような相手を選ぶことで、すみれの心の純粋さがよく分かることとなる。

すみれと「ぼく」との会話

この物語でもう一つ好きなところは、すみれと「ぼく」との会話である。この物語は「ぼく」が語り手として描かれている。教師であるというだけでなく、知的でどことなく哲学的なところは、すみれとの会話でよく分かる。この物語で好きなところは、その会話が軽快でシニカルでその上的確な例えも交え(記号と象徴の違いをすみれに教えるのは好きな場面のひとつだ)、村上春樹の文章のいいところと綺麗なところがすべて凝縮されているようなイメージを受ける。リズムがいいのかテンポがいいのか、この会話にはそういうところがある。
また「僕」の説明や描写、例えもとてもわかりやすい。その上いかにすみれが頑固でいきなり電話をがちゃんと切ろうと、根気強く説明して話す。その思いやりのある丁寧さというか、そういうものがなぜか読み手に癒しのようなものを与えてくれる。その文章がどういう役目を果たしているのかわからないけれど、そう感じる。
村上春樹の作品を読むと現実と乖離することができ、そうできると現実社会での煩わしさや怒り、悩みなどを忘れることができる。そういうことを一瞬でも忘れることができるとどこか頭がさっぱりして癒された感じがあるのだけど、この「スプートニクの恋人」はそれほど現実から乖離するというわけでもない(確かに現実離れした美しさはあるのだけど)。にもかかわらず、なにか癒される感じがする。だから、この作品は他の村上春樹の作品とは一風変わったように感じるのだ。

「ぼく」から見たすみれの魅力

ジャックケルアックの小説の登場人物みたいになろうと髪をくしゃくしゃにし、ワークブーツをはき、髭をはやせるものならはやしていただろうと言うようなすみれのいでたちには少なからず好感がもてる。その他にも「ぼく」からみたスミレの印象はそこここに挟み込まれるのだけど、その全てがすみれに対する愛情にあふれ、「ぼく」がすみれに恋していることは早くから分かる。朝早くに電話でたたき起こされようと、いくら自分を異性として見てなかろうと、「ぼく」は静かに彼女に恋している。その静かさと強さは「ぼく」のイメージとして作中にずっとあるのだけど、それが情熱的に揺らぐ時がある。すみれの引越しを手伝ったときの彼が見せた心の激しさは、今までが静かだった分余計に印象的だった。でもそれはすみれへの気持ちの描写に重みが出たように感じ、冷静で知的だった「ぼく」の人間的なものがかい間見えたところだったように思う。
なんにせよ、「ぼく」が描写するすみれはどこをとっても魅力的だ。村上春樹の作品では魅力的な女の子がたくさん出てくる。ノルウェイの森」のミドリも、「ねじまき鳥クロニクル」の笠原メイも、「羊をめぐる冒険」のキキも、それらは枚挙にいとまがない(そしてそれを読むたびに、若い頃は仕草を真似たり言い方を真似たりしたものだった)。そしてすみれも当然その中に入る。他の本とは違い、「ぼく」から見たすみれの描写なので、若干恋のフィルターがかかっているのかもしれないが、それはそれで、十分魅力は伝わる。この「ぼく」がいうすみれの描写もこの本で好きなところだ。
あくまで話として書かれているのだけど、すみれがしたかった仕事がジャックケルアックが体験した「山火事監視人」というのが、彼女の魅力をよく現している。それにしても小説に書かれている仕事で素敵なものは多い。「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンがいった、「ライ麦畑から落ちないように子供を見張っている役目」もよかった。物語の中とはいえ、こういう仕事の描写がでてくるとワクワクしてしまう。そしてそういうものを望むすみれのことも、よりたくさんわかる気がする。

すみれが行方不明になってから戻ってくるまで

村上春樹の作品では、自殺・失踪といったものはよく書かれる。いきなり行方不明になり、何事もなかったように戻ってくるという話もよくある。この話も、すみれはミュウと訪れたギリシャで着の身着のままの行方不明となる。物語は最終的にすみれから何事もなかったように電話がかかってきて終わる。なので話としては、すみれがいなくなってから「ぼく」がギリシャに渡りミュウと出会い、彼女を探すところが大事になってくる。ミュウの謎もギリシャの街並も、すべてが絵画的に美しく、それはまるで芸術的な映画を観るようだった。しかしそれほど内容が深いというわけではない印象もある。なぜなら、一人の女性を捜す作業はよく村上春樹の作品で出てくる。「ダンス・ダンス・ダンス」でもキキを捜し続け、「ねじまき鳥クロニクル」でも失踪した妻を捜し続ける。そこには暗さと絶望、焦りと隠しきれない怒りなどがない混ぜになった感情が感じられたのだけど、この「ぼく」が捜し続ける様子はそれほどの深刻さが感じられなかったからだ。それはすみれがいつか帰ってくるという確信がどこかにあったからかもしれない。行方不明になってからそれほど日がたっていないこともあるかもしれない。にしても、どこかのんびりした感じが見受けられ、それは小さな違和感となって心に残った。
話が破綻しているとかそういうことでなく、そのような小さな違和感だけでここまでこの作品を読まないという理由にはならないと思う。いいところのほうが多いはずなのになぜそうなっているのかがわからないので、今からもう一度この作品を読んでみようと思う。

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他のレビュアーの感想・評価

これほどのゲス解釈はあるまい!というくらいやってみました。怒らないでねハルキスト

村上作品解釈、正直疲れませんか?私は氏の作品は大好きで、小説として発表されているものは全て読んでいる。村上ファンなら誰もが試みる自分なりの解釈、本書評サイトでもダンス・ダンス・ダンスまでの作品に自分なりの解釈をしているので、是非ご一読願いたい。読んでいただければ私がどれほど村上作品を愛しているかご理解いただけると思う。その私を持って1992年発表のねじまき鳥以降の作品の解釈には、徐々に喜びより疲れを感じるようになってきた。実際、国境の南、太陽の西までは細かい謎はある程度わきに置いても、大筋で読めて、その部分だけで感動できる。読後の感動があってこそ、後追いで細かいところを解釈していく喜びがあるのだ。しかし、ねじまき鳥クロニクル以降、解釈を考えながらでないと大筋そのものが分からない、という作品が書かれて行く。最初はそれを読者への一つのサービスと受け取って皆解釈していたけど、何作も続くと、そ...この感想を読む

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