めちゃくちゃなのになぜか愛すべき体験談エッセイ - アマニタ・パンセリナの感想

理解が深まる小説レビューサイト

小説レビュー数 3,368件

アマニタ・パンセリナ

4.174.17
文章力
4.17
ストーリー
4.33
キャラクター
4.17
設定
4.00
演出
4.50
感想数
3
読んだ人
3

めちゃくちゃなのになぜか愛すべき体験談エッセイ

4.04.0
文章力
4.0
ストーリー
4.5
キャラクター
4.0
設定
4.0
演出
4.0

目次

暗くない、ありとあらゆるドラッグの摂取体験談

この本はエッセイの形をとって、中島らも自身が経験したありとあらゆるドラッグの効果や中毒性、その時の様子を書いたものとなっている。中島らもの作品は中学の頃に読んだ「獏の食べのこし」と長編「ガダラの豚」だけど、その時はこれほどの様々なドラッグの中毒の経験者だということは知らなかった(もしかしたら「獏の食べのこし」は今読めばそういったことを感じさせる文章があるのかもしれないが)。らも自身は非合法のドラッグには手を出さないというプライドがある。騙されて覚せい剤を経験したことがあっても、それを愚劣でおぞましいドラッグと切り捨てている。そして彼のドラッグに対する基本姿勢やそれに向かう原動力は、好奇心が主なように感じられる。だからこそ数々のドラッグを扱っているのにもかかわらず、このエッセイにはどこにも暗さを感じない。もちろん中毒になっている時はそのドラッグがないと体が動かないため、怪しまれないように毎回同じ薬局にいかないようにするとか、簡単に売ってくれる薬局を探すとかそういうところには余念はないのだけど、そこでさえ暗さがない。テーマは暗いのに、それを感じないというのはなかなか面白い発見だった。
タイトルになっている「アマニタ・パンセリナ」はテングダケの学名である。数々のドラッグを試した体験を語る本のタイトルが毒キノコの学名というセンスが、中島らもの愛すべきところだと思う。

体験だからこそかける中毒の怖さ

中島らもは様々なドラッグの中毒になっている。その中には咳止めシロップなるものもあり、そういうものでも中毒性があるのかと驚いた。そしてその禁断症状の数々は淡々と書いてある分その辛さがじわじわと伝わってくる。それでもそれに暗さはないのだけど、その禁断症状の最中に「ガダラの豚」が執筆中だったことに驚いた。あの小説は文庫サイズだと1巻~3巻までの超長編なのだけど、よく書けたものだと感心した。
その咳止めシロップの禁断症状の様子は、ただ自身の体の不調やだるさだけを描写されており、この時どう思ったとかどのように感じたのかはまるで書かれていない。終始客観的にその状況を観察しているようにさえ感じる。文中、「僕は馬鹿だが、かつて一瞬でも悲惨であったことはない。」という文章がある。その文章は後々まで妙に心に残ったのだけど、この本が暗くないところはそこにあるのだと思う。
禁断症状に悩まされながら韓国旅行に行く場面がある。そこで毎日真っ赤なチゲを食べ(このあたりは余計な修飾語など何もないにもかからわず、かなりおいしそうだ。ここを読むと必ず辛いものが食べたくなる。)、みるみる体調が戻ってくるところなどはこちらも何かどんどん体に力が漲ってくるように感じられ、好きな場面の一つだ。

中島らもの文章の魅力

彼の文章はきっぱりとしてわかりやすい。それほど長い文章や比喩などはあまり見られないのに、頭の中にその情景がありありと浮かぶ。そのため彼の禁断症状の時やドラッグが効いているときの様子などがこちらに伝わってきて、若干の酩酊感さえ感じられたくらいだった。だからこそ、この本はエッセイにもかかわらず読むのにパワーがいる。客観的に書かれておりその上文章に無駄がないからこそ、その様子が明確に伝わってくるからだろう。
またドラッグが効いているときに見える色彩の美しさは、それほどのものが見えるのかと少しうらやましくなった。村上龍の小説でも奥田英朗の「純平、考え直せ」でも、ドラッグが効いているときの風景の描写があるのだけど、そのどれもが色彩のその鮮やかさが強調されていた。そしてそのどれもがドラッグをテーマにしたものではないから当たり前だけど、やはり体験している数と年数が違う分、中島らもの文章が圧倒的にそれを上回っている。そしてその圧倒的な描写によって、こちらもまるでドラッグが効いているような感覚にさせられてしまった。

ありとあらゆる本からの引用とその研究熱心さ

幻覚成分メスカリンを含むサボテンであるペヨーテを栽培し、乾燥させるくだりはとても興味深い。それがとても苦くまずいので噛みながら日本酒で流し込むところなど、だいじょうぶかなと心配になりながら読んでいった。そしてこの章だけではないのだけど、様々な参考資料のタイトルがでてくる。このペヨーテを嗜むのはメキシコインディアンの風習だからその儀式の一部始終とか、またそれを研究していた毒物学者のこととか、メスカリンだけを抽出したことによって世の中に与えられた波紋であるとか、そういったことが実によく研究されている。自らドラッグ(これは毒と表裏一体であるということは知られているとは思う)を試してみるだけでなく、様々な本を読みそのドラッグ成分に精通している。この知識量は半端ではないと思う。
ある両生類の研究者がその研究対象の猛毒のヘビにある日指を噛まれ、そのまま病院にも行かずに噛まれたその毒が体に回ってどのような症状を及ぼし死に至らしめるかを逐一記録し、そのまま死亡したという事件があった。発見した妻が救急車を呼ぶというと「今までしてきた観察が無駄になる」と治療を拒否したことも知られている。これほど極端な話ではないのだけれど、この本を読むと(特にこのペヨーテの章)この逸話をいつも思い出す。

数々のドラッグ体験者の名前に驚き

ストーンズのキース・リチャーズはあまりにも有名だけど(映画「フォーチュン・クッキー」でオーディションのために、見た目が娘で中身が母親のアンナが、見た目が母親で中身が娘のテスに指導をされながらギターを持たされるシーンがある。キース・リチャーズの真似をして!というテスに、真面目な母親が中身であるアンナは「彼は麻薬中毒者よ!」と情けない顔をする。そこはあの映画の中でも好きなシーンのひとつだ)ジョン・レノンもそうだとは知らなかった。なんとなくビートルズはそういったものとは無縁な、平和で清潔なイメージがあったので驚いた。奥田英朗の「ウランバーナの森」ではジョン・レノンがモデルであろう主人公が昔の若気の至りでドラッグをしまくる場面があり、これはビートルズサイドから苦情がこないのかなと心配になったものだったけど、本当だったのかと納得した話だった。

なにか平和なフーテンの居候軍団

中島らもの家にドラッグ好きな居候がどんどん集まって住み着いていた時期があった。そこの描写が個人的にはとても好きだ。皆ドラッグのためだけに生き、体験談を話し合い、物分りのいい薬局を調べ、そこには悲壮さのかけらもない妙に牧歌的な生活だった。そのような環境に妻と子供も同居していたのいうのだから驚いた。奥さんもなかなかの肝の据わった人に違いない。
そこに住んでいたカドくんが一番印象深い。興味本位で、彼の「腐っていくテレパシー」というバンドの曲を一度聴いてみた。ギターの音が特徴的でそこに刹那的な何かを感じる、彼の心の風景を垣間見たような音楽だった。

うつ病とドラッグ中毒とアルコール中毒と

数々のドラッグやアルコールなどの中毒症状(ドラッグの禁断症状をアルコールでごまかしたりするという無茶振りもさることながら)よりも、うつ病になって自殺願望が出ているあたりが一番怖かった。彼はもう本来なら何回も死んでいたのだろうと思う。陳腐な言い方だけど、生きるべき人はその時がくるまで生かされるものなのかもしれない。わかぎえふが急に訪ねてきたあたりはそれこそ神懸った出来事だと思う。
もう彼はいなくなってしまったけど、その最期はやっぱり中島らもらしいものだと思った。

あなたも感想を書いてみませんか?
レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。
会員登録して感想を書く(無料)

他のレビュアーの感想・評価

関連するタグ

アマニタ・パンセリナを読んだ人はこんな小説も読んでいます

アマニタ・パンセリナが好きな人におすすめの小説

ページの先頭へ