事件の背景に思いをはせる - 約束された場所での感想

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約束された場所で

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事件の背景に思いをはせる

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目次

インタビュアとしての資質

1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件。オウム真理教の信者、と元信者8人に村上春樹自身がインタビューした内容をもとに構成されています。まず読後思うのは、インタビューをする村上春樹のこの姿勢があったからこそ、彼らの内面を言葉として引き出し、この事件の裏側にある不可解な背景を紐解くための機会を作り出せたのではないか、ということです。

事件に対してただ善悪を判断するような単純な目線ではなく、彼らに何か教え諭すわけでもない、ただあなたのことをもっと知りたいんだけど、という日常の人間関係によく見られる会話の延長のような、自然さを失わないインタビューの前で、どのように教団に出会い、どのような気持ちでのめり込み、または途中でやめることになったのか、など彼らは少しずつ語り始めます。

彼らが起こしたあまりにも残酷で、大きなショックを受けた事件を思えば、それに関わった人間はぜひ特殊な人物であってほしいと思うのですが、残念ながらその願望はインタビューを読めば読むほど薄れていくような気がしました。

のめり込んでいく理由

インタビューの中でとても気になったことがあります。「オウムの本を読んでいちばん心地よかったのは、この世界は悪い世界であるとはっきり書かれていたことです。僕はそれを読んですごく嬉しかった。」彼は入信後、オウム真理教で修行する仲間たちに自分と同じ弱みがあることを知り、考え方に変化が生まれたと語っている人物です。

いろいろなアプローチの仕方でそれぞれが入信するわけですが、まず現状に不満がある、というのが共通する出発点です。ただその裏側にある、なぜ自分だけ、どうして自分だけが認めてもらえないのか、という自分に向けられた強すぎる意識があるように思えます。そしてそこには、エリートと呼ばれる人間が多く集まったといわれる教団だからこそ、こんなに努力してるのに、という思考がプラスされているような気がしてなりません。

彼のように、似たような人間が集まったときに初めて自分という人間を外側から見る体験をし、教団に入ることの意味を問い直すことができる人間がいたり、実際に教団を離れていく人間もいれば、逆にのめり込んでいく人もいます。その分岐点はどこにあるのでしょうか。あるインタビューの中にヒントを見つけました。

オウムは他の教団と何が違うか、という質問に対して、身体的な修行がとてもハードであること、それを成し遂げてこそ世の中を変える力になる、という考え方にリアリティを感じた、という返答がありました。彼らをグッと惹きつける理由はそこだと思います。それは教団の望むように体や頭を鍛えれば鍛えるほど、認められ階段を上がっていけるという、教団が用意したストーリーです。それは現実の世界で彼らが満足を得られなかったであろう部分を、しっかり拾い上げるものだったのでしょう。

他人をまきこむということ

ではそのストーリーに魅せられた彼らが、事件を起こすという次のステップに及ぶのにはどんな背景があるのでしょうか。

「教団の人たちはつい現世の人たちを見下してしまうんですよね。」

精神的に、肉体的に厳しい修行を経て、次に目を向けるのは教団の外の世界の否定です。ストーリーによって高められた彼らの独自の正義感が、外の世界へと向かってしまうのです。著書の中で河合隼雄が「オウムは善と信じているからこそあんな無茶苦茶をやった。善が張り切りだすと恐ろしい。」と言い、「麻原彰晃がつくり出した物語が彼を超えてしまった」と村上春樹が言っていた、言葉そのままのことが起きていたのだと思います。

「出家するときに自分をすべて投げ捨てることによって、彼らは現世のものをすべて終わりにしてしまっているわけですね。」生きているにも関わらず、現世と縁を切るという手段のために使われる出家という言葉は、さらに自分たちは特別だという気持ちを高ぶらせ、事件が起きてもあたふたしないのは修行の成果だ、という思考がより危険な方向に傾いていく様子が想像できます。

「残念なことに現実性を欠いた言葉や理論が往々にして強い力を持つことがある」と村上春樹のこの言葉は、誰にでも起こり得ることだと感じました。人間は結局自分の都合の良いことしか耳に入らない、し都合の良いように解釈しようとする生き物なのだと思います。そのときそのときの心の状態にピッタリ合うものにリアリティを感じるようにできているのかもしれません。だから現実への失望感が強ければ強いほど、このオウム真理教のような特定の考え方、ストーリーに引き寄せられていくのでしょう。

でも、この本を読むことで背景の一部を知った後でも、起こった事件に対する自分が持つ気持ちに変化はありません。変化があるとすれば、ただ恐ろしかった、という事件にしてはならないという気持ちが生まれたことです。そして、自分を含めた、家族やまわりの人間も、こういう事件を起こす加担をする可能性がゼロではないことを知っただけでも実になったと感じています。

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