幻想的なヒロインの美しさが魅力 - あの頃ペニー・レインと 特別編集版の感想

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幻想的なヒロインの美しさが魅力

4.04.0
映像
4.0
脚本
4.0
キャスト
4.0
音楽
4.5
演出
4.0

目次

Almost Famousという青春時代

一見する邦題から70年代の香りが漂ってきそうなこの映画は、原題を「Almost Famous」という。全米をバスでツアーしながら「ローリングストーン誌の表紙に載りたい」という位置にいる新進のロックバンド・グループと、“有名になる寸前”つまりもうすぐブレイクしそうな、いわばもっとも躍動的で輝いているバンドをマークして追っかけるグルービーたちが繰り広げる、華やかで若さに満ち溢れた世界観が魅力だ。最大の華は、ビートルズのヒット曲に因んだ“ペニーレイン”という美しい少女と、主人公である16歳のロック・ジャーナリストとの間に芽生える友情のような恋愛感情だろう。

2000年に公開されたらしいが、当時は少しも知らなかった。この年のアメリカ映画といえば、観たのはディズニーアニメの「ダイナソー(Dinosaur)」くらいで他はあまり記憶にないのだが、始まりからは想像できないようなほのぼのとしたエンディングが心に残り、なかなか良い作品だと思った。主人公と同じ年頃でロックに憧れた人はもちろん、あまり洋楽には関心がなかったという人でもどこかヒリヒリするような緊張感や何の根拠もない自信や特別感など、あとで思い返すと恥ずかしくなるような青春時代特有の日々が蘇ってくるのではないだろうか。

ツェッペリンに違いない

かくいう自分は80年代から洋楽を聴き始め、さかのぼってレッド・ツェッペリンやセックス・ピストルズなどを聴くようになった部類で、「商業化されたロックンロール」しか知らない世代だ。あとで調べたところによれば、この作品はキャメロン・クロウ監督の自叙伝的作品だといわれていて、実際に15~16歳のときにローリング・ストーン誌の記者としてツェッペリンやニール・ヤングなどと交流した体験をもとに製作されているらしい。「スティルウォーター」というバンドは架空のグループなのだけど、どうりでメンバーの顔ぶれなどが何となくツェッペリンを彷彿させるわけだ。

ギタリストのラッセルが「I Am A Golden God(オレはピカピカの神だ)」と騒いでプールに飛び込むシーンは、実際にレッド・ツェッペリンのロバート・プラントが叫んだ台詞だという。この時代を象徴するアイテムのひとつであるドラッグだが、「絶対ダメ」とママに釘をさされている主人公のドラッグに対するイメージは、薬物にあまり縁のない一般のわたしたちに近いものがある気がして共感できる。親の言いつけを忠実に守り、オトナの奇行に戸惑う少年ウイリアムの表情がかわいい。

母の葛藤と秘められた先達のドラマ

夫に先立たれ、一心に子育てをしている母親の存在も見逃せない。エレイン・ミラーを演じたフランシス・マクドーマンドはこの作品で数々の映画賞で助演女優賞を受けている。教育者としての立ち位置から切り口上で説き伏せる傾向が強いものの、最後まで子どもたちを信頼して見守る母親の姿は印象的だった。彼女が大学の講義を投げ出してしまうシーンで「息子が心配で集中できない」とこぼすエイレンの言葉をノートに書き取ろうとする受講生の姿は、母親の孤独な葛藤や子供の自立を見守ろうとする決意が暗示されているようで、上手い脚本だなと感じた。

この作品に奥行を与えているクリーム誌の編集長レスター・バングスも非常に味わい深いキャラクターだった。最初から最後まで“名わき役”と呼ぶにふさわしい存在感を放ちながら、作品中で描かれている人物像や当時の時代背景をとても上手く補足している。ジャーナリストの心得を少年にレクチャーする彼が、かつての自分を投影していることは明らかだ。ここに語られることのないもうひとつのドラマが浮かび上がってくるところもお見事だと思った。もう少し少年ウィリアムとの関わりを見たかったという気もするが、きっとあれで十分だったのだろう。演じているフィリップ・シーモア・ホフマンは、40代半ばという若さで亡くなったアメリカの俳優だ。死因は薬物の過剰摂取だった。

「ロックは死んだ」

「ロックは死んだ」というホフマンの台詞は、この時代の西洋音楽史に欠かせないキーワードのひとつだ。かの有名なイーグルスの「Hotel California(ホテル・カリフォルニア)」は、70年代を代表するような名曲だが、その抽象的な歌詞も「死んだロック」つまり商業化されたロックン・ロールへの哀悼を歌ったものだといわれる。それまで若者たちのものであり彼らの表現法そのものだったロックが、ビジネスとして成立すると目論んだオトナたちによって商業主義の娯楽商品になってしまった。

1969年(昭和44年)8月から4日間にわたりニューヨークで開催された野外コンサート「Woodstock Music and Art Festival(ウッドストック・フェスティバル)」の主催者が、レコーディングスタジオの建設を目的に40万人もの観客を集めたことがその引き金になったともいわれる。ちなみに、ホテル・カリフォルニアの冒頭に歌われている花“コリタス(colitas)”はマリファナのことを指す。ホフマンがコリタスの香り漂う中で堪能した世界は、大衆化されたロックなんかでは味わうことができない高揚感と特別感を備えていたのだろう。

名前を口にするのも恥ずかしいほど趣味の悪い邦題をあてがわれる洋画も多い中で、この映画の邦題を「あの頃ペニー・レインと」と名付けた人の感覚は正しいと思った。今より未成熟で暗かった時代に、何かに熱狂した“あのころ”への郷愁に寄り添うかのような、良いタイトルだと思う。少年ウイリアムは、謎の美少女ペニーレインとともに大人になっていく。

カリスマの消滅

最初は自分とかけ離れたところから手招きする特別な存在だった彼女が、最後は自分に命を助けられ、庇護される立場になる。その辺のグルービーとは違う“バンド・エイド”を自称していた少女が、ブレイク寸前のロック・スターから使い捨てにされた。強い信念をもつ自分は特別な存在。ペニーレインに独特の雰囲気を与えていたそんな“特別感”という幻想は敢え無く崩れ去り、等身大の少女「レディ」が姿を現す。それと同時に少年の冒険も終わりを告げる。

このまま静かに終わるのかと思いきや、複雑な人間関係や性癖を暴露しあう飛行機でのシーンだ。映画は一気にコメディ・ドラマになってしまう。実際のロックバンドも似たようなものだろうと想像してしまった。飛行機から降りて出口へ向かうシーンでは、人知れずゴミ箱に頭を突っ込むウイリアムの姿だけが怒涛のカミングアウト劇の余韻を残す。そして、やはり最後に待っていたあっけない別れも切なかった。

世界の消滅

夢の欠片を拾い集め、なんとか記事を書き上げたものの、まるで魔法が解けたように置き去りにされてしまうウイリアム少年。あれほど「リアル」で喜びに満ちた時間のすべてが幻想になってしまった。子どもが大人になるとき、あるいは価値観の変化に自分自信の成長を自覚する瞬間、喜び以外の感情を伴うことがある。人生は期待するほど素晴らしいものではないと気付くときがくる。

おそらくそれは、間違った期待をしていることが原因だろう。家族の絆より一過性の趣味に没頭する自由を選んだり、人生の節目を刻むことよりもドラッグの恍惚感を選ぶ感受性で期待する幸せが虚しいのは当然だ。しかしそれでも、あの頃の希望の輝きを忘れることができないのが人間なのだ。幻の「ホテル・カリフォルニア」のように、気付けばいつも同じ場所に戻ってしまう迷宮だ。ラッセルが証言を撤回したり、母娘が和解の抱擁をするシーンで「許す」と言う母に「謝らない」と返すアニタの台詞が象徴的だった。

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