どちらかというと、あまりビューティフルじゃない映画 - BIUTIFUL ビューティフルの感想

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どちらかというと、あまりビューティフルじゃない映画

3.03.0
映像
4.0
脚本
2.5
キャスト
2.5
音楽
1.0
演出
2.5

目次

BIUTIFUL

イタリア映画と勘違いして何となく観始めてしまったのだが、なんと人生初のメキシコ映画だった。1997年(平成9年)に公開されたロベルト・ベニーニ監督によるイタリア戦争映画の名作「ライフ・イズ・ビューティフル(La vita è bella)」が脳裏によみがえったせいだと思う。まるでドキュメンタリーのような貧困家庭の食卓シーンが印象的なこの映画。霊視が始まった時点でリタイアしようかとも思ったのだが、ちょっと惹かれて結局最後まで見てしまった。特に最初のシーンが美しく、何より色合いが良いのだ。主人公と謎の対話をする、謎の青年。さらに、邦題「ビューティフル」では分かりにくいが、原題の綴りが“BIUTIFUL”になっている理由についても知りたかった。

過去にも結論から先に言うと、「ビューティフル」というタイトルは何の暗号だったんだろう?というほど、私には難解だった。今まで見たどの映画とも違って、おそらく今まで見た洋画の中でもっとも気持ちの悪い映画だったと思う。エンドロール間際では気持ちの整理がつかずに焦ってしまった。「え、ちょっとまって、どうしてくれるのこの感じ!」と実際声に出してしまった。後で調べたら、映画倫理委員会で12歳以下は保護者の同伴が望ましいとされる「PG12指定」だった。この映画を子供に見せようと思う親に映画の感想を聞いてみたい。

映画の救い

好きな映画のひとつに、 1987年(昭和62年)の西ドイツ映画「バクダッド・カフェ(原題はOut of Rosenheim)」がある。荒涼としたモハーヴェ砂漠の寂れた町から始まる物語が、最後には心温まるハッピーエンドへと展開する名作だ。重たい映画を観るとき、人は祈るような思いで救いを求めている。そして殺伐としたシーンの中に一条の光を見出すことができたとき、感動するのだ。ところがこの映画には最後まで救いがないのだ。

まず、社会の最も底辺で生きるためだけに生きているような人々に感情移入しなくてはならないのが辛い。おいしいものが食べたいという子供たちに、ユーモアで誤魔化しながら質素な食事を与える父親の心境も想像したくない。そんな、できれば人生で直面したくないと思うシーンが延々と続くのだ。人間が生きて行くって、つまりこういうことなのかと絶望的な気分になってしまう。実際、バルセロナの街だけでなく、世界中のさまざまな土地の片隅に、こんな生活を余儀なくされている人たちがたくさんいるのだろう。

「BIUTIFUL」とは、子どもに“Biutiful”の綴りを聞かれた主人公・ウスバルの答えだ。おそらく恵まれない子ども時代を過ごした主人公は、父親の顔も知らない。学歴もないから汚い仕事で日々の生計を立てている。中国人不法労働者たちが雑魚寝するタコ部屋は、お世辞にもビューティフルとは言えない。決して這い上ることのできない社会で、男手ひとつでふたりの子どもを育てなくてはならない。唯一の財産である肉体はガンに蝕まれ、血尿が出るほどの末期状態。これが地獄でなくてなんだろうという状況だ。

まさかのオカルト

登場人物たちの演技があまりにもリアルで、いつしかドキュメンタリーを見ているような錯覚に囚われていると、成仏できていない幽霊がいきなり鏡に写ってギョッとさせられる。一周まわって笑えるレベルのカオスだ。不法労働者が一酸化炭素中毒で大量死するシーンは衝撃だった。変な言い方になるが、かなり見応えのある場面だ。二度と観返したくない。子どもの死骸のクオリティがちょっと残念だった。次に襲ってくるであろう超怖いオカルトシーンに備えて身構えたが、普段ほとんどホラーを観ない者にはそれでも刺激が強かった。

どの登場人物にも感情移入したくないという、ちょっと珍しいこの映画の中で、私はウスバルの妻マランブがいちばん好きだった。躁状態のときには長い鼻を鳴らしながら早口でまくし立て、鬱になると本当に惨めな顔をして泣く女。我ながら愚かだけれど、どうしてもうまく生きられないという悲しみや、絶対に子どもを託したくないタイプの母親像が見事に演じられていて、それでも子供たちの将来を託したいという主人公の祈りにも似た思いや葛藤がヒリヒリするほど伝わってくる。

自分の甘さが嫌になる

中盤の救いはウスバルと同じ不思議な能力をもつ霊能者・ベアの存在だろう。ウスバルと一緒になって泣きすがりたい衝動に駆られてしまうのだが、ふたりのそれまでの経緯がまったく語られていなかったこともあり、なんとなく心許なくて却って孤独感が募る。最後のときには子どもたちにと言って手渡したものは、ただの黒い石ころのようだった。いざと言うとき、これが何らかの威力を発揮してくれるのだろうか。実はとても高価な品物で、生活苦から救ってくれるのだろうか。いろいろ想像してみたが、そんな甘えた依存心はこの映画に相応しくない。

自分って、つくづく甘い人間なんだな。と少しブルーな気持ちになった。私がいわゆるカルト宗教に関心がないのは、何かに縋らないと生きていけないほどの心細さを経験したことがないからなのかもしれない。 同じように、エクウェメの妻・イヘの存在も微妙に考えさせられる。最後に生活費を託されたイヘは、お金を持ち逃げしようと空港まで行ったのだろうか。おかしな因縁から主人公の最期を看取ることになったセネガル移民の妻。子どもたちがそれほど懐いているとも思えない彼女にあとを託さなくてはならない心細さに泣きたくなる。トイレでうずくまるウスバルには、戻ってきた彼女の声しか聞こえなかったが、「やっぱり、戻ってきてくれた」という気持ちにはなれなかった。

ほかにも嫌なシーンは沢山あった。神経を逆なでするような音や映像、残忍でグロテスクな浜辺のシーン。途中で何度か挫折しそうになりながら、結局最後まで観てしまった。何が一体「ビューティフル」なのかは分からないが、途中で幽霊として浮遊していた主人公が、最後は父親のもとに辿り着くことができたのは救いだった。最初に登場した謎の青年は、息子である主人公よりも年若くして亡くなった父親だったのだ。

余名を宣告された後で、あれほどの酷い状況なかでも投げやりにならず、淡々と成すべきことをやり遂げた主人公が「ビューティフル」なのだろうか。寒さに震えるタコ部屋の中国人に安いヒーターを買ってやった主人公は、安い欠陥品をあてがったことで彼らを中毒死させてしまったことを悔いていたが、天の神さまはそんなことを咎めたりしないのだということだろうか。

生きることは失うこと

この映画の監督はメキシコ人で、あとで調べてみると過去にも独特の映画を製作して話題になっているようだ。途中で気分が悪くなる人が出たらしい。人を不愉快な気分にさせる才能に長けた監督なのだろう。これは決して批判しているのではない。人間は快を良いもので不愉快は悪いものと決めているところがあるが、これらは本質的には同じ「刺激」だと思うのだ。そこを敢えて「不快」を通して訴えるのはすごいと思う。

監督は、「人は失ったものでできている」との名言も残しているそうだ。人生は失うことの連続であると。この映画は万人向けではないと思うが、もっと深読みすればさらに味わい深い作品となり得るのかもしれないと思った。もう一度見たいと思えないのが残念だ。

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