手塚本人は「駄作」と言うがそんなに悪くないぞ! - やけっぱちのマリアの感想

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やけっぱちのマリア

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手塚本人は「駄作」と言うがそんなに悪くないぞ!

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画力
3.5
ストーリー
2.0
キャラクター
4.0
設定
1.0
演出
1.5

目次

作品背景・手塚の悪癖:対抗心によるコンセプトメイク

手塚治虫による性教育漫画3作の一つと言われる本作、手塚本人が「駄作」と言っておりミもフタもないが、では見るところがないかというとそうでもない。

本作作成の背景を考慮しつつ、功罪を考えてみよう。 

全集発刊の際の本作のあとがきに手塚は以下のように書いている。

*****

ちょうど、この当時子どもの性教育の見なおしが叫ばれ、(中略)少年誌に大胆な性描写やはだかが載りはじめた時代です。(中略)ぼくたちが少年漫画のタブーとして、神経質に控えていた性描写が破られて、だれもかれも漫画にとりいれはじめたので、こんなばかばかしい話はない、こっちはかけなくて控えていたのじゃない、かきたくてもかけない苦労なんか、おまえたちにわかるものかといったやけくそな気分で、この駄作をかきました。

(「やけっぱちのマリア」2巻 あとがきより)

*****

上記のような事情で書きはじめたこの作品、同時期週刊少年ジャンプに連載して話題を博した「ハレンチ学園」に対抗した作品、という話もある。

そもそも彼は対抗心が強いらしい。水木しげるを中心とした妖怪ブームがくれば妖怪を書き、白戸三平の忍者モノ流行ればそれに対抗せずにはいられない。そして単に流行りのスタイルを踏襲するわけではなく『自分なりの書き方』にこだわるのは『漫画の神』と言われる手塚のプライドだろう。

とは言えそのプライドが全て良い方向に向くわけではない。前述の妖怪ブームに対抗して書き始めた「どろろ」はキャラが際立っているので数十年を経た今でも高い人気を誇っているが、内容は一貫性が無く微妙な仕上がりになってしまっている。

劇画を意識した「奇子」、芸術を題材にした「ばるぼら」なども光るところはありつつも名作とは言い難い。(この時期に書いた「きりひと賛歌」は劇画を意識しつつも医療の闇に焦点が絞られておりかなりの名作である。)

彼の場合、ストーリーのテーマ性よりもコンセプトが先行した場合、どうも今一つの作品になってしまうように私は分析している。特に他者への競争意識で書いたものはもともと得意な土俵でないだけにかなり不利だ。

漫画の神様といえどもそのあたりの見切りが難しかったのだろうか。

そんなわけで本作も作者自らが「駄作」という結果になってしまった。では何が悪かったのか、以降で具体的に考えてみたい。

本作のしくじりポイント

私が思う本作のしくじりポイントは、「性」を取り扱うにあたって「美」や「喜び」「快楽」の方に行かず、「知識」「性教育」の方に行ってしまったことだ。

いかに性的表現がオープンになった時代とはいえ、少年誌に載せるには難しい内容なのは誰の目にも明らかだ。それを認めさせる方法として、手塚は「大人目線」で、「正しい知識を子供たちに教える」と考えてしまった。

しかし読者は「教えてもらう」ために漫画を読むわけではない。「楽しむ」ために読むのだ。

では本作は「楽しい」か?

やけっぱちとマリアの二人はキャラは立っていて悪くない。しかし説明部分が流すぎて、読みにくくなっている。柔らかく関西弁を入れたりギャグを入れたり、と工夫はしているが、教科書っぽさが否めない。

ざっくりした表現になるが、子供にとって「教科書」とは「楽しみ」の真逆の存在、あまり近寄りたくないモノなのだ。

前述の「ハレンチ学園」はエロ描写全開のナンセンスギャグを中心としている。途中から学園内の戦争で次々と人が死んでいくというこれだけ書くと?な要素もあり、永井豪特有のバイオレンスシーンも多いため、好みはかなり分かれるだろう。正直私はあまり好まない。しかし娯楽性は高い。

その意味で、「俗悪」のレッテルを張られても漫画としての意味がある。やっぱり漫画は娯楽なのだ。面白ければある程度のことは許される、それが漫画なのだ。

鉄腕アトムなどは「面白い話」を読んでいるうちに科学に興味を持つ、という意味で結果的に教科書を後押しする力がある。しかし本作は面白さを減らして教育に走ってしまっている。これでは漫画誌に載せる意味が無い。いや、意味があるのかないのかは誰もわからないが、漫画の本来持つポテンシャルを大きく損なっている。もともと教科書だったものをを漫画にすると文章より読みやすいというメリットはあるが、教科書は所詮教科書、感動を誘うものではないのだ。 

ではどうすれば?手塚の得意なSFで正しい性知識を伝える方法

いくつかの方法が考えられるが身体知識や性交のプロセスを正しく教えたいのであれば、以下のような方法はどうだろう。SF映画「ミクロの決死圏」のようにキャラクターを微小化して人体に入り込ませ、受胎や出産の困難をストーリー自体に組み込んでしまえば良かったのではなかろうか。

手塚得意の近未来の設定にして、不妊で苦しむ人の妊娠や出産を体内から助ける特殊部隊に所属する主人公とマリアの冒険活劇にする。

第1部は精子と同サイズになった二人が卵子までの到達を援護する。精子同士の争いを擬人化したり、果てしない競争の末受胎するシーンやその他の精子は犠牲となって消えていくなど、書き方でスペクタクル感とカタルシスを表現することは可能だと思う。

無事受胎した卵子を危険から守るパートを第2部、出産に至るまでを3部として、その間に粗野で女性に乱暴する傾向があった主人公が、正しい愛に目覚めていく。主人公の成長と、同僚マリアとの愛も描き、最終話で自分たち自身も妊娠する。

これであれば、ストーリーを読んでいるうちに受胎の神秘や出産の危険や苦労が理解でき、手塚が言う正しい知識があれば乱雑な性行為は減る、という方向に結びつかないだろうか?

キャラは結構いい味出してる

ここまで否定的なコトを書いたが、ここ以降は肯定的なことを書こう。主役二人はデザイン的にも結構イケてる。

やけっぱちは手塚得意の無頼で孤独だが根は優しく正義感が強い男子、これは必勝パターンで見た目も悪くない。同時期に書いている「ミクロイドS」は人間側の主人公マナブが見た目もイマイチで性格も感情移入できないのでそれに比べればはるかに優位だ。

ヒロインであるマリアもやはり手塚得意の活発系ショートヘア美人でグッドデザインだ。前項の全く違うストーリーにまでしなくても、主役の二人がいいので「性教育」部分を削ってもっと二人に絞り込めばもう少し面白かったのではなかろうかと思う。

更に、雪杉みどりはデザインが面白い。マリアがショーカットなので対抗してロングヘア、これは理解できるが、過去の手塚作品を見るとこのような場合、正統派クール美人系を使っていることが多そうだが、体を売りにするなどの狙いもあってか丸顔で釣り目の他の手塚作品にはあまり出てこない顔だ。

性格は今でいうところのベタなツンデレだが、デザインが面白いだけにもう一工夫ほしかった。

最終盤ででてくる羽澄マリ、外見は正統派清純女子で申し分ないが、さすがに唐突感が強すぎる。もう少し早く出てきてやけっぱちが徐々に惹かれていき、それに呼応して彼の分身であるマリアが力を失っていくとかもありだった気がする。

いかにマリアを思ったところで彼女は人間ではない。子供を残すこともできないし、寿命も短い。マリアとしては辛いけれどもやけっぱちがまっとうな人間に愛情を向けた時、わたしの役目は終わった、と感じて去っていく、というラストは泣けるかもしれない。自分の分身に恋するのは自己愛であって健全ではない、などの話も盛り込んで「正しく健全な性愛」を主張する手もあっただろう。

あるいは雪杉も含めた三すくみにしても面白かったかもしれない。(最近のラブコメなら絶対この方向だろう) 

見直してみると「駄作」というほどではない

もう一歩、手塚が踏み込んでいれば、もっと良かったのではないか。冷静に考えるとなかなか惜しい作品だ。どろろやアトムなどは近年現代風にリメイクされているが、本作も十分にリメイクに耐えるポテンシャルを持った作品だと私は思う。

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