現代人の孤独な心
作品のテーマと原作との違い
『ヴァイブレータ』は赤坂真理の同名の中編小説を映画化した作品。30代の女性ルポライターである早川怜(寺島しのぶ)が、コンビニで出会ったトラック運転手である岡部(大森南朋)と行きずりの旅をするという内容である。
原作は、怜の中学時代のトラウマが描かれ、自分の思考と発する言葉が乖離し、本当の自分は一体何者なのか、何が自分であるのかに戸惑い、摂食障害になる女を描いている。 一方の映画は、怜の過去はあまり描写されず、岡部とのトラックでの旅がメイン。自分自身を失っている二人の男女が、旅を共にし、肌を触れ合うことで、お互いの存在を確かめ合う物語となっている。
こう書くと、ロマンチックな恋愛モノのようだけれど、メロドラマとは毛色が違う。片や30代で摂食障害及び深い人間関係を築けない女、片や中卒で妻子持ちのトラック運転手である。この二人が深夜のコンビニで知り合って、行きずりの恋……なんてどう考えても綺麗な恋愛なはずがなく、決して格好の良い恋愛ではないのだ。しかし格好つけてないからこそ、人間関係が上手くいかない者達のリアリティを描くことができる。ロマンチックなだけの甘口な恋愛ドラマとは一味ちがう、観ていて心がヒリヒリするような感触の人間ドラマに仕上がっているのである。
寺島しのぶの出世作
今では大女優に成長した寺島しのぶの出世作といも言える本作。寺島しのぶの出世作となった所以を分析したい。
大胆なセックスシーンとフルヌードは、女優にとって切り札とも言える演技である。これらは“体当たり演技”などと称されて賞賛されることが多く、『ヴァイブレータ』でも岡部とトラックで何度もセックスする描写がある。
本作の“体当たり演技”の良いところはちっともそそられないことである。別に寺島しのぶに女性的魅力がないと言っているのではない。大胆なセックスシーンを裸でやっていても、そこにあるのは生生しさや格好悪さであり、ロマンチックなラブシーンに到底成りえないところが、実に良いのである。 本作のセックスシーンにあるのは、男女のロマンチックな愛ではなく、深い人間関係を築くことができない女が、男に触れることで自分自身の存在を確かめるかのようなセックスである。
作品の中で怜は岡部を見るなり「あれ食べたい」と心でつぶやくのだが、そのつぶやきが表す通りにまるで飢えた獣のようラブシーンを演じる。飢えたといっても、性欲にではなく、人間関係に飢えたセックスである。怜は孤独なのだ。故に観ていても、全くそそられない、ロマンチックの欠片もない、痛ましい“体当たり演技”になっている。
女性的魅力を売りにした“体当たり演技”は、若さと度胸さえあれば誰でもできる。しかし寺島しのぶのそれは、紛れもなく孤独を表現する演技である。こんなにそそられないセックスシーンを演じることができる女優はそうはいまい。故に本作は寺島しのぶの出世作なのである。
セックスシーン以外でも、摂食障害により吐くシーン、情緒不安定になるシーンなど、“体当たり演技”が満載だが、どれも痛ましい演技である。寺島しのぶを観ていると、心がヒリヒリと痛んでくる。ただわめいたり叫んだりするだけではなく、演技の傍らには、早川怜の孤独が必ずあるのだ。
原作小説を呼んだ寺島しのぶは、「怜は私だ」と共感している。寺島しのぶの演技を観て、これは私だと思う女性が果たして何人いるだろうか。現代における人間関係のディスコミュニケーションに悩む人間が果たしてどれだけいるのだろう。恐らく少なくはないであろうそんな人々にとって、寺島しのぶの演技は痛ましくも心の奥底に響くのである。
ロードムービー風演出と音楽
本作はロードムービー風の演出がなされている。監督の廣木隆一は映画『火花』や『きいろいゾウ』『ストロボ・エッジ』など、最近は旬の若手俳優を使って話題作を撮っている人物だが、元々はピンク映画出身の監督。濡れ場はお手の物である。
『ヴァイブレータ』では数々の濡れ場もさることながら、東京から新潟への行きずりの旅を音楽に乗せてロードムービー仕立てにした。風景の切り取り方がなかなか良く、新潟への高速道路の旅が観客にも感じられる作りである。
が、しかしである。ロードムービーを彩る音楽がいただけない。まず岡部と出会い、トラックに乗り込む時のラジオから流れる音楽。パット・ブーンの「April Love」。50年代アメリカの優等生バラードシンガーで、同名映画の主題歌。甘々でロマンチックな音楽にのっけからずっこけてしまう。せっかく孤独な二人の痛々しい旅路の始まりのシーンなのに、夢の国のような音楽をかけては台無しである。皮肉としても何とも悪趣味だ。
旅路の途中は、Keito Blowというアーティストのローリングストーンズやシェリル・クロウを思わせるロック。曲自体はノリが良くて悪くはないが、新潟への旅路には全く合わない。湿っぽい日本海側への旅に、乾いた大地の似合うサザン・ロックを合わせるセンスに首を傾げざるを得ない。音量もやたらでかい。
雪国に到着すると、はっぴいえんどの「しんしんしん」。恐らく雪だからというベタな理由。名曲だし確かに雪がテーマなのだが、新潟の水田に積もる綺麗な雪ではなく、都会の汚れた雪なのだ。白い雪を汚す都市の喧騒や人々の心を歌った曲なのに、真っ白な銀世界に合わせるのは違うだろう。早川怜の孤独な心と新潟の真っ白な雪を対比させているのだろうか、とも深読みしたくもなるが、曲調はアメリカ南部をルーツとするフォーク・ロック調。切迫感がなく、早川怜の痛々しさとはマッチしない。この映画、正直に言って選曲のセンスがない。
しかし、怜のセックスシーンや食べ吐きシーンなどの痛々しい場面では、ピアノが鳴るくらいで、音楽が邪魔をせず、さすがの監督の実力。場面ごとに曲を変えて、観客の心を切り替える手腕も見事。選曲のセンスはないが、演出は素晴らしい。
『ヴァイブレータ』は早川怜という女性を痛々しく描くことで、現代人の孤独な心を表現した作品である。寺島しのぶの“体当たり演技”は孤独をリアルに表現しており、観る者の心をヒリヒリと痛ませる。痛ましいだけではなく、ロードムービー風に場面と音楽を切り替えて、“抜き”の瞬間を作る演出も素晴らしい。それだけに選曲だけはどうしても納得がいかない。最後の浜田真理子の「あなたへ」だけは映画のテーマである早川怜の心とぴったりと合っていて、エンディングテーマとして良い選曲だったのが救いである。
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