英国俳優の会話劇と他者から見た英国の姿
作品概要
『日の名残り』(1994年)は、日系イギリス人作家カズオ・イシグロの同名の小説の映画化作品である。監督にアイルランド系アメリカ人監督ジェームズ・アイヴォリー、主演にアンソニー・ホプキンスを据えて製作された。
世界一の大国として君臨した大英帝国が、2つの大戦を経て力を失った後日譚を、貴族の屋敷に使える執事スティーブンス(アンソニー・ホプキンス)の視点で描いている。
原作との大きな違いは、小説がスエズ戦争直前の1956年を舞台としているのに対して、映画がスエズ戦争後の1958年に設定されていることである。スエズ戦争は英仏イスラエル軍とエジプト軍がスエズ運河の利権を争った戦争であり、米ソの介入もあり、エジプト軍の勝利に終わり、大英帝国及びヨーロッパ中心の世界の終焉が決定づけられた戦いである。
原作は2つの大戦とスエズ戦争を背景にして、英国の史実とフィクションを合わせたところに面白さがあるが、映画はそういった歴史への言及は少々薄味にして、大英帝国による栄光の青春を過ごした一人のイギリス人が、その威光が過ぎ去った後に、自分の人生を本当に正しかったのかを振り返るという個人的なテーマに焦点が当てられ、より普遍的なメッセージを強くしている。
予備知識の必要性や小難しい説明が極力省かれているとはいえ、ハリウッド映画とは異なり、派手なシーンは少ない。戦争シーンはなく、恋愛シーンも控えめ。貴族の屋敷における執事の人生を観て、古き良きイギリスを感じられなければ、作品の良さも半減してしまうだろう。
出演者と製作者に注目して、スクリーン上に古き良きイギリスとその残り香が、いかに表現されているのか、解説していきたい。
アンソニー・ホプキンスの演技
アンソニー・ホプキンスの代表作と言えば何だろうか。この問いに多くの人は『羊たちの沈黙』を挙げるだろう。そう、頭脳明晰の食人鬼、ハンニバル・レクター博士役である。
『羊たちの沈黙』でジョディ・フォスターの美しさと対称的に恐怖を観客に植え付け、アカデミー主演男優賞まで獲得してしまった。次作の『ハンニバル』ではイタリアを舞台に大暴れ。正に“当たり役”で名声を得たが、彼が英国稀代の名優ローレンス・オリヴィエに見出され、イギリスの3大舞台劇場の一つ、ロイヤル・ナショナル・シアターでならした舞台俳優であることは、意外と知られていない。
元々“老け顔”のアンソニー・ホプキンスだが、年老いたスティーブンスと往年のスティーブンスの演じ分けは見事の一言。大英帝国の象徴である貴族屋敷における綺麗なイギリス英語が聞ける作品の中で、言葉の発し方と声の調子をとっても、老年のスティーブンスと壮年のスティーブンスでは演じ方が全く違う。
冒頭、新しいアメリカ人の主人に給仕する姿と、往年の屋敷で働くスティーブンスと見比べてみるとよく分かるだろう。老年のスティーブンスは、少しくぐもった声で話し、立ち姿も猫背気味であるのに対し、壮年のスティーブンスは、自身ありげな話し方と振る舞いである。決して鼻につくような演技ではなく、ごく自然に演じられている。これぞ役者の力量と言えるであろう。
演技というととかく派手な感情表現や実在の人物の“物真似”が賞賛されがちだが、イギリス人俳優の名演技とは、やはり台詞である。言葉によってここまで演じ分けができるのは、一流の証である。
『日の名残り』はアンソニー・ホプキンスの舞台俳優としての魅力と力量が存分に発揮された影の代表作と言うことができるだろう。
エマ・トンプソンの演技
もう一人、“当たり役”なのはエマ・トンプソン演じるミス・ケントンだろう。
勝ち気だが内面は傷つきやすい女性で、スティーブンスとの淡いロマンスを演じる役柄であり、エマ・トンプソンにぴったり。勝ち気な女性の役柄というと、耳がキンキンするような金切り声やヒステリックな芝居を想像しがちだが、そういった演技とは無縁。やはり抑制されたイギリス英語で、明瞭に台詞が聞き取ることができ、それでいて揺れ動く感情を読み取ることができるのだ。
例えば、ミス・ケントンが結婚を決めて、スティーブンスに報告するシーン。ミス・ケントンは、恋愛に鈍感なスティーブンスに対して、自分の結婚によって焦らせようとするが、スティーブンスは取り合わず、ミス・ケントンは行き場のない感情を抱く場面だ。
普通なら語気を強めたり、声を荒げたりしてしまいそうだが、エマ・トンプソンはあくまで明瞭なセリフ回しで、感情を表現してみせる。感情を爆発させる演技は観ていて派手だが、抑制された台詞の中に隠れた感情の方が、胸に染み入るものがある。エマ・トンプソンもまた舞台での経験に裏打ちされた台詞で演じることができる女優と言えるであろう。
マーチャント・アイヴォリー・プロダクションの仕事
この作品の監督、ジェームズ・アイヴォリーは、アイルランド系とフランス系の両親を持つアメリカ人であり、アイヴォリーの映画作品は、インド人製作者イスマエル・マーチャントと設立したマーチャント・アイヴォリー・プロダクションによってほとんどが製作されている。『日の名残り』もこのコンビが手がけた作品だ。主な代表作には、イギリス人作家E.M.フォースター原作の3作品、『眺めのいい部屋』、『モーリス』、『ハワーズ・エンド』がある。
E.M.フォースターと言えば、階級や同性愛、植民地支配など、20世紀前後のイギリスの諸問題について筆を取った人物。立場が異なる者同士の相互理解の難しさを書いた作家だ。
アメリカ人とインド人という異色の取り合わせが、E.M.フォースターを始め、イギリスを主たるテーマにする原作を次々に映像化し、成功している事実は興味深い。加えて『日の名残り』の原作者のカズオ・イシグロは日系イギリス人であり、これまたイギリス人のアイデンティティは少しばかり離れたところにいる人物なのだから面白い。
すなわち映画『日の名残り』は、インド、アメリカ(アイルランドとフランスも混じっている)、日本という20世紀のイギリスに関係の深い国々をルーツに持つ人々が、大英帝国後のイギリスを冷静に見つめて映像化した作品なのである。
もしイギリス人が製作者なら、思い切り感傷的に描くか、恥ずかしがって皮肉めいた作品になってしまうか、どちらかだったかもしれない。しかしながら様々な国籍やルーツを持つ人々が製作に携わったことによって、実にバランスの良い作品になっている。必要以上にドラマチックに撮ることなく、抑制された大人の会話劇が楽しめると同時に、イギリスの美しい田園風景や貴族屋敷を挿入することも忘れない。結果的に、作品内でも言及される声高に主張しないイギリスの“品格”が良く表現されている。時に当事者よりも他者の目が良く真実を捉えていることを表す好例であろう。
『日の名残り』でイギリスの美徳に魅了された方々には、マーチャント・アイヴォリー・プロダクションの他作品である『ハワーズ・エンド』や『眺めのいい部屋』『モーリス』も併せて観ると良いだろう。『日の名残り』と同じくイギリス人俳優たちの素晴らしい台詞劇が堪能できると共に、他者の目から見た“イギリスの姿”が浮かび上がってくるに違いないからである。
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