「国民栄誉賞」ものの作品
無敵の女の子の苦悩
このマンガはひったくり犯を普通の女の子が投げ飛ばすところから始まる。それを偶然カメラに収めた新聞記者の松田耕作がその彼女のことを只者ではないと調べ始める熱心さと、投げ飛ばした猪熊柔の強すぎる故の退屈感やまったく熱くないところが対照的な始まり方だった。天才柔道家の祖父と父を持ち幼少のころから英才教育を受けてきたとはいえ、その強さは私のような素人が見ても気持ちのよい強さで、強くて可愛いなんてなんてうらやましいと思ったりした。その強さゆえに家族の確執を自分のせいのように感じ苦しむところはわからないでもないのだけれど、本人以外は絶対違う!と言い切れる類のものでその辺りはあまり感情移入しにくかった。それよりも、強すぎてダンスパーティでチークを踊ろうと強引に誘われただけで体が自然に反応してしまって投げ飛ばしてしまったり、柔道をやめたい、普通の女の子になりたいと苦悩するほうが現実味があったように思う。
もともと強すぎるために勝つことにあまり執着しなかった彼女だから、余計に「普通の女の子」に憧れたのだろう。あのあたりのモタモタした感じに若干イライラしたのは否めないけれど、高校生なら絶対感じることだと思う。
いきなり強すぎる女の子が出てきてその女の子は至って普通というギャップが、このストーリーに引き込ませる一因にもなっている。ただ最初にひったくり犯を投げ飛ばすのは巴投げというのが、ちょっと残念。そこはやっぱりトレードマークの一本背負いでいって欲しかったように思う。
強く正しく美しく
強すぎて敵なしの状態の柔にもライバルといえる登場人物が現れる。本阿弥さやかとジョディ・ロックウェルだ。特にさやかのほうは恋のライバルでもあったため登場当初はちょっとした悪役だったけれども、それでもさやかの柔道に対する熱意は本物で、柔に挑んで負けるたびにおよそお嬢様らしくない訓練を積みどんどん強くなっていく。そのために柔との試合後「楽しかった」という柔の言葉は歯軋りするほどに憎々しいものだったに違いない(でも心の奥底ではきっと理解できていたのだと思う)。あの泣き顔は確かに可愛かった。浦沢直樹のマンガででてくる悪役が時々こういう表情をみせる(「HAPPY!」の竜ヶ崎蝶子や「MONSTER」のエヴァ・ハイネマン。彼女らもその表情は総じてきれいだった)。悪と善の仮面の切り替えというか、そもそも本阿弥さやかはそこまで悪役ではなかったけれども、それでもあの泣き顔は印象的だった。
強い相手と出会うことにより柔道の楽しさに気づき始めたのは無理もないかもしれない。いつ試合をしても敵なしではなにも面白くない。それが弱小柔道部を鍛え、さやかと戦い、ジョディと試合することによって、本当の柔道家として成長していく様はこのマンガの見どころのひとつでもある。
またどんなに強くなっても柔はかわいらしい。小柄で筋力も少なそうなのに一本背負いでどんどん大きな人を投げていき、そして無差別級というところは気持ちがいい。そして(彼女がどれほど厳しいトレーニングを毎日こなしているからこその結果だということは置いておいて)うらやましいなと思ったりもする。
伊東富士子とジョディ・ロックウェルの存在
二人とも柔のライバルであり、よき友人である。出会った当初から強かったジョディと違い、富士子は夢破れてふさぎこんでいるところに柔とそして柔道に出会う。この辺りが本当によく描けていると思うのは、当初ぼんやりとしてセリフもなにか棒読みだった富士子が柔道を習いどんどん強くなっていくにつれて、決して顔立ちが整ったキャラクターではないのにどんどんきれいに見えてくるところだと思う。柔道の熱意を失った柔に再びその熱を取り戻させたのも彼女である。出産後のあのトレーニングは想像を絶する(読んだ時はそれが実感としてあまり分からなかったけれども、結婚・出産を経験した今ではその大変さはよく理解できる)。それを乗り越えていくところは、柔が柔道を通して人々に力を与えたようなパワーと同じものを感じる。
ジョディは元々丸太投げコンテストにでたりと体力には恵まれておりその持ち前のパワーで勝負するタイプだったけれども、柔とであって(正確には柔の一本背負いをくらって)柔道の懐の深さを知ったのではないだろうか。最後の勝負で技を繰り出す、そのラリーのような柔道はそれまで彼女には見られなかったことだと思う。柔もまた、ジョディのような強い柔道家に出会って成長していき(もちろんジョディだけでなく様々な強い相手と戦うことによって)その素晴らしさに目覚めていくというストーリーは、時に鳥肌が立つような展開も少なくなかった。
松田耕作の存在
猪熊柔に目をつけた一番最初の人物だけあって、スポーツのことに関しては目の付け所がいい。そして柔を取材対象として追い掛け回しているうちに恋に落ちてしまうのだけど、「俺は一介の新聞記者で相手はオリンピック出場者」という図はいつも彼を悩ませ、葛藤させる。柔も苦しいときも楽しいときもいつも松田が見ていてくれたことを意識しだす。柔道以外でも世話を焼いてくれたり、柔道をやめるといったときもそばから離れなかった(悪態をつきながらも)ところから自分が取材対象以上ではないかと控えめにではあるが意識しだすところは、スポーツマンガなのに恋愛マンガ特有のイラ立ち(相手はエレベーターに乗り、片一方はエレベータから降りるといったような)のものを感じずにはいられなかった。柔が強くなっていくストーリーとは別に、この二人の進行状況は同時進行しながら別のストーリーを見せてくれる流れになっている。
また浦沢直樹の作品は時に風呂敷を広げすぎてエンディングが強引なところがあるけど、この作品に至っては完璧なハッピーエンディングだ。二人が空港で想いを言い抱き合うエンディングシーンは、浦沢作品のなかでももっとも好きなシーンのひとつである。
「YAWARA!」と「HAPPY!」との比較
浦沢直樹の作品でどちらもスポーツを題材にしている以上、どうしてもこの2つは比べないといけない。「HAPPY!」の主人公海野幸と猪熊柔はスポーツは違えど、どちらもその高みを目指していることに相違はない。この二人の大きな違いは(借金とかそういうのは置いておいて)、海野幸が様々な人の悪意を受け誰にも味方をしてもらえないという環境にあるのと違い、柔はその周りの人々がすべて協力的であるというところと、悪人がいないところだろう。もちろん加賀邦子というなかなかのヒールはいたけれど、「HAPPY!」に登場する悪役やつきまとう悪意に比べたら可愛いものだろう。浦沢作品はなんとなくいつも暗くて重いイメージがあるけど、「YAWARA!」に関してはそのような暗さは一切ないところが特徴なのかもしれない。
試合の描き方のうまさ
だいたいにおいてスポーツのマンガは書き込まれ感が半端なく、読みにくいことが多い。観客の声援のオノマトペが大きすぎたり、コマの配置が自分のマンガの目の追い方と違ったりすると一気に読みにくくなってしまうのだが、これに関してそれはまったくなく、自然に読み進めることができた。試合展開の描写でもっとも引き込まれたのはやはり物語最後のほうの、ジョディと柔の壮絶な対戦だと思う。様々な人に力を与える描写もわざとらしくなく、私自身もそのようなパワーをもらったような気がして鳥肌がたった。あの試合の場面も好きなシーンのひとつだ。
個人的に好きなキャラクターはテレシコワだ。冷徹なロボットのような彼女の柔道に熱というか愛というかそういうものを与えたのは柔であり滋悟郎だろう。変わっていく彼女の表情は見ごたえがあった。クールなのにおじいちゃんの影響で甘党になっているのもツボだったりする。
柔の柔道の成長とともに周囲の人も成長していく様が違和感なく描かれているところは、ただのスポーツマンガ以上のものがあると思う。そこがなんとなく元気がでないときに読み返したくなる理由なのかもしれない。
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