自分の分析力を試される映画 - 殺人の追憶の感想

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殺人の追憶

5.005.00
映像
4.50
脚本
5.00
キャスト
5.00
音楽
4.50
演出
5.00
感想数
1
観た人
3

自分の分析力を試される映画

5.05.0
映像
4.5
脚本
5.0
キャスト
5.0
音楽
4.5
演出
5.0

目次

勘ちがいしやすい刑事としての資質

この映画にでてくる刑事二人は、一見対照的に見える。自分には人が見抜けるのだと豪語し、根拠の薄い証言だけで相手を、自白の強要や証拠の捏造で、犯人としてでっちあげる、ジャイアンみたいに地元警察にのさばるパク刑事。犯人の行動パターンを分析するなど、理論的に犯人像を割りだし、そういう根拠に基づいて捜査する、派遣されてきたユテン刑事。横暴でごり押しのパク刑事と冷静で慎重に動くユテン刑事は、でこぼこコンビに思えるが、映画の後半のほうで、立場が逆転する。ユテン刑事が追いつめられてのこととはいえ、本当ははじめから、二人の刑事としての資質、というか優劣は、逆だったのかもしれない。

ユテン刑事のほうが、刑事としてはまっとうで優秀に見えるものの、証拠がなにもないという点では、パク刑事と変わらないし、下手したらパク刑事より、思いこみや執念によって、目が曇っていた可能性がある。雨の降った日、ラジオである同じ曲が流れるときに、犯行が起こったことから、局にリクエストの手紙を送った青年が、容疑者として見られる。容疑者と見なすには、十分な根拠があるようで、ただ、こうも考えられる。犯人が必ずしも、自分がリクエストしたとは限らないということだ。青年がどういう理由であれ、雨の日に同じ曲をリクエストしていたのに違いはないのだろう。それが、犯人のスイッチの入るきっかけになり、その後パターン化した。こう考えると、青年がリクエストしたからといって、すなわち犯人と見なすことに、無理があるのが分かる。なのに、理論的思考するはずのソユン刑事は、手が柔らかいと、これまた薄い根拠にこだわって、そういった可能性を無視してしまう。そんな妄信していたソユン刑事に比べて、ラジオの曲と犯人をつなげるのを、馬鹿らしいと言っていたパク刑事のほうが、案外、まともなことを言っているように思える。

自覚していない根拠

そう、パク刑事は、勘だけを頼りにしているようで、おそらく自覚がないままに、根拠があって動いている。たとえば、二人目の容疑者が、犯行現場から逃げて、工事現場に紛れこんだとき。パク刑事はあたりを見わたして、ズボンがずれて覗いた赤いパンツを見とめるのだが、なぜだか、その相手を直接、捕らえずに、周りにいた数人を立たせて、顔を覗きこむようなことをする。ソユン刑事に見せつけるためとも考えられるものの、そうでなければ、赤いパンツを見ながらも、その瞬間は自覚していない可能性も考えられる。知覚をしても、その相手をきちんと認識するまでには時間がかかるのだろう。だから、本当は赤いパンツを見たという根拠があるのに、本人はそう思ってなく、あくまで勘で見抜いたと思いこんでいるわけだ。はじめの容疑者にしても、自白を強要したとはいえ、ああでもしなければ、重要な証言をひきだせなかった。ということは、パク刑事自身も気づいていない根拠があって、暴力で脅すまでの必要性を感じたのだろう。

そんなパク刑事は、最後に青年の顔を見つめて「俺には分からない」と言っている。犯人ではないとも、言っていないが、赤いパンツのように犯人と定めるに足る根拠がない、と認めているということだ。また、ソユン刑事の根拠とするものが、いかにもろいものだったかも、この一言が証明をしている。

反抗的だった青年の真意

それなのに、なぜ、ソユン刑事もおそらく観ている人も、青年のことを怪しいと思ったのか。青年の刑事から目を逸らさない挑発的な態度、悪びれるどころか、警察の非難をする反抗的な態度のせいだと思う。時代からしても、刑事を前にして、前の二人の容疑者のように、おどおどするのが普通だろう。比べてまだ若い青年は、国が民主主義に移行しかけている時代の流れもあって、権威的なものや権力をふるう相手を敵視して、立ち向かおうとする気概があったのかもしれない。

あとは単純に、まったくの潔白だったからではないかと、考えられる。前の二人も犯人ではなかったとはいえ、片や犯行を目撃していたし、片や犯行現場で変態的行為をするなど、事件になんらか関わりがあって、追求され問いただされたら困るようなことをしていた。青年には、そういった覚えはなく、また他にも、自分はそんな犯行をするはずがないと言い切れる、おそらく絶対的な根拠があった。前の二人が強要されたとはいえ、自白したのは、女性に対して歪んだ欲望があるのは確かで、そこをつつかれると、やましく後ろめたいようで、耐えられなかったからだと思う。青年には、そんな欲望がなかったから、刑事のゆさぶりもきかなかったのだ。といって、男性なら、誰でも持っている欲望だし、程度の差はあっても、微塵にも持っていないとは考えられない。考えられるとしたら、同性愛者だ。映画には、そういう人だと匂わす描写はないとはいえ、そう考えると、刑事に性的な部分をつつかれても、目を逸らすことなく、不敵にかまえていた青年の態度は、妥当のように思えるのだった。そりゃあ、同性愛者にすれば、「この女好きの変態が」と罵られても、はあ?と馬鹿らしく思うというものだ。

この映画はサスペンスでありながら、犯人は野放しのまま、下手したら刑事らは、その手がかりにかすりもしないで終わってしまっている。もし、青年の同性愛者説が当たっているのなら、これほど不毛な捜査の様子を見せられる作品もないだろう。刑事はなんて馬鹿なんだろうと、観ているほうは思うも、パク刑事のソユン刑事の本質を見誤ったり、青年を疑ったりするあたりは、同じくらい目が節穴だ。映画ではある程度誘導しているとはいえ、写っているもの自体に嘘はない。それを解釈するのに、人はどれだけ馬鹿げたような思いこみや誤解をするのか、刑事と、そして自分の目を通して、思い知らされる一作だった。

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