物語の解釈とこのアニメが私たちに与えてくれるもの
個性がおもいっきり出てる脇役たち
このアニメを見ていて最高なのは、最高におもしろいシーン、コメディ的なシーンがめっちゃ多いです!。特にウインリー、マスタング大佐、エドの師匠(イズミ・カーティス)、アームストロング兄弟、リンそしてスカー、どのキャラクターにもファンがいていいようなメンバーだと思います。彼らのキャラクターデザインは物語をおもしろく、より分かりやすくしていると思います。彼らとの出会いから、エドとアルの旅は進んでいき、真理を問い詰めていき、学んでいく姿は私たちに勇気と癒し、そしてがんばろうという気をくれます。
特にこのアニメで理解しやすいのが脇役たちの立ち位置、これがより作品を深く理解するうえで助けになっています。イズミがエドに全は一、一は全について問いますが、ほんとうにアニメでこんな深いことを問うのかと、驚きました。実は私はそのときたまたま、近くの図書館で哲学書を借りていたのですが、ちょうど一とはなんのかという説明が目次に見当たり、がんばって読んでいたのを覚えています。ウィトゲンシュタインなどが答えを出していて、荒川さんもこんなことを考えていたのかなと不思議に思ってました。
錬金術とストーリー
知っている方もいると思いますが、錬金術という考え方は昔からあり、このアニメをよりおもしろくする重要な概念です。ただ、このアニメの登場人物がやっていたようなことは、特に手を合わせただけではできませんが、ここでも作者の知見の広さを感じるられると思います。小説を書いたことがあるかた、また物語を書いたことがある方は経験あると思いますが、物語の構造に一貫性を持たせることはほんとうにむ、ず、い、です。私は小説を書いてみようと思ったことがあるのですが、書き始めて挫折しました(笑)。
エドの性格を分析してみる
エドはご存知の通り、母のこと大好きな男の子であるが、神を信じていません。自分自身を科学者と位置ずけていることからもそれは理解できると思います。そのような、いかにも科学者といった面があるが、感情を強く表にだし、正義感がとても強いという一面も持っている。キメラ化されたニーナを見たときも怒りを隠しきれていなかったことからもそれは理解できると思います。
ただ、ここでタッカーは人間の根本ともいえる大切な質問をエドに投げかけています。それは母親を生き返らせようとしたことも命をもてあそんだ事にならないかということです。エドは激怒して、断固として否定するが、ここにエドが母親という存在を改めて尊い存在だということを認識します。また、命というものをどう解釈するかをエドは考えていることが伺えます。
人間という存在をどのように定義し、どう解釈するか、真理を問いながら進むエドは現実の私たちともかな面があり、親近感が感じられます。
アルが私たちに与えてくれる疑問
アルは読者みんなが好きといっていいほど、やさしく、紳士で頼りがいのある弟役だと思います。アルは知っての通り、鎧姿で眠ることもなく、食べる必要もない、疲れない、最強のキャラクターといっていいと思いますが、逆にそれは人間というものを捨てているということにもなります。もし、私たちの友達で食べなくいい、疲れないといった友達が存在するならば、おそらく人間としてみないと思います。
アルがアニメの中で問うていますが、こんな体でどうやって感じればいいのかというのは、人間としての私たちに疑問を与えてくれています。魂だけある鎧を人として扱うかどうかです。魂なんて信じないという人もいると思います。なので、もし、ロボットが友達と全く同じ性格で、とても人間らしかったらどうでしょうか。あなたは人として扱いますか。
人間が繰り出した技術
このアニメでホンムンクルスという、まあ、化け物といっていい生物が登場しますが。彼らは少年漫画には大切といっていいほど、最強な敵役になっています。彼らはいったい何者なのか。そんなのは簡単だ、「賢者の石で作りだした人間に似たものだよ」と答える人が多いと思います。私もそう思うのですが、ここでふたたび倫理的な問題にぶち当たります。彼らは人間として扱うことができるのかどうか。現代社会においてクローン技術は進化を続けていますし、禁止はされていますが、作るのは不可能ではないでしょう。最近ではIPS細胞の発見にともない臓器も作ることが可能とされています。そんな発展が続く社会の中で、もしクローンが禁止されずに人間に似せた生物を人として扱うのか、そんな技術をどうのように解釈するのかを改めて考えさせてくれます。
真理とは何ぞや
ちょっと、哲学の授業ぽくなるのですが、私なりの真理の解釈をしてみたいと思います。荒川さんがこのようなことを考えていたのかは分かりませんが、私なりに考えてみました。まず、これを説明するにはまず「神」について考えなければいけません。ここでスコラ哲学で有名なトマス・アクィナスという人の考え方を紹介したいと思います。
アリストテレスは物事は原因と結果で成り立っていると言った。それでは最初の原因は誰が作ったのか?それは神にほかならない。よって、神が存在しないと世の中は存在できない。(哲学用語図鑑 著田中正人 84ページ)
これは例えばですが、私たちの世界で起きていることは「結果」であり、それはある「原因」によって、起きている事です。さらに遡ると、地球が「原因」でなければ、つまり地球がなければ私たちの前で起きていることが起きません。では地球はどうなのか。地球もおそらく宇宙のある「原因」によって、できているものだと考えられます。宇宙が存在しなければ地球は存在しないので。では宇宙はなぜ存在しているのか、それも「結果」です。私は物理には詳しくありまえんが、ビックバンが「原因」となって宇宙「結果」となっているらしいです。ではビックバンの「原因」は?。となります。そのように遡っていき、最初の「原因」を作ったのが神ってことをいいんだと思います。
そしてトマス・アクィナスは「死後の世界」や「宇宙の外側」などの問題にはアリストテレスの哲学では到達できないと考えます。トマス・アクティナスはこのような理性で到達できない問題を真理と呼び、真理にせまるの神学だと説きます。(哲学用語図鑑 著田中正人 85ページ)
まあ、神学を学べことについては賛成、反対は置いときます。真理の解釈はこのアニメでは真理というものが扉となってできますが、この考え方に近いと思っています。だから錬金術師であっても近づきすぎてはならない。真理の扉は言っていました、「真理とは世界、あるいは宇宙、あるいは神、あるいは全」と。だからもとめすぎてはいけない。エドは最後に自分はただの人間だということを自覚します。がここでの、真理の扉を使うという表現は正直、分かりませんでした。ただ、自分の真理は自分だけのものだということだと思います。
ただ、ここで疑問を持った方もいると思いますが、
真理(しんり、希: ἀλήθεια、羅: veritas、英: truth、仏: vérité、独: Wahrheit)とは、確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤りなく認識されたことのあり方。(ウィキピディアより)
と思う方もいると思います。だから、全は一、一は全なのだろうと。ただ、真理ついてはたくさんの説があり、かなり難しいところです。しかも、真理の扉の説明にこの解釈だとたどりつきません。それは通行料である、体の一部を与えれば知識はもらえる、つまり真理を見れるということにならないからです。
今、ふたつの真理を紹介しましたが、みなさんはどっちだと思いますか。かなり乱雑になってしまいましたが、またみなさんがこのアニメを見るきっかけにしてくれたらうれしいです。
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