スポーツを通して人間の在り方、多様性について考えさせられる
犯人側に立った心理
まず、私は冒頭で起こる殺人事件の犯人を推理するつもりで読み進めていた。しかし、思いもよらないことに、この鳥人計画では少し読み進めてしまうと犯人が峰岸であることが判明してしまう。それでは推理小説としての楽しみが失われてしまっているではないかと思えるが、実際にはそのようなことはなく、犯人である峰岸の心理に寄り添って読み進めるという面白さがある。峰岸は多くいる容疑者の中で、自分が最も疑われにくいと思える計画を練っている。さらには、素知らぬ顔で、あるいは悲しみに暮れている様子で、関係者と会話するなど、峰岸は大胆不敵だと言える。しかし、密告者というアクシデントが起きた時、むしろその計画が完璧だったからこそ、彼はパニックに陥ったのだろう。以前からこの殺人の計画を考えているのだから、その計画の穴を自分で見つけることは非常に困難である。そして、読者は密告者を特定すべく犯人の立場となって推理を進めることとなるのである。多くのミステリーでは、犯人を推理することが多いため、こうした状況は特殊であり、また日常では決して味わうことのない闇に落ちていくのである。
推理への意欲を駆り立てる謎
中盤以降は、ジャンパーの沢村の視点でも話が進められている。ここでは、杉江翔が急成長したことから疑惑を投げかけているが、その具体的な内容は終盤に明らかになるまではぼんやりとした形すら見えてこない。ほとんど手がかりのない状態で杉江親子に対する推理を進めるのだが、ドーピングに関する話や峰岸の杉江翔に対する関心など、推理への意欲を失わせることなく、むしろ駆り立てるように話が進んでいく構成は非常に巧妙である。また、このあたりからスキージャンプの専門用語が増えてくるのだが、難解と思えるような表現は少なく、日本ではメジャーとは言えないこの競技の奥深さをも感じさせる。特に、野球やサッカーなど日本においてメジャーとされる競技と比べて、経済的な厳しさやそれに伴う環境の不遇さをリアルに描いているのは面白い視点と言えるだろう。
競技における勝ち負けと個性
終盤では、沢村と研究者である有吉の協力もあり、杉江親子のトレーニングの全貌を暴くこととなる。ドーピングを意識される描写はあったが、実際には不快音によってジャンプフォームを矯正させるという非人道的とも言えるトレーニングが行われていた。ここで沢村と杉江泰介は「競技において個性が必要か」について口論を交わす。私はサッカーをこよなく愛しており、毎日のように試合を観戦しているが、サッカーだけでなく、近年では科学技術の急激な発展によって、スポーツをデータ化、分析して競技力を高めることが多くなった。サッカーであれば、試合中に選手一人一人が走った距離やスプリントの最高時速を計測しているし、野球でも、打者の得意なコース、苦手なコースなど多くのデータが利用されている。年々そういったデータの影響力は大きくなり、勝因(あるいは敗因)をデータから導き出して語ることが多くなっている。しかし、私は考えるのである。確かに、データに基づいた根拠というのは存在するかもしれない。だが実際にプレーしているのはコンピュータでも機械でもなく、人間である。そこには、競技者各々の情熱だったり、データに基づかない試行錯誤だったりも存在するだろう。そういったデータ化できない部分にこそ、競技の醍醐味があり、人々を感動させるものがあるのではないか。しかし、これは観る側の心理であり、もちろん競技者にとっては勝利こそが第一であり、そのためには手段を選ばないという覚悟を持っている者もいるだろう。だが、それが人間の命に関わるものであっては決してならないと思う。杉江親子の不快音によるトレーニングでは、副作用的に人体に及ぼす悪影響が語られているが、競技者が競技者でなくなった時、一人の人間としてそのトレーニングを後悔するだろう。やはり、競技とは人間の持ちうる可能性の中でのみ行われるべきなのだ。
人を大切に思う気持ちから人を殺してしまう矛盾
峰岸が犯人として逮捕されたことで事件は解決を見たように思われたが、実際には楡井の彼女であり、杉江翔の姉であった、杉江夕子が真犯人だったことが終盤では明かされている。彼女の動機は、杉江親子のトレーニングに加担している楡井を殺すことで、翔に行われている非人道的なトレーニングをやめさせることができると考えたことだ。しかし彼女に迷いは無かったのだろうか?人間性を失い、笑顔を見せなくなってしまった弟を想う優しい気持ちがあれば、楡井にとっても同じような存在がいるであろうことは容易に想像できただろう。天秤にかけると、彼女にとって弟の笑顔は楡井の命よりも重かったということなのだろうか。誰かは別の誰かにとって特別な存在なのかもしれない、という考えを頭に入れておけば、誰も他人を傷つけることはないのではないか、と考えさせられる。そして最後には、「カニバサミ」というスタイルで勝っているジャンパーに触れているが、これは競技のみならず人間そのものが、これから先の未来も多様な個性を持って生きていくことに希望を抱かせている。犯人が早々に判明してしまうことで、純粋に推理小説を楽しみたい人にとっては不十分かもしれないが、スキージャンプという競技を通して人間の個性、多様性について考えさせられる良い作品である。
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