「正義は必ず勝つ」何度も観たくなる感動作
問題描写があるからこそ、真の問題が浮き彫りになっている
この作品では、知的障がい者を差別的に扱うシーンがかなりあからさまに表現されている。主人公永遠を、弟の友達たちがボールをぶつけて集団でいじめるシーンや、年頃の女性である妙子を授産施設の社長が強姦する、授産施設の男性が下着泥棒をしてしまうなど、今だったら抗議がありそうな描写がかなりたくさんある。
しかし、過ちや歪んだ解釈を克明に表現することで、そういった差別や誤解から立ち上がり、幸せをつかもうとする登場人物たちに姿が、非常に鮮明になっている。
かえって、もし社会の水面下に知的障がい者を差別する目が少しでもあるなら、かえってそういうものは「間違っている」と訴える意味でも、隠蔽するのではなく表に出して是正をすべきだと思える作品である。
偽善について考えさせられる
あからさまに障がい者福祉を自分への評価に利用している、竹中製作所の社長は、障がい者雇用に表面上は積極的であっても明らかに偽善と言えるだろう。妙子への性的暴力や、障がいが重い鈴にはほとんど給与を支払ってなかったことからもそれが言える。同時に、純粋に工場の障がい者たちに楽器を無償で教えていた葉川先生についても、健常者の生徒である土屋ありすから、「偽善だ」と指摘を受けている。どこか上から目線で障がい者を見ていないか?という指摘であり、親切にしている自分に酔っているだけで、本当は対等に扱っていないのでは?という素朴な訴えである。純粋な中学生ありすの、「先生は、ああいう人を恋愛の対象として見られるの?」という問いに、葉川先生は「できるわ」と即答するが、このドラマを視聴している私も、実際には難しいのではないか、葉川先生は本心で言っているのだろうかと感じた。ありすの問いは、見ている人に「対等な目線」についての難しさを投げかけている。
最後には皆が幸せに
このドラマの最大の救いは、悪の張本人である竹上社長によって、工場が火災になった際に中に残った主人公永遠の命が救われるという点にある。ドラマ内では善人である工場長をはじめ、工場で働く皆の願い、工場が良くなって、皆で楽しく働きたいという願いが叶うのである。
ありすの事故死と、葉川先生に思いを寄せていた廉の死は残念でならないが、永遠を見ていると「良いと信じて愚直に歩んで行けば、必ず報われる」というメッセージを感じ、非常に救われる思いになる。とにかくこの作品は、キャスティングも素晴らしく、役者の演技も称賛に値する。「無難なものを無難に表現する」のではなく、「厳しい現実から幸せをつかむ」という今となっては難しい表現が徹底されており、何度も観たくなるドラマである。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)