東野圭吾の小説、キャラクターの役割と作品のメッセージ - 歪笑小説の感想

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歪笑小説

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東野圭吾の小説、キャラクターの役割と作品のメッセージ

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文章力
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ストーリー
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キャラクター
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演出
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目次

東野圭吾の小説のキャラクター

東野圭吾の小説にでてくる主人公が、私は大好きだ。小説において主人公のキャラクターは重要な役割を持っている。東野圭吾の小説には正統派の主人公も出てくれば、そうではないキャラクターも登場する。まずは正統派の主人公。私が思い浮かべるのは、日本橋署勤務の「加賀恭一郎」。所轄の刑事なのに独自の視点で事件と被害者の関係を紐解いていく。地道で時には遠回りしながらも、最後は真相に必ずたどり着く彼の姿は読了後にさわやかな気持ちにさせてくれる。「浪花少年探偵団」では、「忍センセ」とクラスの子供たち。きっぷの良い大阪弁と忍センセの気質が見事にマッチしていて、引き込まれる。正しいことは正しいという忍センセと共に、加害者に向き合い、生徒の親や生徒自身が事件に関係している時の忍センセのコメントに共に涙することができる。

歪笑小説における作家のキャラクター

共感しやすいこうした作品以外で、東野圭吾は様々なコメディタッチの小説も少なくない。これらの小説に出てくるキャラクターは実に人間くさく、まるで自分の身近にいるあの人が主人公なのか、と思ってしまうほどだ。ただ単にいい人、カッコイイ人、ステキな人は登場しない。ずるい人、セコイ人、もがいている人、そしていとおしい人。

この『歪笑小説』もしかり。「出版業界の内幕を暴露する」という東野圭吾の思惑通り、業界にいらっしゃるかどうかは知らないが、どの会社にも、一人や二人はいそうな人が主人公の連続短編小説である。かっこ悪い主人公たちを通して東野圭吾は人間の内面を描く。

『歪笑小説』には、作家、そして作家の担当編集者、編集長、作家の家族、特に配偶者が出てくる。作家には売れる作家と売れない作家がいる。売れる作家が書く小説が必ずしも内容が素晴らしいわけではなく、売れない作家の内容が必ずしも感動できない作品ではない。この矛盾した考えが「歪笑」につながっている。私たちの周りだってそうだ。努力したことが必ず報われるわけではなく、偶然に幸運が舞い込んでくることだってある。一生懸命勉強したときに限ってテストの点は悪く、抜き打ちの漢字テストでなぜか100点を取ったりする。誰もがうらやむ美人と結婚したからといって「めでたしめでたし」という結論になるわけではなく、何も考えずに買った宝くじが当たることもある。だから、人生は面白い。東野圭吾の『歪笑小説』のすごい所は、描かれる人たちの中に著者自身も含まれているところだ。誰かを一方的に非難しているわけではなく、自分も含む周りの皆を赤裸々に暴くところに、読者は共感を抱くのではないだろうか。「只野六郎」こと「唐傘ザンゲ」という新人作家に対して、出版業界の大変さを語る。作家なんてなるもんじゃない、というメッセージを満載しつつ、最後に温かいエールを送る。『職業、小説家』に出てくる「しっかりと彼を支えてやりなさい」という言葉はザンゲに対しての言葉であると同時に著者自身へのエールにも聞こえる。『序ノ口』での「がんばろう」というセリフもしかり。著者自身の決意も表しているように思うのだ。

また別のタイプの作家も登場する。常に売れない作家、「熱海圭介」も実に興味深い。ハードボイルドを書いているつもりの熱海の小説はなかなかヒットせず、担当の編集者も欠点をあげつらうばかりで、「出版に値する作品」ではないと思われている。なかなか、編集者の望む小説を書けない。そんな主人公に対して辛口の批評をしながらも、『戦略』の中では「波が来そうだ」というセリフの中に彼への期待と希望が見える。

私たちの周りの社会で起きていることにも共通点が多い。2011年の東日本大震災では、一瞬にしてすべてのモノ、築き上げてきたモノすべてを無くされた方が大勢いる。家族の命、自分自身の命ですら何の保証もない、無情な世界に私たちは生きている。だからこそ、希望が必要なのではないだろうか。全く無名の作家が急に脚光を浴びたり、逆に売れていた作家が売れなくなったり、人生の大逆転をあらゆる角度から描きつつ、歪笑小説のあちこちに笑いがちりばめられている。

歪笑小説の笑いの種類

「歪笑」、とあるがブラックユーモアももちろん含まれつつ、あたたかい笑いもある。何かの対談記事で東野圭吾自身が語っていたが、笑いのツボと泣きのツボは近くにあるらしい。笑わせてやろうとして小説を書いても、実際は感動作になってしまうこともあったと話している。それでいえば、この小説もブラックな笑いを提供しようとしつつ「泣き笑い」の要素を備えた小説になっているのかもしれない。それはやはり根底に著者自身のあたたかな気持ちがあるからだろう。

脇役の役割

作家の周りで作家をとりまく脇役たちもまた面白い。担当編集者、編集長。そして作家の家族たち。作品の出来を時に批評し時に賞賛し、作家を刺激する。根底には温かいエールの気持ちがあるから、東野圭吾の小説に出てくる脇役もまた、どこかにぶつかって、スマートではない人々ばかり。しかしどこか憎めない人達ばかりだ。私は『天敵』に出てくる「須和元子」が気に入っている。彼女は結婚を前提に「唐傘ザンゲ」と付き合っている、作家の彼女、という設定だ。作品に口出しする「プロデューサータイプ」の彼女は、ただただ彼の作品が好き、というファンから、責任ある妻という立場へとゆっくり成長していく。成長には痛みが伴う。「この稼業の女房は辛いよ」という先輩作家の言葉、「すべてあなたのおかげです。よくがんばってくださった」という編集長の言葉から、須和元子と共に成長していく作家への励ましもまた感じ取れる。しかし、見方を変えると彼女は天敵だ。担当編集者から見ると「天敵」になる。一つの事象の裏と表は紙一重。担当編集者から見ると、作家でもないのに口出しがすぎる天敵なのだが、編集長から見ると、作家の作品の殻を破らせることのできる存在になるのだ。

私たちの周りでおこる様々なことは見方を変えるだけで別の事象となる。会社の利益だけを追求すると顧客へのサービスがおろそかになるかもしれない。会社からは、無駄なことばかりする社員だと思われていても、取引先からの信頼は厚いかもしれない。子供にばかり関心を払っていたら、夫がふてくされる。どちらのことも考えながら、私たちはある地点、つまり「妥協点」を見つけていく。須和元子も唐傘ザンゲと自分の成長のため行動していく。行動の仕方は必ずしもスマートなものではない。しかし成長を決意した人間は強い。つらいけれど頑張っていける、ぶつかっても大丈夫、というメッセージが込められているように感じる。須和元子のたくましさ、前に進んでいく強さにもまた前向きな要素を感じ、私も女性として須和元子に感情移入しながら読んでしまう。家族のために、自分のしたいことを少し犠牲にする、ということは女性なら誰でもあるのではないか。それを前向きにとらえるか、マイナスととらえるかはその人次第。須和元子のように、がむしゃらに生きていけたらいいな、と思いながら読み進めた。

まとめとして

このように、どこにでもいる人間を描いた『歪笑小説』は毎日を一生懸命生きている人へのエールでもあり、周りにいる人間へのソフトタッチの皮肉ももちろん込められている。「中身はスカスカだけど売れる本」を書く作家、それをよしとしている編集者。作家から気に入られることだけを考えている編集長、思惑だらけの賞を創設する人々。あるよな、という話ばかりである。笑いにはストレスを解消する効能がある。この小説もそう。理不尽なことがあったり、生きにくいことが起こったりする世の中だからこそ笑いが必要。人によって様々なストレス解消法があるけれど、小説を読んで思いっきり笑うのもいいのではないか。主人公をバカにし、脇役の情けなさを笑いとばす。無様な生き方でも、どこかある共通点にホッとし、また元気になる。小説の題名だけを読むと、ブラックユーモアが強調されているようだが、私はそうは思わない。ストレスを笑いに変えて、元気になる要素があちこちに見つかる、一冊なのだ。

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