21世紀のフィルムノアール - ピストルオペラの感想

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ピストルオペラ

3.503.50
映像
4.50
脚本
2.00
キャスト
2.50
音楽
3.50
演出
4.00
感想数
1
観た人
1

21世紀のフィルムノアール

3.53.5
映像
4.5
脚本
2.0
キャスト
2.5
音楽
3.5
演出
4.0

目次

殺しの烙印の続編

この作品は、かの日活解雇問題を起こした〈殺しの烙印〉の続編と言われているのは周知の通りだから、それとの違いを楽しむのが鑑賞の醍醐味ではないかと思う。
一番の違いは主役が女性に変わったことだと思うが、女性である必要は果たしてあったかだろうかと疑問に思う。

監督はこの作品にエロスを盛り込んだと言うが、女性がメインだといっても自分はエロの要素はイマイチ認識出来なかったので、エロを期待して見る映画でないことは断言できる。
色物シーンがあるとしたら、野良猫が無痛の外科医を色仕掛けで誘うあたりとか、小夜子が素っ裸で風呂に落下するとか、チャンプのめ組が野良猫にセクハラするくらいじゃないだろうか。

このヒロインはピストルが恋人で、忠実に“男キャラ”であるところで〈殺しの烙印〉の骨格を受け継いでいるが、〈殺しの烙印〉は飯の炊けるにおいが動力だという強い個性があったのに対し、野良猫の場合特に好きなものもなく、世話を焼いてくれる唯一の味方の女中も、そこまで重要視せず、限りなくドライな人物である。というよりも、殺しの烙印より人物の掘り下げが浅く、主人公でさえも空虚な内面で、映画全体が軽くなっている感じすらある。

さらに〈殺しの烙印〉と比較して見られる点はとして挙げられるのは“色彩”になると思う。
単純に、時代が変わって画面に色が付いたというだけではなく、美術が木村威夫だし、映画のキャッチコピーでも〈極彩色のフィルムノアール〉と言われている通り、いたるところにハッとするような色が配置されていて美しい画になっている。
部屋に咲き乱れる芥子の花、鮮やかな黄色の着物、上京のあざやかな紫の布や、世界怪奇博覧会のどぎつい美術・装飾も目を楽しませてくれる。

清順映画ならではの演出

姿の見えない刺客に脅かされながらも無情に、スタイリッシュに殺していく本作は、フィルムノアールの分類であることには間違いないのだが、なんだか白昼夢のような、何が現実なのか夢なのかわからないような世界観になっていて困惑する。
その世界観も、清順が工夫を凝らして作り上げたというよりも、単に美しいもの、おもしろいもの、かっこいいものを自由に盛り込んだといった風で、見世物小屋とか遊園地みたいな、空虚な美しさ、楽しさあふれる画面になっている。

ツィゴイネルワイゼンで説明された「生きてるものが死んでいて~」という価値観のように、死者が何回も出てきたり、生と死の境目が曖昧になっていると感じるフシがいくつもある。
さらに、殺しのシーンでも現実みを廃して、踊るように殺すというか、激しさとか怖さとかそういった要素がなく、傷を負った時も、赤い布を腰からぶら下げていることで流血を表現していたりと、リアルから遠のいた演出をしている。

そのほか、脈絡なく発せられる「ちゅーちゅーたこかいな」といった台詞や江角のグダグダな演技で気が抜けてしまうし、謎のカット割りが多く、時間の推移とか象徴とかそういうのを無視して、観る者を混乱させたいとしか思えないレベルである。 
でも清順映画の中で毎回登場する桜を見てハッと、「そうだ、これは清順映画なのだから、仕方ない(笑)」と割り切って見ることが出来る。

死と隣り合わせ

姿の見えない刺客にいつ殺されるともわからないという状況もさることながら、いつも隣にいる少女の小夜子という存在そのものが死の象徴だったのだという気がする。
彼女は死を予告する存在としてずっとつきまとっているのではないか。

小夜子と出会ったとき、つまり、生活指導の先生を殺した時すでに、このギルド間の戦いのさなかで死ぬ運命だったのかもしれない。
実際、小夜子に出会ってからほどなくして自分を殺すことになるチャンプのめ組と出会う。

清順映画の人物は、死が近づいているのに、というか近づくほどに、安らかに、そして生き生きしてくる。
野良猫も、黒服の男、上京と、難敵との果たし合いの末勝利し死への道を生き生きと突き進んでいく。 
そもそも上京と対決した世界怪奇博覧会では、死んだはずの昼行灯の萬が青白い顔でほくそ笑んでいたから、あの場所はもうすでに、あの世で、皆すでに死んでいたのかもしれない。

〈ツィゴイネルワイゼン〉では、洞窟の中で死について語り合うが、ピストルオペラでも洞窟が“あの世への入口”として用意されていて、洞窟に入っていった
少女の小夜子は死者であることをほのめかしている。

殺し屋の美学

黒服の男が、決闘の前に野良猫の自宅にあがりこみ挨拶だけして、決闘は後日、としていたが、まるで武士があらかじめ宣戦布告しておくようなやり方で、非常に美学のあるやり方だと感じる。
上京も、一番強い殺し屋によって死ぬことを美として、ギルド同士に生き残りをかけた戦いを仕組み、最も強かった殺し屋の手により芸の高みで死んだ。

野良猫の美学の頂点は、チャンプのめ組との果たし合いである。
必殺仕事人の野良猫は、殺しの依頼を難なく的確にこなすし、あの百眼だって始末したプロなのに、現役引退し、体が不自由で十二分に力を出せていない初老の男に負けたなんて相当かっこわるく、美学に反していると野良猫は思ったのではないだろうか。
だから瀕死の重症を負った後、断末魔のように「見るな!」と大声を振り絞る。
〈屍体は私だけのもの〉というテロップが晴れた空に浮かび上がった、あれが彼女の美学の華だったのではないだろうか。

チャンプのめ組も殺した後思わず「ばかー!」と叫ぶ。
彼も、万全な状態でないのにも関わらず、かつてNO.1だった意地を貫き〈殺しの烙印〉同様最後に生き残った唯一の男になったのも偶然にしろそれもそれで美学だと言える。

この映画はとかく内容がトンチンカンでナンセンスあること、主演の江角の腑抜けた演技に注目が行きがちだが、あの鈴木清順が80代で撮った円熟味あふれる映画が、そんな風な評価しかされないなんてたまったもんじゃない。

死と隣に合わせの状況を楽しむ、粋な美学を持った殺し屋たちの鮮やかな生き様を描いた映画、21世紀のフィルムノアールとして名作だと言いたい。

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