壮大な舞台装置の中で繰り広げられる愛憎劇 - アマデウスの感想

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壮大な舞台装置の中で繰り広げられる愛憎劇

5.05.0
映像
4.9
脚本
4.8
キャスト
5.0
音楽
5.0
演出
5.0

目次

圧倒的な18世紀ヨーロッパの世界観に身を浸す

1984年作品。もう30年以上も前の作品なのに、自分にとってはいまだに鮮烈な印象を残す一本です。

ある国の歴史や風俗、文化について知ろうとするとき、入り口としてそれを題材とした優れた映画を一本見る事は、どんなお勉強をするよりも勝ることだと思って います。そこに生きる人間の生き様を通して、ものすごく多角的に、感覚的に、心情的にまるごとその世界観を取り込むことになるからです。

この作品をリアルタイムで見たのは多感な中学生の頃。ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生きた18世紀後半のヨーロッパの世界、人々の暮らしぶりや価値観は強烈な印象を残しました。

1987年に製作されたベルトルッチの「ラストエンペラー」も、やはり圧倒的に異国を感じさせる映画として何十年経っても心の中の忘れ難い風景として留まっています。

多感な時期にこういう上質な作品に出会えたことの豊かさを思います。

もちろん、そういう十分に練られた時代考証に基づく舞台装置や脚本、それに見合った撮影や音楽の素晴らしさには感謝しかありませんが、やはり「アマデウス」 や「ラストエンペラー」がこれほどまでに忘れ難いのは、壮大な舞台装置の中で繰り広げられる人間の愛憎や残酷さ、性と死というものの迫力に戦慄したからなのでしょう。のどかな田舎の女子中学生にとってはそのような愛憎劇は信じられないくらいにドラマチックなものでありました。

歴史的事実とは異なる真実の追求

今でこそ「アスペルガー症候群」などが一般的に知られるようになり、「何かに異常に飛び抜けて、天才的に秀でている人」とはむしろ別の何かに大きく欠けた人である場合も多いというのはよく知られるようになりましたが、子どもの頃読んだ伝記漫画などでは、英雄は大抵美化されているものですから、この作品での品行粗悪、浪費癖、お下品で享楽的なモーツァルトの描かれ方にはかなり面食らうことになりましたし、同時に痛快でもありました。

もちろん作品はピーター・シェーファーの書いたフィクションではありますが、「モーツァルトの生涯における謎」の部分を埋めるかのように、古い史実に基づいて人物造形も含め丁寧に作り込まれたものです。

実際のところ、モーツァルトの死因は毒殺と言われるものの確定はしていませんし、サリエリは「人々の噂」というかたちで周囲に毒殺の疑いの目を向けられること で心を病み、自殺未遂まではかりますが、映画とは違い、晩年まで身の潔白を訴えています。ですが、サリエリがモーツァルトに嫉妬し、様々な妨害工作をしたこと自体は史実に明らかのようです。

ですので、この物語は結果的な事実とは異なるものの、「あるひとりの天才が、その才能によって自らの身を滅ぼす」という要素と「凡庸な人間が天才に嫉妬し、彼を呪い殺したいと願う」という要素の追求という面では、まさにリアリティーの映画と言えるのではないかと思います。

妥協なく粋を尽くす

特殊メーキャップの巨匠、ディック・スミスによる真に迫ったサリエリの特殊メイク、屋外ロケ撮影の舞台となったプラハの重厚な町並みを自身もチェコスロバキア出身である撮影監督のミロスラス・オンドリチェックによって再現した、18世紀のヨーロッパの世界を彷彿とさせる撮影(特にあの電気のない暮らしのリアリティ)、また素晴らしく再現された当時のオペラの舞台など、妥協なく粋を尽くして全ての要素が調和しているこの作品ですが、それも2人の主役が役を完璧に演じ切ったゆえに成立したといえると思います。

ミロシュ・フォアマン監督は、インタビューで「特定のイメージのない、実力はあるが無名の役者を起用したかった。例えばジャック・ニコルソンは完璧なサリエリを演じただろうが、人々はジャックがサリエリに扮したという印象からは逃れられないだろうから」と語っていますが、この作品でサリエリを演じたF・マーリー・エイブラハムも、モーツァルトを演じたトム・ハルスも、無名と言わないまでも、舞台中心か映画でも脇役の俳優でした。

にも関わらずいずれも素晴らしい演技でしたし、ピアノに触れたこともないトム・ハルスは数ヶ月ピアノと指揮の猛特訓を受け、モーツァルトのピアノソナタを弾きこなすようになったばかりか、作中の体を仰向けにし、手を交差させてピアノを弾くという曲芸弾きについても吹き替えなしでこなしたということを後で知り、驚かされました。つくづくアメリカの俳優の層は厚いのだなあと感心させられます。

モーツァルトとサリエリの関係性の興味深さ

この映画のクライマックスは、死の床にあるモーツァルトの頭の中に存在する「完璧なレクイエム」をサリエリが口述筆記で書き写すシーン。死を前に鬼気迫りつつも二人の奇妙な親密さも感じさせる忘れ難い印象を残す場面です。

サリエリは呪いをかけるようにしてモーツァルトをじりじりと追いつめ、モーツァルト自身の作曲したレクイエムでモーツァルト自身を葬ろうとするわけですが、口述筆記の作業の最中に何も知らないモーツァルトは、「ありがとう、あなたに嫌われているとずっと思っていた。本当に申し訳なかった」と感謝と謝罪の言葉を述べます。

サリエリは無論自分にない才能を持った、そして自分の才能のなさをどこまでも侮辱したモーツァルトを憎んでいるわけですけれど、同時にモーツァルトの才能に対する唯一無二の真の理解者でもあったし、真にモーツァルトの音楽を愛し、最大の賛辞を贈るファンでもあったということができます。

レクイエムの楽譜を必死に書き起こす時のサリエリの様子は、モーツァルトに無理を強いて、彼の命を縮めようとするというような、もうそんなこと安っぽいではなくって、モーツァルトの頭脳の中だけに完璧に存在している完璧な音楽をこの世に生み出したくて、この目で見たくてたまらないという、純粋な追究心にかられているように見えます。

それは、逆説的なことですが、純粋な友情のように見えなくもない。そういうように描いたことに人間と芸術への深い愛と業を感じ、この映画の奥深さを改めて感じるのです。

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  • dreamerdreamer
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