アマデウスの感想一覧
映画「アマデウス」についての感想が7件掲載中です。実際に映画を観たレビュアーによる、独自の解釈や深い考察の加わった長文レビューを読んで、作品についての新たな発見や見解を見い出してみてはいかがでしょうか。なお、内容のネタバレや結末が含まれる感想もございますのでご注意ください。
才能のない努力家の天才に対する嫉妬を、老獪さ、卑怯さ、悪意、陰湿の視点から面白おかしく描いた人間ドラマの秀作 「アマデウス」
この「アマデウス」という映画は、原作がイギリス人のピーター・シェーファー、監督が当時のチェコスロバキアの映画界から亡命してきたミロス・フォアマン、主人公はオーストリア人で、物語の舞台は、ウィーンという、アメリカ映画なのにアメリカ的な要素がひとつもない作品なのです。「アマデウス」という映画は、従来あまりなかったタイプの面白い人間ドラマだと思う。原作のピーター・シェーファーの戯曲は、日本でも過去、何度も舞台で上演されて評判となっており、その着想がまず、あっと言わせる面白さに満ちあふれている。西洋音楽史上、最も偉大な作曲家のひとりであり、文字どおり楽聖と呼ばれるに相応しい人物であるモーツァルトが、この映画ではとんでもない俗物として描かれているのだ。実に安っぽい、下品な青年であり、エッチな冗談ばかり言って不作法にケラケラ笑っている。天才らしい反権威主義的な傍若無人の奇行というのではなくて、それ...この感想を読む
壮大な舞台装置の中で繰り広げられる愛憎劇
圧倒的な18世紀ヨーロッパの世界観に身を浸す1984年作品。もう30年以上も前の作品なのに、自分にとってはいまだに鮮烈な印象を残す一本です。ある国の歴史や風俗、文化について知ろうとするとき、入り口としてそれを題材とした優れた映画を一本見る事は、どんなお勉強をするよりも勝ることだと思って います。そこに生きる人間の生き様を通して、ものすごく多角的に、感覚的に、心情的にまるごとその世界観を取り込むことになるからです。この作品をリアルタイムで見たのは多感な中学生の頃。ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生きた18世紀後半のヨーロッパの世界、人々の暮らしぶりや価値観は強烈な印象を残しました。1987年に製作されたベルトルッチの「ラストエンペラー」も、やはり圧倒的に異国を感じさせる映画として何十年経っても心の中の忘れ難い風景として留まっています。多感な時期にこういう上質な作品に出会えたことの豊かさを思いま...この感想を読む
幸か不幸か、同じ時代を生きた二人の作曲家。
これは素晴らしい映画です。長くて難しそうだなと思って見たんだけど、見終わった後はとても感動してました。 天才と非天才。モーツアルトは言わずと知れた天才で、全ての旋律が頭で合奏できるほどの才能の持ち主ですが、その天才ゆえに抱える孤独感に精神までおかしくなり。紙一重って言いますよね?本当にそんな感じで、あの狂った演技は素晴らしかったですね。次から次へと湧き上がってくる音楽に音符を書く手が追い付かないほど。それは頭が狂ってしまっても仕方ないって思えるほどです。そしてかたや凡才の作曲家サリエリのモーツアルトに対する嫉妬に狂った人生。若く亡くなってしまったモーツアルト、こんな年になるまで生きているサリエリ。モーツアルトを憎み続けたサリエリの人生は地獄そのものだったでしょう。なぜなら、彼らの音楽は逆にサリエリ音楽は誰も知らず、モーツアルトの音楽はいまだ生き続けているのですから。
果たして真実は・・・
天才モーツアルトとその才能に嫉妬するサリエリ。この二人の関係の焦点が当てられています。果たしてこの二人の関係は、実際にはどうだったのか?それは、今となっては知る由もありませんが、色々な想像を掻き立ててくれる作品です。天才モーツアルトが、下品で変わり者に描かれているのも、実際に彼が書いた手紙にとても下品な言葉が使われてたことからも、まったく嘘ではないのでしょうが、そのモーツアルトの変人ぷりを際立たせることで、努力家なのにその努力が全く報われない、天才モーツアルトを相手にもがきくるしむ虚しいサリエリ像がとても際立って描かれています。音楽もとても美しいし、中世の街並みもすばらしく、一見の価値のある作品です。
天才と凡才の物語
死後もその名曲は演奏し続けられている天才アマデウス・モーツァルトと、間違い無く優秀であるはずなのに天才モーツァルトに存在が霞む秀才アントニオ・サリエリの物語です。奔放で常識に縛られないいかにも天才に嫉妬するサリエリ。クリエイティブな現場では今でもある才能の合い間で葛藤する凡才の苦悩。天才とは、想像するとはどういう事であるのかという事、芸術に生きるという苦悩もサリエリを通して表現されています。モーツァルトは毒殺されたという説をこの話はとっていますが、まぁあり得る話だと感じます。映画の演出や美術がうまく当時の雰囲気を出していて本当の当時のフィルムを見ているようです。
嫉妬と理解とが腹合わせ
この映画は三種類の人が出てくる。一人は圧倒的な天才と天才だと理解できる天才には及ばない人と、天才と天才ではない人の区別が付かない人だ。モーツアルトを心から憎んだサルエリはモーツアルトの最大の理解者だった。なぜ彼がすごいのか、誰よりも良く知っていて、どんなにがんばっても自分には手が届かない存在だと言うことを知っていた。面白いもので芸術も宗教も国のトップに取り込まれないと、無視されるだけの存在だ。サルエリは努力してのし上がって来た人間、パトロンである国王は生まれながらにして其の位置にある。そしてモーツアルトは親も音楽家である畑から出てきた人間。サルエリは悔しかっただろう、そしてどんなに国王に自分が取り入っても、やはりモーツアルトにはかなわないことは、誰よりも自分自身が知っている。
二人の音楽家の争い
西洋音楽史上に名高いモーツァルトと当時の宮廷音楽家であったサリエリ。このふたりを中心として物語は進みます。サリエリはモーツァルトの才能に嫉妬し、ついには協力をするふりをしてモーツァルトを追い落としにかかかります。モーツァルトにレクイエムを依頼し、病気にかかったモーツァルトを精神的肉体的に追い込んでいくという設定です。もちろんこれは作者の考えであり、この映画が完全な歴史事実と思ってしまうのは危険です。あくまで解釈の一つであり、其の辺りを理解して楽しむ方が良いと思います。音楽の偉人というだけでなく、モーツァルトを底抜けに明るく、下品なところもある天才と描いてあります。音楽史に興味がある方なら見ても損はないと思うし、当時の風俗描写など楽しめるところも多いです。