風を感じて~非日常への誘い
言葉遣いの妙技「まるで歌っているかのように」
この頃の漫画家さんの特徴として、独特なせりふ回し、言い回しがあると私は思っています。特にこの作品においては、それがまるで歌にまで昇華していて、読んだ後、何気なく思い出すときに口ずさみたくなる魅力があると感じています。
時にマザー・グースなど交えながら、エドガーの皮肉な微笑と魅力に翻弄されるゲスト達…踊るような言葉に乗せられて、気がつけばいつの間にか、ゲストだけでなく自分までが、不思議なポーの一族に魅了されているのです。
言葉というのは不思議で、選び方ひとつで気持ちが伝わることも、伝わらないこともあります。日常会話ですら、気持ちのすれ違いを生んでしまうほどに。しかしこの作品において、言葉は気まぐれな案内人であり、ただのト書き、せりふにとどまることなく、いつでも私を花咲き乱れるポーの里へと引き込んでくれるのです。
登場人物の艶「少年のはずなのに」
この物語の主役は、言わずもがなエドガーなわけですが、その周囲に登場する人々は、年齢も職業もばらばらです。それも、各話それぞれ相当な人数が登場してくれるのですが、年配の人々の中にいれてもなんとひときわ潤うエドガーの色香!花も恥らう乙女と並べても、いつも私の目は彼に釘付けなのです。まぁ、彼を「少年」といっていいのかどうかは疑問ではありますけれど…
バンパネラとは要するに吸血鬼。吸血鬼を取り扱った作品は、古今東西アニメから洋画まで、幅広くあります。しかしながら、その中で「においたつほどに美しい少年」を、これほどに描いている作品があるでしょうか。
エドガーの美しさは、まさしくにおいたつ気品。漫画のコマひとつひとつから、かぐわしい薔薇のかおりが立ち上ってくるかのような、それでいて弾けるような少年の鼓動を感じられるような、そんな魅力がこの作品にはあります。単に絵の美しさやコマ配置の妙だけではなく、登場人物の高貴なる吐息が感じられるような、そんな作品である、と思います。
そのせいで、未だにページをめくるときにどきどきしてしまうのですけれども。
引き込まれる流れ「風の流れる音を感じられる」
萩尾先生の漫画を読むときにはいつもそうなのですが、この作品も、読むときにはいつも風を感じています。エドガーとメリーベルがさ迷う夜の森、花咲くスコッティの村、中州のギムナジウム、霧のロンドン…細かい背景の描きこみを凝視するまでもなく、これらの空気を瞬時に感じてしまう、そんな作品です。同時に、温度も感じています。作品中にいちいち、今は暑い寒いと書かれてはいないのに、漫画を読んでいてその場面の温度までもが、肌に感じられるのです。
萩尾先生は、建造物と風景の描写のバランスが特に優れておられるのではないか、と思います。スケッチとは、詳細な部分を描くことを指すこともあるでしょう。ですが、その作品を紙いっぱいにぎっしりと描きこむということとは違うと考えます。萩尾先生の妙技はここにあり、建物のレンガひとつひとつ、咲き乱れる花のひとつひとつを描きながら、その周囲の様子は空白にする、あるいは大きな建物を大きな空間に描いているのに、影がほとんどで細部がうかがえない。これらの絶妙なバランスにより、ページの中に空間が生まれ、その空間から自然と、場面の空気が流れ込んでくる…絶妙な空白が、芳醇な時代の風を作り出しているのです。
また、この演出に一役買っているのが、自然と生まれ出る光と影。描きこみの細かさと大胆さの融合により、自然と生まれた空白は、時に眩しい光となって、目の前に現れます。部屋の照明ではなく、感じるのは太陽の光やランプの灯り…炎のはぜる音まで聞こえてくるようです。
個人的になのですが、ポーの一族を読むときには、窓を大きく、できるなら全開にして読みます。空調の風ではなく、自然の風を取り込みながら、窓辺で読みましょう。時折、窓の外を眺めるのもよいと思います。そうしてふと鼻先に、薫る風を感じるのです。
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