それぞれの監督の個性が出ていました
豪華なオムニバスで、第1話はお真面目でシリアスな逸品
3話のオムニバス映画ですね。第一話は監督マーチン・スコセッシ。内容としては、抽象画の大家が離れたがっている助手兼恋人を追い求める話で、助手は自分に才能がないのではないかという悩みと才能溢れると一緒に暮らす苦痛を感じ、懇願する大家を残し故郷へ帰るというものです。大家には新しい助手ができそうという画廊のシーンで一話の幕が閉じます。
大変お真面目でシリアスな作品。なんせニック・ノルティ自体がシリアスで考え込んだ演技のうまい役者です。一方の女優、魅力的なロザンナ・アークエットとの少し期待した絡みはありません。ただ、ただ、ニックはロザンナを真摯に追い求めます。これが作品のテーマです。ハードなロックサウンドが要所に使われ、また、ニックの抽象画も象徴的に物語の雰囲気を作っております。短いながら、テーマと主張が肌に伝わってくる逸品ですね。スコセッシはまじめです。
第2話は無邪気な少女が魅力
第二話は両親が旅から旅へのフルート奏者及び写真家で、ホテル住まいをしているちょっぴり裕福でおませな少女の話です。その日常を追い、結局最後は父親の演奏先であるギリシャに母娘で渡るというところで幕です。
第二話は、一転して、素晴らしく美しい衣装や映像で少女の日常を描いています。おとぎ話めいた雰囲気づくりも見事に成功していますね。それにしても浮浪者に足をつかまれ、「明日もチョコレートを持ってくると約束したら離してやる」と言われて、次の日、持ってくるというシーンがありますが、後になって最も印象に残るシーンとなりました。
ウディ・アレンからすれば平均的映画
第三話はウディアレン。とにか歯に衣着せず、息子の赤ん坊の頃からのエピソードを誰にでも話す母親を持つ中年男の話。母におびえ、恋人に会わせるのさえためらいます。ところがその恋人とその連れ子といっしょに魔術ショーを見に行き、母親が舞台に呼ばれ、ショーの最中、忽然と姿を消す。と思ったら数日後、空に彼女が現れるのでした。その後、息子は母親探しで通っていた呪術師かぶれの女と恋に落ち、ゴールイン。母親も気に入り、地上に戻ってくるという話。
空に母親が出てくるのはやりすぎだろうと思うのですが、その母親とニューヨークの市民が話をするということでばからしさを救っています(というか、これは”かぶせ”と呼ばれるテクニックですね)空の母親が息子の写真を見せると、NYっ子たちが各々に自分の子や孫の写真を見せ語るとうシーンはまあおもしろいし、その他、ウディのかぶりものシーン、呪術のシーンなど笑わせられましたた。でも、あくまでウディアレンからすれば平均的映画に過ぎませんね。
ただ、それぞれの監督が、短く仕上げねければいけない映画を作るとすれば、どんなアプローチをするかがなんとなく個性となっていたと言えます。
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