裏事情に負け続けた尻すぼみ作品、しかしこれは富野氏凋落の始まりに過ぎない - 聖戦士ダンバインの感想

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聖戦士ダンバイン

2.502.50
映像
3.33
ストーリー
2.83
キャラクター
3.83
声優
4.00
音楽
4.00
感想数
3
観た人
4

裏事情に負け続けた尻すぼみ作品、しかしこれは富野氏凋落の始まりに過ぎない

1.51.5
映像
3.0
ストーリー
1.0
キャラクター
2.5
声優
3.0
音楽
3.5

目次

作品背景ーこの時富野氏は「神」だった

1983年の作品。富野氏中心に語れば、ガンダムで大ヒットを飛ばし、ヒット性は若干低いもののイデオンという超大作を世に出し、ザブングルで若干?と思わせたけど、まままあ面白かったよね、というなかでの作品だ。

この時点で彼はアニメ界ではほぼ「神」的存在だった。ガンダムコンテンツは35年を経た今でも巨万の富を気付いているし、ガンダム以前の名作、ダイターン3、ザンボット3も放送中よりもこの時期のほうが話題になったほどだ。

しかし、ここから彼の作品の凋落は始まる。

厳密にいえばザブングルで既に始まっていたのだろう。登場人物が多すぎてわかりにくかったり、キャラクター性が一貫していなかったり、などのプロットの破綻がいくつか見られるが、さほど激しいものではなく、問題視はされなかった。当時のアニメファンはアニメージュなどの専門誌を熟読しており、ザブングルは富野氏が最初から企画したものではなく、多少のことは仕方ない、という言い訳も事実のように語られていた。なんたって彼は「神」だったのだ。「神」が失敗するはずはない。失敗したのは周りの愚かなスタッフたちだろう。むしろ「神」が参加していなければザブングルなどもっと取るに足りない作品になっていたはずだ。何といっても我々にガンダムとイデオンを与えてくれた富野様なのだから。次の年は豊作に違いない。無邪気なファンたちはそう思っていた。既に作家として彼が枯れていることも知らず・・・

以降、ダンバインについて語る。 

珍しいものだらけで始まったダンバイン、そのいろいろな裏事情

当時のアニメ誌は「中世っぽい異世界を舞台にしたヒロイックファンタジー」「富野氏2年ぶりの最新作」というような見出しで本作を紹介した。1979年から刊行開始していた栗本薫の小説「グインサーガ」のヒットもあって「ヒロイックファンタジー」という言葉は世に広まりつつあったが、ロボットアニメに持ち込まれたのは初めてだったようだ。富野氏は同年齢である宮崎駿を常に意識しており、同時期制作発表されていた「風の谷のナウシカ」に対抗したかったという話もある。

そんなこんなで中世風パラレルワールドに迷い込んだ主人公の冒険が始まる。前半はバイストンウェルでの習慣の違いに戸惑うなどの世界観を利用した話を盛り込むものの、武士道気質の人たちの生きざまなどはイデオンでも書いているので、実際に見ている側としては思うほど珍しさはなかった。この時点でも無邪気なファンは後半でいろいろ神様が楽しませてくれるだろう、という程度にしか考えていなかった。曲線を意識したメカ軍が印象的であったのは間違いなく、主役機ダンバインはマニアにはかなり受けた。しかしまだまだロボットアニメは子供向け玩具の宣伝用コンテンツという位置づけもあった時代故、スポンサーのクローバーからの評判は悪かった。ダーナ・オシ―がザクみたいに売れるはずがないのは我々だってわかる。クローバーも富野氏を神と信じてしまったのだろうか。細かいことはわからないが、結局異世界には早めにおさらばして、ガンダム的戦争ものに移行していく。しかし現実社会への移行を決めた途端のクローバーの倒産もあって現場はまた混乱する。

と、ここまではwikiなどいくつか見ればわかる事情だ。

言ってしまえばどんな現場にもいろんな事情がある。面倒くさいスポンサー、必要以上に倫理を持ち込む視聴者の介入、社会風潮など、1年も放送するのに何の問題もない現場なんてないだろう。ガンダム、イデオンともに商品の売れ行きの悪さで打ち切りになっているのだ。どんな事情があれ、作品の失敗はやはり製作者の失敗でしかない。 打ち切りになろうが方向転換しようが、可能な限り視聴者を感動させる、それが製作者のやることだろう。

結局何が失敗なのか

端的に言えば、語ること=テーマが何もなかった、これに尽きる。

ガンダムは「戦争という極限状態」「ニュータイプという人の変革」などのテーマが明確だし、作り手も「今までにないリアルな作品を」という意気込みを持っていた。イデオンはSF性を前面に出し、ガンダム以上にリアルな世界を描き切った。今では珍しくもないが「主人公たちが敵の女性を人実に取る」などという行為は当時は革命的だったのだ。

ここからは想像の範囲だが、本作は単に中世っぽい世界を描く、というコンセプトのみで始まったのではないだろうか。例えばガンダムのような「人の変革」的骨組みがあれば、舞台や主役メカが変わったとしてもそれを表現することができたはずだ。それができなかったのは根本に何もなくただ走り出したためだろう。

振り返ってみればこれはザブングルにも言えることだ。世界観の面白さが受け、プラモの売れ行きが好調だったので、スポンサーは喜んだだろうが、話自体には大した感動はない。現にトラッド11やウォーカーギャリアのプラモやガレージキットは今でも売れているが、感動の名作とか、心に残る名セリフでザブングルを上げる人はいない。本作の後のエルガイムもそうだ。とにかく戦っている。何が言いたいのかわからないまま、人がたくさん死ぬ。見終わった視聴者はむなしい気持ちだけが残る。その繰り返しだ。本作もほとんどのキャラが死ぬが、その後フェラリオとして蘇る案もあったらしい。しかしそれはイデオンと変わらない、と富野氏が止めたという。作家としてそれが結論であったのなら他作品と似ているとしてもやるべきだったし、そうしなかったのなら他の案を用意すべきだ。とにかくこの作品について調べると、マイナス事情ばかりが出てくるが、それは言い訳でしかない。30年たっても程度の低い言い訳しか出てこないなんてやはり駄作としか言いようがないだろう

ザンボット3もメインキャラの大半が死ぬが、最後のシーンでそれが意味あるものになる演出がある。イデオンもそう。だからこの2作品はいまだに作品として語られる。

しかし、それ以降の富野作品は、死に意味がないというより作品そのものに意味がない。

直近のGのレコンギスタも世界観だけ作られていて、あとは適当に戦って、意味が分からない富野コトバを叫んでいるだけ。ともあれ最後に主人公が笑いながら走っていく、というザブングルと何ら変わらない展開だ。

唯一、1999年放送の∀ガンダムだけはプロットの破綻もなく、独特の世界観を貫き、カタルシス、感動を演出できている。イデオン終了後彼がきちんと仕事ができたのはこの1作のみだと私は思う。

もっと明確に書けば、彼はイデオン終了の時点で既に作家として枯れていたのだろう。

∀は腐ってもプロ、という気概の作品だろうが、今後に期待するのはやめた方が良い。既にアイデア枯れた老人を神輿に乗せ、「神」と呼び、豊作を信じたアニメ業界と私を含むファンたちも愚かだったと言わざるを得ない。30年以上が過ぎて今初めてそれが言える

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