人間らしい人形
妖怪人間ベムとの比較
この「パルムの樹」という劇場アニメを観て、思い浮かべたアニメ作品が「妖怪人間ベム」でした。
パルムは木製の人形であり、妖怪人間ベムは、その名の通りで妖怪人間です。全然違う内容、違う背景で描かれたアニメ作品なのかもしれません。しかし、作品におけるテーマとなっていることが同じなのだと思います。それは、「人間になりたい」という主人公の強い想いです。主人公の強い想いが、アニメ作品のメッセージ性にもなっており、自然に似たような展開になっていたように思います。
分類するなら、「パルムの樹」は冒険活劇アニメなのだと思います。一方で、「妖怪人間ベム」においては、ホラーアニメに分類されるアニメ作品なのではないでしょうか。印象が全然違うアニメ作品にも関わらず、話の展開や描きたいことが似ていることは、面白いといえるのかもしれません。
「パルムの樹」「妖怪人間ベム」、両者の描きたかったことに、人間の醜い部分が挙げられるのではないでしょうか。
そして、そんな醜い人間という存在に対して、主人公たちが目指す意味があるのか、考えさせられるのです。人間より、主人公たちの存在の方が清い存在であり、人間になってしまうことで醜くなってしまうのではないでしょうか。
アニメ本編を観ていると、そんな気分になってしまうのも、両作品にいえる共通項です。
結末として、どちらも人間になることが叶わなかったのも同じでした。この手のアニメ作品において、夢が叶って、人間になれた物語は皆無なのではないでしょうか。パルムにおいても、それが叶わぬ夢であることは、観る側には予測できたことなのかもしれません。
ただ、夢は叶えることができなくても、清い存在であり続けられた結末は、人間になるより幸せなことだったのかもしれないです。
そして、そう思える結末においても、「パルムの樹」「妖怪人間ベム」に同じことがいえるように感じました。
ピノキオとの比較
比較的に類似例として、簡単に挙げられるのが、童話タイトルである「ピノキオ」の存在ではないでしょうか。
木の人形であるピノキオ、パルムは、その存在自体が酷似しています。「パルムの樹」という劇場版アニメそのものが、現代版「ピノキオ」と呼べるのかもしれません。主人公の存在が酷似していることで、制作する段階で「ピノキオ」のことを意識してないわけはないと思うのです。むしろ、童話「ピノキオ」のことを意識して、制作された劇場版アニメと考えた方が自然のように感じられます。
そして、前項でも述べましたが、「人間になる」というテーマは同じのように思います。ピノキオという童話から脈々と受け継がれてきたテーマなのでしょう。やはり、童話「ピノキオ」を意識して制作されたことを裏付けることではないでしょうか。
ただし、童話「ピノキオ」といえば、嘘をつくことで鼻が伸びることが印象的です。
しかし、パルムにおいては、その設定は当てはまらないです。また、別の何かに置き換えられているようにも感じられませんでした。この部分は、「パルムの樹」という作品個性を打ち出されたものと考えることができます。
パルムは、物語冒頭から清い存在です。パルムとピノキオとの性格面においては、全くの別物だといえます。ただし、パルムが物語終盤で、少し悪い態度をみせる場面がありました。清くて幼いパルムの印象からすると、意外な変化でした。その場面、その部分においては、ピノキオを思い浮かべることができるのかもしれません。
両者の決定的な違いは、人間になれた、なれなかった結末だと思います。
人間になることができたピノキオに対して、人間になることができず樹になったパルムの結末は正反対なものだといえます。
前述で、この手の物語で、人間になれた物語はないと記載しました。しかし、「ピノキオ」は唯一の例として、人間になれた作品だといえます。「パルムの樹」を「ピノキオ」と比較しながら観ていたら、きっとパルムが人間になる結末を思い浮かべていた人はいるのかもしれません。
ヒロインの存在感
「パルムの樹」ヒロインであるポポの存在は、「妖怪人間ベム」「ピノキオ」には皆無だった要素と考えられます。
「妖怪人間ベム」「ピノキオ」、どちらの作品においても、ヒロイン自体が存在しません。
ポポの存在は、「パルムの樹」特有に打ち出された個性なのだと思います。ポポの存在があることで、パルムの「人間になりたい」気持ちが強調されています。そして、ポポの母親に木の人形であることを馬鹿にされる場面がありました。その場面から、パルムの中に「人間になりたい」気持ちが生まれ、物語が始まったのだと思います。
ポポの外見は、パルムを寵愛したフォーの姿と酷似しており、パルムがポポに想いを寄せる理由にも必然性があります。また、ポポにおいても、母親からDVを受けており、旅立つ理由としても自然のことのように感じられます。
ヒロインという存在を上手く用いることで、パルムの気持ちを上手く表現されているのではないでしょうか。
ポポの存在感は、パルムの引き立て役という立ち位置なのだと思います。しかし、ポポの存在があることで、パルムに対する感情移入もしやすいです。行動を起こすのに、理由は必要不可欠だと思うのです。
ポポの存在は、「パルムの樹」という作品の中で、特に重要な存在なのだと思います。
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