良くも悪くも「銀英伝」の鏡のような作品
「ロイエンタールの反乱」の消化不良への壮大なリベンジ作品
本作品の成り立ちが「銀河英雄伝説」のロイエンタールの反乱をリメイクしたものと見えるのは田中芳樹ファンなら誰もが知るところだろう。ロイエンタールの反乱については本サイトの「銀河英雄伝説」の私の評で詳しく書いたので参照願いたい。ここではヴェンツェルがその役だが同じような話になるので彼自身には大きく着目しないが、この作品そのものが「銀河英雄伝説」のロイエンタールの反乱をもう一度書きたかった、というところから出発しているのは間違いない。
ではその試みは成功なのか?
ロイエンタールはラインハルト軍に反旗を翻したといえども全体の局面では1回の局地戦で決着しており、ラインハルトと直接雌雄を決することはなかったので、読者の衝撃の割に(読者ももちろん裏切ることはわかっていたが、決着の中途半端さが衝撃だった)歴史に与えた影響は小さい。「宇宙を手に入れる」ことを目的としたラインハルトより、自己主張と自分探し的ロイエンタールの蜂起は規模が圧倒的に小さく、反乱することに意義があった。もっと悪く言えば反乱のための反乱に終わった、と言えるだろう。一方ヴェンツェルはカルマーンを追い詰め、直接対決もするというところまで達しており、目的は国盗りであることが明確だ。そういう意味ではロイエンタールの反乱を大規模にしてリメイク、という作家としての野望は完全に果たしたといえるだろう。カルマーンとヴェンツェル、二人の最後は比較的淡々とした形で扱われているが、反乱を国盗りに拡大できた時点で作者は満足した、といったところか。
では読み手側はどうか。私を含め、この2重構造を知って読んだ人は本作を成功とは言わないまでも、「銀英伝」の欲求不満を晴らす胃腸薬と受け取れるだろう。なんといってもあれだけ引っ張った「ロイエンタールの裏切り」がどうにも消化不良に終わったことに「何やってんの田中芳樹」と首をひねった人が何万人もいたはずだ。その人たちも本作を読めば「ああ、こっちでパラレルワールドやってたから、むしろロイエンタールはキャラクターの不条理感だけを優先したのね」と納得するだろう。(人によってはロイエンタールの消化不良の言い訳につき合わされた、という感想もあり得ることは明記しておく。)
一方「銀英伝」を知らずに本書だけ読んだ人はどうだろう。正直あまり感慨はないのではないかと思う。中世的描写が充実しているので美しい作品と見えるかもしれないが、リドワーン、アンジェリナ、パールの3人のハッピーエンドでちゃんちゃん、というところがどうにも軽い。恨みや策謀が渦巻く中盤から考えると最後の数ページだけ軽すぎるだろう。田中芳樹の代表作と聞かれて本書を挙げる人は少ないという点がそれを物語っている。
敢えて固めの文体に挑戦、これは後世に残る財産になる
大ヒット作「銀河英雄伝説」と同時期に書いているので、似たような作品にならないよう、あえて文体を固くし、かつキャラクターに寄りすぎないようにしていることは容易に想像がつく。タイトルの通り特定の人物の「伝説」ではなくある地域の「年代記」にしたかったのだろう。
後出しの作品が差別化を意識するのは当然だが、同時期に進行していた銀英伝にもその影響が出ていることは意外と知られていないように思う。私は「マヴァール」は全く知らないまま「銀英伝」を読み終えたが、9巻から10巻にかけて、書きぶりが変わったことに違和感を持った事を記憶している。さすがに何年も書き続ければタッチも変わるか、と思いはしたが何か腑に落ちないものがあった。その違和感の正体は後年「マヴァール」を読んで判明した。セリフによる展開説明が増えたり、田中芳樹特有の戦史的記述が明確に薄められていることが原因だったのだ。「銀英伝」の世界では少なくとも中盤まで「軍隊は指揮官が命令したからといえども即日出動できるわけではない」などリアルさにこだわっていたが、後半では少数のキャラクターが望む方向にホイホイと大群が移動するような悪い意味でのマンガっぽさが目立つ。ビッテンフェルトの主戦論が通ることやオーベルシュタインの人質作戦の中途半端さは前半ではありえない展開だ。それにもましてラインハルト暗殺を狙う地球教との戦闘にユリアン、ポプラン、アッテンボローが参戦するなど考えられないご都合主義的展開に私は「あれ、これって同人誌だっけ」と考えてしまったほどだ。ユリアンの敵討ちが話の目的なのだろうが、正直「なんじゃこりゃ」と思ったのは私だけではあるまい。
実は第一巻の刊行は「マヴァール年代記」より早い「アルスラーン戦記」ではどちらかと言えば全体感は「マヴァール」寄りに固めだがより適度に軽めのキャラクターを入れることでバランスの良い作品になっていると私は思っている。同時期に軽めの「銀英伝」と重めの「マヴァール」を書き分けたことがこのバランスの良さを作ったといえるかもしれない。
主人公アルスラーン自身が若いこと、早い段階からエラム、アルフリード、エステルなどの同年代のキャラクターが複数出ることで王朝復興ものにありがちな重々しさを防ぎつつ、周囲を固めるダリューンなどはあまりギャグネタに参加しないなど、作品内のすみわけにも気を使っている。とんでも天才キャラ、ナルサスの芸術がオチ扱いなことやギーヴの軽さなどはちょっとマンガっぽさもあるが全体の展開には影響しない程度にとどめているところも好感が持てる。
同氏の大作(?)創竜伝に比べれば私としては評価している「アルスラーン戦記」、2016年現在クライマックスに向かっているが「銀英伝」と「マヴァール」の良い点を踏まえた傑作として終わることを切に願う。
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