ヘルシンキを舞台に展開される、ゆる~い物語
とにかくゆるい不思議な映画
『かもめ食堂』は、群ようこ原作の小説を映画にした作品だ。
小林聡美、片桐はいり、もたいまさこという個性派女優を主役に迎え、フィンランドはヘルシンキに居を構える「かもめ食堂」の日常を描く。
映画『かもめ食堂』にストーリーというストーリーはない。大きな物語の変動も、恋もサスペンスもない。三人の女性(おそらく全員未婚だ)が、異国の地でたまたま出会い、居心地の良い場所・ヘルシンキの「かもめ食堂」で日々を過ごしていくというだけの話。かもめ食堂は、最初は客こそ少なかったものの、徐々に人が増えだし、やがて満席になったところで物語は終わる…というなんともいえないエンディングを迎える。いかにも女性作家が書いた文学作品らしいストーリーで、そういったノリが好きではない人には向かない作品であろう。
筆者も女性的な文学作品はさほど嫌いではないが、たとえば客が増えだす流れや、日本食があっさりとフィンランド人に受け入れたところなどにはちょっと疑問を覚える。ご都合主義的展開が多いように感じられて、普通の映画好きには物足りない作品になっているのではないだろうか。
『かもめ食堂』を支持する層はだれだ、だれだ、だれだー
しかしながら、『かもめ食堂』は意外と評価の高い映画である。ネットで「良作映画」などで調べてみると、結構高い確率でヒットしたりする。「癒される」「疲れたときに見たい」などというのが、評価される主な理由だ。
だが、評価サイトで『かもめ食堂』を検索してみると、毀誉褒貶の激しさに驚く。「つまらない退屈な映画」「女優が画面映えしない」「ご都合主義」「独特」などというのが、批判的な人の理由。
一方、好きだという人の意見を見てみると、「癒される」「ゆったりしていて落ち着く」「個性派女優たちの演技が自然」などとさまざまだ。
つまり、作品の個性を長所と捉えるか短所と捉えるかで、『かもめ食堂』に対する評価はがらりと変わってしまうらしい。
うーん、これは難しい。つまり、「作品としての質よりも、好き好みで観てしまう映画」とまとめてしまえばいいだろうか。着地点の難しいレビューとなってしまいそうだが、筆者もネット上の意見に倣い、個人的見解に落ち着いてしまうのが無難だろう。
「あり」か「なし」かで言われれば、筆者は「なし」と言ってしまいたい。
理由は、やはりストーリー的な起伏があまりにもないことだ。たとえば似たような雰囲気映画である『しあわせのパン』などは、季節とそのときどきに出会う人との交流を描く物語で、最後は”「りえさん」の欲しかったものが来る”という“決着”がつくが、『かもめ食堂』にはそれがないのだ。
『かもめ食堂』にたくさん人が来て終わり…しかもプールで何故か大勢のフィンランド人女性の拍手を受ける…というとてもシュールな映像で終わってしまう。
たとえば、かもめ食堂に客がいなくて金銭面で大変だったとか、何故人が増えたかとか、そのあたりのストーリーが掘り下げられていればもう少し見どころがあったのだろうが、本当に何もなく終わってしまうのだ。これでは1800円を払ってまで見ようとは思えない。
終始個人的な感想となってしまって申し訳ないが、こればかりはご容赦願いたい。むしろ読者諸兄の意見を聞きたい気分でいっぱいである……。この映画、どうですかね?
喪女は見る価値アリ、の真意
さて、ここまでは『かもめ食堂』という映画の内容そのものへの意見を述べてきたが、映画に付随する要素というか、「映画に対して外部がつけた評価」について記しておこうと思う。
それは、「『かもめ食堂』は喪女のための映画」――という、評価(あるいはレッテル)である。
喪女、とはある程度の年齢に達した(おそらく、30歳~40歳程度)、残念な私生活を送る女性たちのことである。誤解を承知ではっきりといえば、「結婚していない」「出世もしていない」「財産もない」「美人ではない」など、社会的にぱっとしない女性たちのことだ。
『かもめ食堂』の主役となる女性たちは、みんなこの特徴を持っている。みな、それぞれの事情を持ち、フィンランドのかもめ食堂に集った。そこでそれぞれの意見や意思を尊重しながら、ちょっとずつ支え合って暮らしていく。
そう、『かもめ食堂』の魅力がここにある。主役たちはみな「地味な女性」ではあるが、精神的にも経済的にもある程度自立し、自分の意思で一人でフィンランドにきてしまうほどの行動力を持っているのだ。
世の中の女性はコンプレックスにさらされている。美人ばかりではない。金がない女性もいっぱいいる。結婚しない女性もいる。テレビも会社も家族も、そんなそれぞれの女性の意思など無関係に、「空虚な女性像」を押し付ける。友達に愚痴っても、世の中に対する不満を抱いている人は多いことだろう。
そのガス抜きをしてくれるのが『かもめ食堂』なのだ。少しブスでもいい。結婚してなくてもいい。店が繁盛しなくてもいい。自分らしく生きられる場所に住まう主人公たちが、なんとうらやましいことか。
喪女のためという真意はここにある。今、結婚や出世とでたらめに焦る女性たちに、「こういう生き方があってもいいんだよ」と教えてくれるのが、『かもめ食堂』なのである。
ただ、前項で述べているとおり、これは映画として観る価値があるか…でいえば、やはり難しいところなのだ。女性向け文学作品としては良作でも、映画として優秀かと言われれば微妙なのである。
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