幻想から帰ろう
絵画的な美しさ
この映画の前評判は「ドギツイ性描写」だった。
イタリアでは公開4日目にして「わいせつな映画だ!」と評判をくらい、
上映禁止にまで追い込まれたほど・・・。
しかし実際は絵画的な美しさに富んだ映像であった。
観る回数を重ねるごとに、その魅力はどんどん増していくようにも思う。
特に美しいと思ったのは、
空間内にいる人物たちの距離感だ。
鏡やすりガラス、壁などを使用し、人物同士の距離感や奥行きをより豊かに表現し、
また流れるようなズームイン・アウトやパンはまるでカメラがめくるめく踊っているようである。
そしてそんな批評とは裏腹に、この映画はとても哲学的な良い映画だ。
映画監督を描く理由
「なぜジャンヌの彼は映画監督でなければならなかったのか?」
彼そのものはストーリーにあまり影響してこないのだが、
彼の存在こそこの映画そのものの本質を表しており、
映画がどこまで幻想であっていいのかを表象しているように思う。
彼はジャンヌがウェディングドレスを選んでいる様子を撮影しているところで、
撮影スタッフに置いてかれてしまう。
「雨でも撮れ!」と彼は言うが、
どう見たって彼等は傘も持っていなかったし、
そもそも主役のジャンヌもいない。
この時、映画は完全に彼だけの世界になっていた。
これでは観客と映画の距離きが大きく開き、
独りよがりの映画になってしまう。
幻想にふけるもう一人の男
幻想にふけいってしまうという意味では、ポールも同じような存在である。
彼はあの部屋で幻想を見続けなければ自分を囲う環境に耐えられなかった。
一方ジャンヌは現実を見なければ耐えられなかった。
ベルナルド・ベルトルッチは、幻想に耽る男と現実を見る女を描くことにより、
「ポールのように幻想ばかりを追い求めても、
自分がその幻想を共有したい相手には届かない。
映画という一種の幻想空間においても、必ずどこかで現実へ返してあげなければならない。」
こうしたことを伝えているかのように思える。
映画を作る側・観る側両面において、
幻想に溺れすぎると、ジャンヌのような現実をみなければ生きられない人に、
幻想を殺されてしまうかもしれない。
しかもその幻想を殺してもちゃっかり自己のことは正当化する。
映画製作者にとって観客とは必須のものであり、少しは大事に扱わなければならない。
観客を魅了するのはいいことだが、
どこかのタイミングで必ず現実へ返してあげないと、観客は溺れてしまうのだ。
これは昨今のアイドルのSNS運営や握手会においても同じことが言えるかもしれない・・・。
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