この作品も深読みはよそう。そもそも深読みするものなんてないんだから - アフターダークの感想

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アフターダーク

2.832.83
文章力
3.83
ストーリー
2.67
キャラクター
2.83
設定
2.83
演出
2.67
感想数
3
読んだ人
11

この作品も深読みはよそう。そもそも深読みするものなんてないんだから

1.51.5
文章力
3.0
ストーリー
1.5
キャラクター
2.0
設定
1.5
演出
1.0

目次

作品背景

本作品は村上春樹の長編小説としては11作目にあたる。2004年発表にしており前後の作品は海辺のカフカと1Q84だ。1999年発表の「スプートニクの恋人」についてそれ以前の自分が用いてきた比喩的表現をこれでもか、と使用しそれを総決算として表現方法を変える、という趣旨のコメントを出しており、それ以降の発表作品でいうと2作目に当たる。それ故、作家として新たにやりたい表現を追求している時期と思われ、語り口調を明確に登場人物ではない、映画の視聴者のようなポジションに置き、表現も画像を強く意識している。

また村上氏は1995年に起きた地下鉄サリン事件をはじめとするオウム真理教に関連する出来事や、阪神淡路大震災に強い興味を持っており、「スプートニクの恋人」を前後して明らかに闇や、悪の書き方が変わっている。

それ以前は個人を死に至らしめる「人間に内在する弱さ」などを抱えた登場人物とその闇から大事な人を守ろうとする主人公の戦いがあったが、地震と言う誰も逃れられない厄災が心の影となる事と、インテリであれ誰であれ飲みこんでいったカルト宗教という存在が、闇や邪悪はすべての人間に内在する、という考えに変わり、健全な人とそうでない人という線を引かず、すべての登場人物が闇や邪悪を内在し何かのきっかけでそれは発動する、あるいは足をからめとられる、という図式に変わっている。

謎はあっても答えは無い

エリの眠り、顔の無い男、白川の行動など本作品にはいくつもの謎があるが、全ては不明のままで終わっている。多くの読者はその謎ときに夢中になるだろう。私もこのレビューを書くまでそのような事を考えていたが、改めて考えると謎を解くことは必要ない、と思えるようになった。

例えば地震は何故起きるのか?プレートがどうとか、ひずみがどうとか、地震学者はその生業故にいろいろな研究をする。しかし何故その日なのか、何故その規模なのか、何故自分が被災者なのか、そんなことは誰も説明できない。それは単なる脅威であり恐怖なのだ。

地下鉄サリン事件も同様だ。たまたま乗っていた電車でその事件が起こり、命を奪われたり後遺症が残ったりしたことに対して何故その人が被害者なのか、など誰も説明できはしない。教団にはその事件を起こすに至る動機があったのだろうが、被害者にとってはそれはただ起こったことなのだ。

現実に自分自身の境遇を考えてほしい。あなたには何かしらコンプレックスがあると思う。例えば鼻が低く形が悪い事が悩みだとしよう。両親や祖父母からの遺伝という理由づけはできるかもしれないが、それはあくまでも後付けのものだ。あなたの両親祖父母の全てが全く同じ形で鼻が低かったはずはない。誰も高くはないとしても形はそれぞれのはずだ。何故あなたの鼻がその形なのかを説明できる人など誰もいない。

同様に浅井エリは何故かはわからないがこの数か月をほとんど「眠っている」のだ。まずそれを受け入れなければいけない。何故、と考えることはこの作品にとってマイナスだ。

全ての登場人物は社会の闇を表している

エリが表しているのはある日を境に日常生活が出来なくなる「精神の病という恐怖」なのだ。それにはモデルをするほどの美しさなどなんの意味もない。言い換えれば「誰にでもあり得る恐怖」だ。

白川も謎の男という印象が強いが、電話での妻との会話から外見上は普通の暮らしをしていることが垣間見れる。彼が表しているのは「誰しもが何かのきっかけで他人に危害を加えるという恐怖」だ。

カオルやコオロギは普通に暮らしている人間でも「何かのきっかけがあれば容易にドロップアウトしてしまう恐怖」を、顔の無い男は「言いようのない得体のしれないもの」を表している。また中国人少女の売春に関わるバイクの男は「現に今日本社会にある組織的恐怖」を表している。「警察に電話すると、このあたりで火事が出るかもしれない」「命はひとつしかない。耳は二つある」という言葉が恐怖をそそる。

高橋はどうだろう。彼は自分の父と裁判の傍聴を通して、犯罪者や彼らがその犯罪に至る経緯を見てきた。彼が言う「壁」の話はまさに誰しもがいつ何のきっかけで犯罪を犯すか分からない、という事を常に語っている。

彼がエリと性交することによりエリの精神が損なわれた、という予想は成り立つし、他の村上作品でもそのようなパターンはあるので、それはそうかもしれない。しかし本作品ではそれはどちらでも良い事だ。彼は自分の父が犯罪者である事から自分も遺伝的にそこから「逃げきれない」かもしれないと考えている。法律を学ぼうとしている姿はそれに抗おうとしているのかもしれないが、コンビニに置かれた携帯から「逃げきれない」と繰り返し言われることで一層恐怖をあおっている。

それは名もないコンビニの店員、つまり一般のすべての人にも当てはまることだ。

マリは何を表しているか。彼女もいじめや不登校を経験しており、世の中に馴染めない、という暗示かもしれない。あるいはストーリー構成上の全体の目撃者という位置づけかもしれない。あえて恐ろしい方に考えることもできる。前述している中国人の闇組織の恐怖を強調している中で近々中国へ行くことになっている、というのはもしかしたら渡航先で暴力や犯罪に巻きこまれる、という事かもしれない。

繰り返すがその予想は読者次第で、勝手に考えれば良い。とにかくあらゆる言いようのない恐怖、災害、災難はいつでも身近にあり、それがやってきたとき避ける方法は無い、本作品が語っているのはそれだけだ。

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3.03.0
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