靴を交換した日がふたりにとって運命の日だった
料理が苦手なのは毎日実験しているせいかも
「今日の目玉焼き、最高に上手く出来たから、いつでも皆に自慢してくれていいからね」「お前が自分に自信を持てない分、私が持っててやるから、怖がらずに生きな」鉄宇のお母さん、個性的な人です。このお母さんがいたから、家にひきこもりになっても安心してゆっくりできたのかもしれないです。でも、きれいにできるのが唯一目玉焼きだけ。あとのは、まずいのかなと思わせる出来事が「えっと・・・僕、あげられるまともなおかずが目玉焼きくらいしかないんだけどいい?」と鉄宇が言っています。その前にも「母さんの唯一の自慢は目玉焼き。というかそれしかまともに作れない・・・」とナレーションがあるのですが、他のから揚げも結構きれいな感じで並んでいたので、そうなのかな?彼の心がそう思わせているのではないか?とも疑問がわきました。しかし、弁当を持ってきていない友達にあげれるものが目玉焼きだけということは、それは本当に料理がダメなんだなということがわかります。きっとそれが彼女の精一杯なのです。一所懸命やってもなかなか上達しないものってあります。これは、苦手なので克服しようと頑張っても徒労に終わることがあります。きっと彼女も毎日作っていても、ちょうどいい味の加減がわからないのだと思います。甥っ子がママも変なスパイス入れなければおいしいのにとつぶやいていたのを思い出します。いろいろ試してみたいものなのです。毎日の味にどうやって変化をつけようかと必死なのです。昔と違って現在では、いろいろな海外のスパイスが手に入ります。ベニシア・スタンリー・スミスさんの影響でハーブを育てている人も多いと思います。オレガノ、ローズマリー、サフラン、ディル、バジルなど本当にたくさんの種類のハーブの薬味も出ています。どうやって使うのかは、本当に毎日の発見なのです。料理の本には、ディルで味つけと書いてありましたが、バジルでもいいかもと思って入れてみる。やはりディルの方が家族には好評だったけど、自分の好み的にはバジルだったということもあります。そうやってレパートリーは増えていくのですが忘れます・・・。書き留めない限り、忘れます。だから、毎日が実験であり、毎日が変化のある味なのです。きっと鉄宇のお母さんは、実験好きなお母さんなのでしょう。毎日の料理に変化をつけたい。家族に喜んでもらいたいと彼女なりに必死なのです。
妹との性格の違いが彼をより鮮明に浮かび上がらせている
自分がやってしまったことへの後悔は、後から後から自己嫌悪のように降り積もっていって一歩も前を向けない時期があると思います。でも、時間の流れとは本当にありがたいもので、それを過去のものにしてくれます。自分のなかで消えない過去。フラッシュバックのように何度も何度も消したくても記憶力というのは、残酷で同じ場面を見せてくれます。記憶があるから生きていけるのだけど、記憶がときには人を蝕みます。妹の頬の傷は、自分が相手にケガさせなければできなかったかもしれない。妹も心に傷を抱えますが、彼女は強い。常に前を向いています。鉄宇と正反対のような妹を描くことで、彼がより鮮明に浮かび上がってきます。彼にも影響を与えてくれます。
平気で人に死んでという人ほど怖いものはない
人の目を見て「鉄宇とは二度と関わりたくないね、早く死んで来いよ」辻村くんのなかにあるのは、傷つけられた怒り。だけど、ドアの陰に鉄宇が立っているのがわかっていて、簡単に人に死んで来いと言える人の方が私は怖いです。本当にその人が死んでしまったら、どう責任取るのでしょう?このときは、部活のバスケのみんながいます。彼ら全員が辻村くんがそう言っているのを聞いているので、もしも仮に鉄宇が死んでしまったら、辻村くんはどうしたのでしょう。次は自分が仲間はずれにされる番になります。怒りにまかせて言葉を発してしまうと、後で後悔しても遅いのです。言葉選びには、自分も慎重になりたいと思いながら、四苦八苦している毎日です。言葉って生き物です。言霊という単語があるように言葉には何らかの力があるように感じます。人を感動させたり、悲しませたり、笑わせたりする力があります。だからこそ、慎重に使っていきたいと思いました。傷つけられたから、人を傷つける行為というのはどうなのかなと疑問しか残りません。それを正当化して、辻村くんも生きてほしくないと思います。
感情を殺さないで、フラメンコのように生きる
「私の思うフラメンコの良いところはね。苦悩や葛藤、秘めた愛情や幸福自慢、普段押し殺している感情を、そのまま思いきり反映出来るところ・・・しかも!そういった感情を込めれば込める程、格好良く見えてしまうのよ」「伝統を重んじるというより、時代ごとに変わる人の思想を取り入れ、変化を許す寛大さを持っている」フラメンコって素敵と思いました。変化を恐れない舞踊なんだなと感じました。素の自分をさらけ出すのがかっこいいのだと教えてくれます。人は本音を言わずに建前で生きているところがあります。たまには、このフラメンコのように、感情をさらけ出して、生きてみてもいいのかもと言われている気がしてきます。「欠点だらけだけど、皆偽りなく楽しそう!僕らのは間違いなく「幸せ」だよ」と言う市川くん。踊りが先走りすぎて、唄もギターもついていけなかった。そして、踊りが止まってしまった。踊らないのだったら、舞台からはけてくださいと言われているところに彼らの先生が来て激励してくれる。それから、気を取り直して踊る。その感想を踊った直後ではなく、しばらくたってビデオという形で見て、こちらの読者に伝える手法もあるんですね。あのとき、みんな踊った直後に眠ってしまったので、どうだったのだろうと思っていました。何事においても楽しむことが人生において大事なのかもしれないですね。失敗をしたとしても、楽しめて踊れたのだったらいいのじゃないかと思います。晴れの舞台は誰でも失敗をするし、後悔もします。出なければよかったくらいの失敗をするかもしれない。だけど、それを恐れていては自分にも成長がありません。失敗をしてもそれが明日への成長に繋がります。「失敗して、この時間が無駄になる方が怖い」という主人公に対して、先生は「失敗したって無駄になることなどひとつもない!」と言い切ります。人生に無駄なものは何一つないと思います。これが必要?と何度も人生において、振り返ることが何度も何度もあります。ピアノの発表会で、すごく失敗した経験があります。舞台というものの恐ろしさに閉口していたとき、先生は何度も舞台に立てと言ってくれました。何度か立つうちに何度かは成功する。でも、何度かは失敗するの繰り返しだったように思います。失敗しだしたら、譜面をめくってくれた人が「飛ばしちゃえ」と言ったことを思い出します。自分が不得意だったところは飛ばしてしまいましたが、みんなにはそんなに失敗したと映らなかった。それがとても不思議でした。不得意なところは飛ばしてしまってもいいのだと気がつきました。それを発表会で大胆にやれたこと。実際にやれて曲をつなげられたのが不思議でした。成功だったのか?失敗だったのか?と言われると、失敗だったのかもしれません。でも、自分のなかでは、弾けたことの満足さが残りました。震える指で何度も失敗を繰り返していたので、この満足感は誰の物でもなく、自分のものでした。それが彼らの満足感と似ている気がして、すごくまぶしい。ビデオのなかの三人が失敗したのに満足そうにうれしそうに笑っている。それがとても素敵でした。
「自分の捨てた夢にしがみつく君を見て幸せを覚えた。戯れで始まった赤い靴との生活だけど、苦労と笑顔を手に入れた。そんな日々に欲が出た。人生を楽しむ姿を君にも見てもらいたくなった。泣き笑い懸命に生きる君に恥じないよう。僕は全力で日々を楽しむ。いつでも君に会いにいけるよう」藤本さんを応援するために主人公が踊るときの歌詞(レトラ)です。ずっとレトラって?と思いながら、読んでいました。何度も途中で出てきていたのですが、読み飛ばしていました。しかもフラメンコ用語なんだなと!フラメンコというと、女性物の方が漫画で描きやすいイメージだったのですが、男性物もいいなと思いました。藤本さんと靴を交換した日から、彼女は前を向いて進んでいることがわかったのに、自分はずっと後ろ向きだった。だけど、そんな日々にさよならしたくて彼は必死にもがきます。しがみつくのがかっこ悪いとかそんなこと考えていません。女ものの靴だけど、それを履いてフラメンコを踊りたい!という意思が伝わってきます。彼女が上達できなかったフラメンコ、彼に合わなかったバスケ。靴の交換がお互いのフラメンコとバスケも交換してしまった日。でも、それがいろいろな出会いにつながり、最後に主人公は笑顔で踊ります。友達の唄とギターに力をもらい、彼女の前でみんなの前で堂々と踊ります。女子高という世界に男子三人が行って、バスケの休憩で踊る。その靴のいきさつを知っているのは、藤本さんだけ。それでも彼は彼女のために踊ります。人生を楽しむという歌詞にほっとさせられます。そして、彼女に見せたから終わりではなく、始まりだということがわかります。新しい靴、出発地点にやっとでたどり着いたのだなと思いました。新鮮さがいっぱいで、これが佐原ミズ先生との初めての出会いでしたが、もっと他の作品を読んでみたいと思わせるようないい漫画です。本棚にずっと並べていたい宝物になる一冊だなと思いました。
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