ベルばらとの違いを見つけるのもまた一興
「ベルサイユのばら」を読みふけった私としては、架空の人物とされているオスカル様の父であるジャルジェ将軍(作品中ではジャルジェイ)の名前が出てきたり、妹のように可愛がったロザリーが出てきたりとわくわくすることが多かった。
マリーアントワネットと言えば「首飾り事件」であるが、そうか、この方法ならだまし取れるな、と納得できた。ベルばらのほうはちょっと無理やり感があったので、小説のほうがスッキリする。フェルゼン(作品中ではフェルセン)とマリー・アントワネットとの恋バナも、もう少しなまめかしいものかと思いきや、マリー・アントワネットへの忠義心にあふれた愛情であったし、いい意味で裏切られた作品だ。
最も読み応えがあると感じたのは、視点の変化である。
王侯貴族を題材にした書物は、もともとの文献が貴族階級の手になるものが多く、そのため視点も平行というか貴族目線のものとなりがちだ。
この作品では売春宿が主な舞台となる。市井の人間から見た王族という視点で描かれている場面がいくつもある。ルイ16世時代のフランスの市民の生活を知ることは容易ではなかっただろうが、歴史文献と作者の想像力、文章力を以て「そうなのかな」と思わせる表現となっている。
いやきっとそうだったのだろう。
遠藤周作、恐るべし!
そして読後にバターをたっぷり塗ったパンを食べたくなるのが困りどころ。
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