富士には、月見草がよく似合う------明日の文学の理想を求めて苦悶する、太宰治の中期の名作「富嶽百景」 - 富嶽百景の感想

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富嶽百景

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富士には、月見草がよく似合う------明日の文学の理想を求めて苦悶する、太宰治の中期の名作「富嶽百景」

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太宰治の「富嶽百景」という短編小説は、太宰の中期の代表作で、主人公の"私"に仮託して、「くるしいのである。仕事が----純粋に運筆することの、その苦しさよりも、いや、運筆はかえって私の楽しみでさえあるのだが、そのことではなく、私の世界観、芸術というもの、あすの文学というもの、いわば、新しさというもの、私はそれらについて、まだぐすぐず、思い悩み、誇張ではなしに、身悶えしていた。」と表現されているように、この小説の執筆時の昭和14年頃の、新しいあすの文学を模索し、身悶えしている若き太宰治の文学との格闘の日々が、魂を削るかの如く、赤裸々に描かれています。

青春の彷徨と錯乱の時代とも言える、彼の前期において、自身の大地主の家の生まれだという出自に反抗して、左翼運動に身を投じたり、愛の苦しみから女性と心中未遂事件を引き起こしたりして、そういう時期を経て、ようやく明るく健康的な精神の安定期を迎えていた、いわば、作家としての充実期に書かれた、文学史に残り得る、優れた短編小説だと思います。

この小説の主人公である若い作家は、新しいあすの文学を模索し、身悶えしながら、そうした自己の課題を背負いつつ、眼の前に広がる富士と対座し、富士を眺めています。
そして、主人公の眼に窓越しに見える月夜の富士は、青白く、湖から浮き上がった水の妖精のようだと、幻想的で神秘的な美しさをもって眺められています。

そして、富士を眺めながら、「私は溜息をつく。ああ、富士が見える」と、私は富士に対して、私の考えている"単一表現"の美しさに近い美を、いったんは認めかけながらも、その後、あわてて打ち消し、富士の姿があまりにも"棒状の素朴"なのに対し、小説の中で「これがいいなら、ほていさまの置物だっていいはずだ。ほていさまの置物は、どうにもがまんできない、あんなもの、とても、いい表現とは思えない、この富士の姿も、やはりどこかまちがっている、これは違う、と再び思いまどうのである」と表現しています。

いったん"あすの文学"の理想を眼前の富士に見い出しかけた主人公が、それは自分の既成の権威との安易な妥協であるとして、自己を厳しく責め、富士に戦いを挑むことによって、さらに独自の"あすの文学"への新しい理想を求めて苦悶する太宰の姿が、透かし絵のように浮き上がってきます。

「素朴な、自然なもの、したがって簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動で掴まえて、そのままに紙にうつしとること、それよりほかには無いと思い、そう思うときには、眼前の富士の姿も、別な意味をもって目にうつる。この姿は、この表現は、結局、私の考えている「単一表現」の美しさなのかもしれない。」と描き、それまで溜息まじりに、しかし否定されるべき既成の美としてとらえていた富士が、別な意味をもって見えてくるというように、富士というものが、主人公の気持ちの動きにしたがって、否定されるべき古い権威の姿となったり、逆に学びとるべき美の目標とされかけたりしているのです。

このように、この小説「富嶽百景」は、富士山との対話を通して、文学の理想像を富士山に見い出しかけてみては、また否定しようとする"あすの文学"を求める、太宰治の苦悶を描いていて、暗黒の青春から脱皮することで、文学的野心に燃え、新たな出発を目指そうとしていた"太宰の自画像"でもあるのです。

そして、その太宰のそのような心の在り様を見事に表現したものとして、この小説の中の第十四景の「三七七八メートルの富士の山と、りっぱに相対峙し、みじんもゆるがず、なんというのか、金剛力草とでもいいたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。」という、文学史上の有名なこの一節に繋がっていくのです。

つまり、既成の権威に妥協するところのない、「そいつをさっと一挙動でとらえて、そのまま紙にうつしとる」のにふさわしい、「素朴な、自然なもの、したがって簡潔鮮明なもの」と主人公が呼ぶところの太宰の芸術の理想---「単一表現」の美しさ---の具体的な姿を、富士とりっぱに対峙し、みじんもゆるがずにすっくと立つ、このけなげな月見草の姿に、象徴的に言い表しているのです。

「富士には、月見草がよく似合う」と表現された、この月見草のような文学が、太宰治という作家の文学の理想であったのだと思います。

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