ヘドウィグ・アンド・アングリーインチの評価
ヘドウィグ・アンド・アングリーインチの感想
かわいい彼女に何度でも会いたくなる
私は多分、ヘドウィグに恋をしていたのかもしれない 一度見たときの衝撃は忘れられない。初めて見たときは恐らく意味がよく分かっていなかったのだと思う。 エンディングなんかは、え? どういうこと? 裸で歩いて行くってなに? って感じだったから。でも見た後の衝撃だけは残っていて、あの風変わりな顔をことあるごとに思い出していた。 数年が経ち、もう一度あの映画を見たいと、DVDを借りて見てみた。二度目の衝撃。やはり、健在であった。 分からない部分が取り払われ、頭の中でこういうことだったんだ、というぼやーんとしたものが渦巻いた。でも、言葉にできない。 それに、なんといえばいいのだろう、あの女性以上に女性らしいしぐさ、嫉妬に狂う姿、悲しむ姿など、全てが愛おしく見えてしまう。 恐らく私は、ヘドウィグに恋をしたんだと思う。 劇中歌 ヘドウィグアンドアングリーインチは、なんといっても劇中歌が素晴らしい。怒...この感想を読む
「ありのまま」の自分で
引き裂かれた町の「あちら側」で生まれ育ったヘドウィグ冷戦中の東ベルリンで生まれ育ったハンセル。ラジオでアメリカのロックを聴いて育ち、いつかは自分も自由を手にしてロックンローラーになりたいと願っている。西に対する東。この対比はとてもわかりやすい。壁のむこうに見えるマクドナルドの看板の象徴する「自由」、さらにそれらの濃厚なエキスであるロックに憧れるハンセル少年。性転換をし、ヘドウィグと名を変えアメリカに渡り、かつての憧れの「自由」の中に身を置く彼(彼女)は、自分の生まれた東ベルリンを「あちら側」と呼んで歌う。そして歌の中にあるように、ヘドウィグはこちらとあちらの間にある「壁」であり、「橋」である。ヘドウィグはこちらとあちらにそれぞれ片足を入れながら不安定に聳え立つ「あいだの象徴」なのだ。叫ぶように自らの過去や境遇を歌うヘドウィグの姿は、ストーリーを追うごとにその内に育った疑問や悲しみを際立...この感想を読む
私のバイブルです
元々はオフブロードウェイの舞台だったこの作品、映画版のキャストもほぼそのままだそうです。簡単に言うと、オカマが怨み節ロックを奏でながら、元彼を追っかけまわすストーリーです。しかし、とにかく曲がカッコイイんです!サントラを即買いしたほどでした。ヘドウィグの生き様に憧れます。そして根底には、不完全な自分を満たす、自分探しの旅もテーマになっている深い作品です。ヘドヘッドと呼ばれる熱狂的なこの映画のファンは世界中に多くいて、日本でもたまに、Live状態で合唱しながら観る「カラオケナイト」も開催されています。脚本、ビジュアル、音楽、すべてにおいて最高で、私の心のバイブルです。