現代人の孤独な魂の人間像を先鋭的な感性で描ききった、フランシス・フォード・コッポラ監督の映画史に残る秀作「カンバセーション---盗聴---」 - カンバセーション…盗聴…の感想

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現代人の孤独な魂の人間像を先鋭的な感性で描ききった、フランシス・フォード・コッポラ監督の映画史に残る秀作「カンバセーション---盗聴---」

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脚本
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キャスト
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音楽
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この映画「カンバセーション---盗聴---」は、フランシス・フォード・コッポラ監督が、ウィリアム・フリードキン監督、ピーター・ボグダノヴイッチ監督と共同で設立したデイレクターズ・カンパニーのその記念すべき第1作目の作品で、映画監督として最盛期にあったコッポラ監督の先鋭的な感性が生み出した"孤独な魂の人間像"を堪能出来る、映画史に残る秀作だと思います。

コッポラ監督自身が脚本も書き、撮影を「カッコーの巣の上で」「JAWS/ジョーズ」の名カメラマンのビル・バトラー、音楽を「大統領の陰謀」「ノーマ・レイ」のジャズ感覚のスコアを得意とするデヴィッド・シャイアというように一流のメンバーが結集していて、それだけで優れた映画になるのではないかという予感を抱かせてくれます。

この映画の製作当時は、ニクソン大統領によるウォーターゲート事件の直後だったので、"盗聴"を題材にしたこの映画は、その意味で話題になったそうですが、政治的な陰謀とは全く関係なく、"プライバシー"の問題がこの映画のテーマになっています。

プロの盗聴屋そのものが盗聴されているかもしれないという、"現代の恐怖"を描いていて、"神"の問題すら提示されていて、形而上的な深みと重さをその底には持っていると思いますが、映画はもっと俗っぽい面白さを湛えて展開していきます。 広場の人混みの中で盗聴する事、そのテープを繰り返し聞いているうちに、"殺人"が浮かび上がって来る事----つまりミステリー映画としての面白さがあるのです。

このあたりのモティーフは、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の1966年の「欲望」に影響を受けているのは有名な話です。 「欲望」の主人公のカメラマンが偶然撮ったカップルの写真に、死体が微かに写っているのが見えた事から、現実と虚構の狭間を彷徨い、自己を喪失していくという映画でした。 この映画は、"盗聴"とか"尾行"といった事をモティーフとして、盗聴されている被害者より、むしろ盗聴する側の人間の心理、生き方というものを鮮烈に描いています。 いわば、コッポラ監督は、"現代の恐怖映画"というものを意図的に狙って撮っているのだと思います。

"盗聴"を職業とする人間の、何か陰湿でじめじめとした陰気で暗い世界や、彼ら盗聴屋の倫理観、自尊心、女性関係などをシビアに描き、最終的には人道にかなった結末が用意されていて、締めくくられる--------。 このようなセンセーショナルな題材を映画化したコッポラ監督の、時代を先取りした、時代に対する鋭敏さが、当時のアメリカン・ニューシネマを世界のトップに押し上げた牽引役ともなったのだと思います。

映画は主人公の盗聴屋ハリー(ジーン・ハックマン)が、密かに収録した男女の平凡な会話を聞いているうちに、その中に殺人の匂いをかぎとります。 彼はこの録音したテープを、彼に依頼した会社の人間に渡し、謝礼を受け取ります。 そして、そのテープの内容に興味を持ったハリーは、独自の調査を開始します。 テープの中の女は、どうやら依頼人の妻であったらしい。 妻の浮気と、それに絡んだ殺人が--------。

すると調査を始めたハリーが、今度は逆に人に尾行される立場になってしまう。 そして、彼の話す言葉がさりげなく盗み取られる人になるという、戦慄すべき展開になっていきます。 やがてハリーは、殺人の起こりそうな現場に赴くと、そこで意外な事件が次々と発生し、思いもよらない結末が待ち受ける事になります。

コッポラ監督の鋭い視線は、ハリーの内面へと深く入っていきます。 孤独で、禁欲的で、ある意味、完全主義者で恋人や相棒にすら心を許さない男ハリー。 こうした人間像は、コッポラ監督が「ゴッドファーザー」で、アル・パチーノが演じたマイケルや「地獄の黙示録」でマーティン・シーンが演じたウィラードなどに見られるように、コッポラ監督が好んで描く人間像で、"現代的な病"を体現する人物像になっていると思います。

このハりーはまた、過去のトラウマから罪の意識に苛まれていて、そんな彼の唯一の心の拠りどころになるのは、家で吹くサックスと教会の懺悔室だけという、"心に深い闇を抱えた人間"としても描かれています。 そして、心の拠りどころであるサックスを吹くという事が、鮮烈なラストシーンの重要な伏線になっています。

映画のラストで、自分の部屋に盗聴器が仕掛けられているのではないかと、ハリーは疑心暗鬼に駆られ、次々と家具を壊し、壁と床を剥いでいきます。 しかし、何故かサックスだけには手をつけませんでした。 それでも盗聴器は見つからず、丸裸の室内で茫然と座っているハリーの孤独な姿は、現代の孤独で病める人間の象徴として暗示的に描かれていて、まさにブラック・ユーモアの世界を見事に表現していました。

なお、この映画は1974年度のカンヌ国際映画祭で最高賞のグランプリを受賞し、同年の英国アカデミー賞で最優秀編集賞と最優秀音響賞を受賞し、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞でジーン・ハックマンが最優秀主演男優賞を受賞しています。

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