「大理石の男」「鉄の男」に続くアンジェイ・ワイダ監督、執念の一作「ダントン」
この映画「ダントン」は、ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督が「大理石の男」、「鉄の男」に続いて撮ったポーランド政治批判三部作の一篇で、母国ポーランドにおけるレフ・ワレサ議長の"自主管理労組=連帯"の挫折をその背景にして、"フランス革命を題材として、革命の理想とその宿命的な悲劇をダントンとロベスピエールという革命を指導した二人の政治家の確執と栄光と挫折"を通して描いた、フランス・ポーランド合作の映画史に残る問題作です。
原作は、ポーランドの女流作家スタニスワヴァ・プシビシェフスカの「ダントン事件」という戯曲で映画も舞台劇的に台詞に重点を置いて描いていて、主役のディドロの思想をくみ、現実的な妥協派であり、豪放磊落で当時のフランス王党派からの収賄の事実さえあった容貌魁偉なダントンをフランス映画界の名優で、アンジェイ・ワイダ監督が"彼こそダントンだ"とかねてより心に決めていたとされる、映画製作当時、フランスで最も人気のあったジェラール・ドパルデューが演じ、声を嗄らすほどの熱弁をふるってダントンそのものになりきっていた演技はまさに圧巻でした。
一方、もう一人の主役のルソーの思想に忠実な冷静沈着な理想家で、ダントンなどの穏健派を徹底的に粛清し、現在も歴史的な評価として"清廉な士"と言われるロベスピエールをポーランドの名優のヴォイツェフ・プショニャックが演じ、彼は舞台版でも同じ役を繰り返し演じていたそうで、ジェラール・ドパルデューに勝るとも劣らぬ見事な名演技を見せてくれました。
この「ダントン」は、1982年第8回のフランスのセザール賞の最優秀監督賞、1983年第37回の英国アカデミー賞の最優秀外国語映画賞、1983年の全米批評家協会の最優秀主演男優賞をジェラール・ドパルデューがそれぞれ受賞しています。
この映画の製作の意図をアンジェイ・ワイダ監督は、母国を追われた先のフランスで「撮影に入る前に起こった18カ月に渡るポーランドでの革命を体験していなかったら(この映画が)うまく出来たかどうか確信がありません。フランス革命は現在の我々と同じ、素晴らしい情熱をもっている。我々は今、一生で一回限りの何かを経験している。それは二度とない、初めて何かが起きているという感覚だ。それを私は映画として残したいと思った。」と語っていますが、当然の事ながら、当時この映画が母国ポーランドで公開される事は考えられず、アンジェイ・ワイダ監督のポーランドでの存在自体がレフ・ワレサ議長と同じように不安定な状況にあったと言えます。 この状況のもとでアンジェイ・ワイダ監督は、フランス革命におけるダントンを一人の英雄としてとらえ、その最後の処刑までを描いたのには、そこにレフ・ワレサ議長の幻影を追い求めていたものと思われます。
映画「ダントン」は、世界史において革命の原型とも言われる1793年夏から半年間に渡る激動のフランス革命の渦中にあった二人の革命児ダントン(ジェラール・ドパルデュー)とロベスピエール(ヴォイツェフ・プショニャック)の劇的な確執、葛藤と対決に焦点を絞って描いていて、歴史劇、政治劇、更には人間の本質を描いたドラマとしての多面的な要素を併せもっている、優れて知的で情熱に満ち溢れた映画です。
フランス国内で革命が始まって以来、周囲の国々の武力による干渉と革命派の内部分裂などで国内は混乱していました。 当時34歳のダントンと35歳のロベスピエールは、右翼のジロンド党に対立する左翼ジャコバン党の山岳党内にあって、それぞれの政治的立場を異にしており、穏健派で現実的な思想のダントンは、恐怖政治の緩和と自由の復活を主張し、極左的な政治理論を持つロベスピエールは、革命後の内乱の混乱を恐怖弾圧政治によって乗り切ろうと主張していました。
この二人は性格的にも風貌的にも、また言動においても全く対照的でしたが、共に雄弁な弁護士であり、王政を打倒した左翼の革命の闘士でした。 映画は当初、権力を握ったロベスピエールが、自身をそのリーダーとする公安委員会による反対派への恐怖弾圧政治を強行する過程を描いていきますが、ロベスピエール自身は、決して冷酷でサディストでもありませんでしたが、革命というものを挫折させないためには、どんな無理でも強引に行なおうという強い信念をもっている複雑な人間像をその人間的苦悩も含めてアンジェイ・ワイダ監督は、深い人間洞察力をもって描いています。
穏健派は、この状況下、革命の手綱を緩めて民衆を安心させる必要があると主張しますが、彼ら穏健派をも革命の敵だとして片っ端からギロチン台へとロベスピエールは送り込んでいきます。 革命というものが本来持っている激烈さ、非情さ、不条理性を描いていて、アンジェイ・ワイダ監督は、容赦のない厳しい演出を見せます。
しばらく田舎に引きこもっていたダントンは、パリへと戻り、公然とロベスピエールに対する反対の行動を起こし初めます。 ロベスピエールは、長年の革命の同志であるダントンへの友情と彼が民衆の間で絶大な人気がある事から、話し合いで彼を説得しようと試みますが、主義主張が真っ向からぶつかり合い、結果として二人の間の亀裂は、ますます深く修復不能な状態になっていきます。
この映画でロペスピエールは、神経質で腺病質な風貌で、冷静に理路整然と自分の考えを話す知性派で、ある意味、清廉潔白な人間として描かれており、一方のダントンは、ごつい風貌と体つきで、絶えず収賄の噂があり、清濁合わせ飲む、弁舌巧みに民衆を煽る演説は、民衆には人気がある人間として描かれており、共に革命の理想を求める気持ちは同じでも結局は敵対し、悲劇に向かって突き進んでいく事になる人間をヴォイツェフ・プショニャックとジェラール・ドパルデューの二人の演技派俳優は、実に生々しく鮮烈に演じていて、魂を震わすほどの凄い演技を我々に見せてくれます。
その後、ダントンは、1794年4月5日、ダントン逮捕を要求する公安委員会の突き上げに最初は反対していたロベスピエールも苦悩の末に、遂にダントンを処刑する断を下します。ダントン一派は、ことごとく逮捕され、ダントンは、法廷で民衆に雄弁に自分の信念を訴えかけますが、手段を選ばず押さえつけられ、群衆の面前でギロチンにかけられ処刑されますが、このシーンで"民衆にもっと自由を!"と叫ぶダントンは、そのままレフ・ワレサ議長そのものの姿だと言えます。
「革命はその子を啖う」という言葉があるように、ロベスピエールも、また、ダントンの「3カ月以上は続かない」という予言通り、ダントン処刑後の2カ月後に処刑され、恐怖弾圧政治は、その終焉を迎えます。
映画を観終えて、アンジェイ・ワイダ監督が、ダントンにレフ・ワレサ"連帯"議長を、ロベスピエールに当時のポーランドのヤルゼルスキー将軍を重ね合わせて描いているのが印象的で、この映画の最初と最後に1789年の人権宣言の条文が、ロベスピエールの世話をしている下宿の女性が、繰り返し厳しく教えた、その幼い弟の口から暗誦されますが、そこには革命の究極の理想としての象徴的な意味が込められているような気がしました。
しかし、この理想が現実には血塗られ、そのままでは実現出来ないという"人間の宿命に対する絶望と悲嘆"、ダントンとロベスピエール、そしてアンジェイ・ワイダ監督の心の奥底に共に疼いているような気がします。 「革命というものは必ず内部分裂を起こし、狂気に至り、最終的には挫折する。たとえ革命が成就したとしても、それは最初の理想とは全くかけ離れた形で進行してしまう。革命の高揚した理想とその悲惨な現実とは、人間の繰り返す宿命の業としか言いようがない。」というアンジェイ・ワイダ監督の心の叫びが聞こえてくるような、心の奥底にいつまでも重く残るような映画でした。
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