雅の極致にて"冒瀆の快楽"を賭けようとする、至高の姿を描いた、三島由紀夫の晩年の名作「豊饒の海(一) 春の雪」 - 春の雪の感想

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春の雪

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雅の極致にて"冒瀆の快楽"を賭けようとする、至高の姿を描いた、三島由紀夫の晩年の名作「豊饒の海(一) 春の雪」

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私の三島由紀夫との出会いは、彼の「金閣寺」で衝撃を受け、それからというもの「仮面の告白」「潮騒」「午後の曳航」「鏡子の家」などと読み進めてきて、最後に「豊饒の海」四部作へと辿り着きました。

この三島由紀夫の晩年の大作「豊饒の海」四部作中の「春の雪」と「奔馬」の二作品は、一つのテーマの表と裏の関係にあり、「春の雪」の主人公の松枝清顕が夭折し、仏教の輪廻転生によって、次の時代には「奔馬」の飯沼勲に生まれ変わるという手続きを、三島はとっていますが、この二作品は切っても切れない、三島由紀夫という作家の"情念の核"を成す部分だと思っています。

この「春の雪」の主人公の松枝清顕は、死の雰囲気に捉えられたまま成長し、18歳ですでに人生に倦怠し、自分の棺を夢に見るような青年で、そんな彼に伯爵令嬢の綾倉聡子への愛が、信じられるわけがないと思うのです。

しかし、聡子と宮家との婚約が、勅許によって確定し、彼の恋の成就に、「絶対の不可能」という白刀が突き付けられた時、彼は恋の歓喜の「暗い、危険な、おそろしい姿から目を離すことができなくなる」のです。

つまり、絶対的な禁止に対する、極限的な違反によって、彼はその歓喜の絶頂に達するのだと思います。
それは、三島の華麗で論理的な次の箇所「禁忌としての、絶対の不可能としての、絶対の拒否としての無双の美しさを湛え」た聡子と、清顕の純潔とが結び付く時、「誰も見たことのないやうな完全無欠な曙が漲る筈だった」に、鮮やかに表現されていることからも推察できます。

そして、この「春の雪」の松枝清顕が、宮家へ輿入れが決定し、勅許まで出た綾倉聡子と密会するストーリーは、表面上は一見すると、あたかも陳腐なメロドラマのような形式を、意識的にとった姦通小説の体裁を装っていますが、しかし、ここで重要なのは、宮家へ輿入れのため勅許が下ったのを、敢えて犯そうとする主人公の常軌を逸した"不忠"とも思える、「優雅というものは禁を犯す」のだと表現されているように、雅の極致にて"冒瀆の快楽"を賭けようとする至高の考え方なのだと思います。

聡子が禁裡に近い人になったが故に、優雅であり、美しいという想念を形成しているのは、雅の源流を皇室に置く、形を変えた悶々とした、ナショナリズム的な恋心なのかも知れません。

このような、松枝清顕の信条は、別の箇所でも、「真の優雅はどんなみだらさをも恐れない」と表現されていて、松枝清顕が綾倉聡子のだしぬけな申し出に応じて、二人乗りの俥で雪景色を見ながら、初めて唇を合わせた後、聡子から恋文を受け取った時の、清顕の感想にもよく表われていると思うのです。

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