浅見ばかりではなく、男性全員逃げた方がいい女の話 - 逃げろ光彦の感想

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逃げろ光彦

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文章力
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ストーリー
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キャラクター
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設定
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演出
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浅見ばかりではなく、男性全員逃げた方がいい女の話

4.54.5
文章力
5.0
ストーリー
4.5
キャラクター
4.5
設定
4.5
演出
4.0

目次

官能的なストーリーも多い5編の短編

「逃げろ光彦」は、そのタイトルの短編も含めた5つの短編で構成されている。内田康夫と5人の女たちと副題がついているように、非常に癖のある女性5人を描いたミステリーだ。

普段、女性に積極的ではない浅見の様な純情中年(!?)のシリーズに慣れてしまうと、内田氏はあまり官能的な小説とは無縁な気もしてしまうが、この短編集では、「逃げろ光彦」と「濡れていた紐」以外の三編は、突飛なストーリー展開同様にその官能小説っぷりのインパクトが強い。

内田氏自身もあとがきで、掲載された雑誌が官能小説系雑誌だったことや、デビュー当時はチャレンジ精神でこういうものも書いていたと説明しているが、実は内田氏はデビュー作の「死者の木霊」で、冒頭からセックスシーンを描くという大胆な出発をしている。考えてみたら、内田氏が官能的な作品を描くことは、いちいち驚くことでもないし、珍しい作品でもないのだ。

官能的な三編の作品は、いずれも既婚で、言ってみれば熟女と言ってもいいような女性の話だが、故に昼ドラのようなドロドロしたものや、一見平和な家庭の主婦の内側にある燻ったメスの部分を感じて、非常にリアリティがある。浅見の作品は一番最後に掲載されているが、やはり官能的な物とは無縁の展開なので、煮詰まってしまった豚骨ラーメンのスープを飲んだ後に出された一杯の冷水の様な、爽やかさすら感じてしまう。

全員が何を考えているのかわからない「埋もれ火」

この作品は著者あとがきによるとドラマ化もしたらしいが、確かに数多くの内田作品の中でも、短編の中では映像化したくなるような展開である。

それもそのはず、作品は何となく真砂子という女性に主眼を置いて書かれてはいるものの、真砂子も、真砂子の旦那の孝之も、真砂子の浮気相手の波多野も、波多野の妻も出てくる主要人物の全員の腹の底が読めない。まさしく、埋もれた感情、火の様な思いというものが、ストーリーを思わぬ展開に導いている。

不思議なことに、真砂子をはじめ他のキャラクターの感情の動きについては、比較的子細に描かれているにもかかわらず、次の瞬間何を言い出すのか全く読めないのだ。最後はあっと驚く展開になるにもかかわらず、どこか話のつじつまがスッと合ってしまう点も見事である。

厚かましいおばちゃんの恐ろしさ

短編の中でも官能小説に属する「飼う女」と「交歓殺人」は、登場人物の女性が本当にどこにでもいる主婦であり、こう言っては何だが傍から見たらいい歳のおばちゃんなので、その大胆さと厚かましさと、ありがちな下品さが非常にリアルである。何となくこの小説の年代の、30代から40代の主婦には、誰でもこんな一面があるのではないかと、特に男性側が人間不信に陥ってしまいそうなリアルを伴っている。

この二作に出てくる女性は、浅見の母親の雪江や、陽一郎の妻の和子のような上品な女性ではない。

「やあねぇ」と「ばかねぇ」が口癖で、一見家事を真面目にやる主婦のようで、今でいえば必死にレディコミを読んでは部屋のどこかに隠していそうな女性なのだ。ちなみに、「飼う女」の芙美江が、やたらと「やあねぇ」と「ばかねぇ」を連発するので回数を数えたら、60ページほどの作品で「やあねぇ」を二回、「ばかねぇ」を四回も言っていた。これはかなり多いと言える。「交歓殺人」の伸子は、「やあねぇ」を一回言っただけであったが、割と特徴的な口癖で、飼う女の芙美江があまりに連発しているせいか、芙美江と同じタイプの女かと、少し辟易してしまったほどである。

どうでもいい口癖なのだが、この口癖がこの作品の女性たちの欲望や利己的感情を見事に表しているようにも思える。正直、やあねぇ、ばかねぇとその女性たちに言いたいのは、彼女たちに迷惑を被った人間だと思うのだが。

初々しさが頼りないが、やはり原点。

内田氏の言葉を拝借すると、この短編の「濡れていた紐」は、初期の作品のようで、初々しくて頼りないとのこと。確かに短編のせいもあるが、ややトリックなどが単純ではと思えるものの、この作品の江里子は浅見を思わせ、僕こと作家先生は、浅見シリーズに登場する軽井沢のセンセを彷彿とさせる。

ストーリー展開は全く異なるが、「逃げろ光彦」が、浅見だけではなく軽井沢のセンセがかなり事件に深入りして解決する話のため、「濡れていた紐」はその後の浅見作品でのセンセの活躍の原点と思うと、非常に興味深い作品だと感じるし、二作品を対比しても面白い。

「逃げろ光彦」は、普段の浅見シリーズにはあまりないストーリー展開だ。まだ携帯電話が普及して、大手キャリアが独自のメールサービスを始めた頃の作品のせいか、メール自体の物珍しさにフォーカスされてしまっており、メールの内容に記載された数字のトリック自体は、正直ひねりもなく大したことはない。スマホが主流になった今となっては、浅見自身がこんな内容の暗号解読に得意になっていて少し恥ずかしいなと感じていそうな内容である。

この作品の面白みは、そういった暗号より、軽井沢のセンセが口先ばかりではなく行動で事件に関わっている点や(危うく被害者になりかねないほどに)「逃げろ光彦」の意味が、もうちょっとユーモラスな意味で逃げた方がいいという事だったという点だろう。

シリアスな展開を崩さない程度にユーモアを入れたり、他の作家が絶対しない型破りをする。そういう内田氏の原点を感じる二作である。

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