昭和を生き抜いた二人の女性の強さと弱さの物語 - 笹の舟で海をわたるの感想

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笹の舟で海をわたる

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昭和を生き抜いた二人の女性の強さと弱さの物語

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文章力
4.0
ストーリー
3.5
キャラクター
3.5
設定
3.5
演出
3.5

目次

二人が歩いてきた人生を振り返る

角田光代さんという人は、女性同士の微妙な人間関係を書くのがとてもうまい人だと思う。『対岸の彼女』もそうだし、『森に眠る魚』もそう。どことなく危なげで、緩んだ結び目の糸みたいにはかなく脆いかと思えば、引っ張ることで強固になる。そういった人間関係をハラハラしながらも読み進めていくと、思わぬ世界が広がっている。まさにラストシーンの告白がそれである。

左織と風美子…二人が歩んできた昭和を一緒に振り返りながら、二人の女性の生き様に想いをはせることの出来る物語だった。人生って奇跡のようなことはあまり起こらない。タイトルにあるように心許ない小さな舟が大海に逆らえるはずもなく、たゆたっていくだけ。そういうものだと思っていた。私も左織もどちらかというと、そっちのタイプの人間。でも風美子は笹の舟であっても、「流される」のではなく「わたる」ことを選び取ろうとする女性である。物語のなかで、風美子は時にずうずうしく、時にしたたかに左織や周囲に接しているが、自分の生き方を自分で決めるという当たり前のことをしようといているだけなのかもしれない。やはり、その根底にあるものは戦時中の疎開の経験なのだろうか。

戦争が少女たちに残した傷跡

過去の嫌な出来事を忘れたいと思う人と、忘れないでそれを糧にして乗り越えていく人がいる。もちろん、前者は左織で、後者は風美子であると考えられる。でも、過去に起きた出来事で自分が良くない役割を演じてしまった場合と、自分が嫌な目に遭わされた場合でも捉え方は違って来てしまう。例えば、「いじめ」の問題について語るとするならば、いじめた側はそれを忘れてしまうのではなくて、自分がしたことを覚えていながらもなかったことにしてしまいたいというのが、本音ではなかろうか。しかし、いじめられた側はなかったことなんかにさせてたまるかという思いがある。風美子の場合、その思いだけで生きてきたのかと思いきや、料理研究家として有名になった自分の講演会に現れたかつての敵、芹沢麻理に対してなんの行動も起こさず普通に付き合うのである。「因果応報」を見極めたかったということなのだろうか。結局風美子が予想した「因果応報」はなかったけれども。それに対して落胆しないのは、やっぱりあの疎開が特殊だと思っていたのか。自分の幸せな現状に満足していたのか。言葉にできない気持ちのような感じだ。もどかしい。

戦時中の疎開は、日常と切り離された地獄だったそうだ。食べ物のことで揉め、現地の子たちにいじめられ、現地の子とだけではなく仲間内もぎくしゃくしていた。麻理や久子のようないじめっ子側はそのことに対してどう思っていたのだろうか。親もいない、先生も構ってくれない、ただ空腹を忘れるのに必死だった日々。疎開の現実と、家族と暮らした過去のどちらかが夢だと思わないと生きていられなかったと書いてあった。女の子同士の集団生活は、そのいやらしさに拍車がかかったことだろう。子どもは残酷な生き物なのだ。

それを生き抜いて、たったひとりの味方だと信じ抜いた左織と生涯を共にしていく風美子。その想いの芯にあったものは感謝か忠誠心か。

左織は風美子をどう思っていたのか

左織の人生の伴奏者となった風美子。私は女のきょうだいもいないし、義妹とも年が離れているので、なんでも相談できて、想いを共有し合える二人の関係性をすごくうらやましく思った。そして、風美子のようなバイタリティーのある女性が味方であるということは何と心強いことか。

でも、左織の娘の百々子が風美子にばかり懐いていくのを、悔しいとか気に入らないとか思わなかっただろうか。それとも、自分が持て余す娘をうまく懐柔してくれる風美子を有難いと思っていただろうか。百々子に対して、左織が普段は封印している疎開の話を持ち出すのを、娘としては腹立たしいだろうなあとは少し思ったな。説教に自分の過去を持ちだして比べるのは母親がやってはいけない過ちのひとつ。しかも、時代が違うのだから。

時代といえば、この一冊で昭和史を知ることができる。例えば、パンダが初めて日本に来たときのことや、三億円事件のことなど。ハンバーガーがまだ珍しかった頃の話を、風美子と左織の感想を交えながら読めるのもちょっとした楽しみのひとつだった。

私は有吉佐和子さんの本が好きなので、この物語を『芝桜』『木瓜の花』に似ているなと思いながら読んだ。芸者の正子と蔦代の切っても切れない関係が、左織と風美子によく似ているのだ。しかし、正子が蔦代を疎ましく思っているのに対して、左織はただ風美子に流されているような気がする。好感も不快感もなく、ただそこにいてくれる人として風美子の存在を受け入れているみたいだ。これがまさにタイトルの意味なのかもしれない。左織は小さな笹の舟なんだ。いや、人間はだれしもそうなのかもしれない。海は人生そのものなのだ。

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