夢と現実の境目がわからなくなる!不思議な読了感!
センシングという名のパラレルワールド
この作品を読みながら終始思っていたのは、映画の「インセプション」のようだということですね。昔見たことがあってその時に夢と現実の区別がつかなくなりました。
そしてこの作品の中でも現実なのかセンシング中なのか何回もわからなくなりました。パラレルワールド的な存在という意味では共通していると感じましたね。「インセプション」という名前は解説にも出てきていました。やはり!と思いました。
最後の最後に「これはまだ覚醒していないということ?」と驚いてしまうという点でも共通していると思いましたね。インセプションでもコマが回り続けるかどうかで夢か現実か区別するという方法がありましたが最後の最後の一瞬で「結局これはどっちだったの?!」という疑問を残したまま終わりましたし。
自殺未遂をした浩市のセンシングを行っているはずが、終始センシングを行われていたのは敦美だったというのは衝撃的でしたね。まさか最初からだったとは。てっきり浩市のセンシングしている中で精神に異常をきたして敦美の現実とセンシング中の世界の境界線が曖昧になってしまったのだと思っていました。最初に浩市が敦美の職場に現れたシーン、ホームパーティーに現れたシーンなど、どこからどこまでが現実でどこからセンシング中の場面なのか境界線がわからない点、読んでいて、混乱しながらも楽しめました。
幼少期の、海で溺れた出来事がキーポイント
やはりこの作品の中でポイントとなるのは敦美と浩市が幼少期に海で溺れたという出来事ではないでしょうか。話の冒頭でもその話でしたし話が進んでも何度も何度も出てきた出来事でしたし、結局浩一の存在に関してもこの出来事が重要なポイントでしたね。
また、実は敦美がセンシングされているのだという事実に私自身が気づくのが遅れた理由もこの出来事のせいでした。「浩市は助け出された」と思い込んだまま読み進めていたので気づけませんでしたね。でも確かに考えてみれば海での出来事の後に関して敦美が母に引き取られたという記述があるのに対して浩市に関しては父や親せきに引き取られたなどの「浩市のその後」に関しての記述がまったくなかったことがヒントでしたよね。現実ではなかったですが敦美と浩市が普通に接しているシーンはありましたがどうやって二人が再会したかとかの記述もなかったですしね。
私自身は相原と敦美の会話で相原が「その話に続きはあるのではないか」というような発言を読んだときに、もしかして浩市はこのタイミングで亡くなったのでは?という疑問を持ちました。でもそうなると敦美がセンシングをしているのはいったい誰?という疑問を持ちつつも敦美の夢とも現実ともつかない生活のことを考えると、もしや昏睡状態なのは敦美なのではと薄々感じることができました。この時点では確信は持てませんでしたが。
浩市が亡くなっていないとすればもしかして敦美のセンシングをしているのは浩市なのでは?と色々な予想をすることができました。でも、はずしていたとしても自分なりに色々なすりをしてみることができるのもミステリーの魅力ですよね。
胡蝶の夢という作品
海辺のシーンと同様に作品の中で何度も出てくるのがこの「胡蝶の夢」の話でしたね。
「蝶になった夢を見ている人がいる。だがそれは、蝶が人になった夢を見ているだけなのかもしれない」この作品にドンピシャ過ぎて感心しました!
この話が何度も出てくる理由としては、センシングをしているうちに夢と現実の区別がつかなくなるということが伝えたいのだと思い込んでいたのですが、浩市の自殺の理由を知るためにセンシングしていると思っていたら実は自殺未遂をしたのは敦美で、センシングされているのも敦美だったということを暗に示していたのですね。
最初はちょっとした表現として出ていると思ったのですが思いのほか重要な単語だったわけですね。もはや胡蝶の夢というタイトルでもいいのではと思えるほどぴったりでした。
フィロソフィカル・ゾンビという存在
途中に出てきたこの言葉。「実際に存在し、人格を有している人物たち以外の、意識の中での登場人物」のこととありました。この言葉に関してもなぜこうもキーワードのように出てくるのかと疑問を感じていましたが、当然のように存在すると思っていた職場での真希・沢野や杉山、海辺で出会った少年少女は敦美が作り出したフィロソフィカル・ゾンビということがわかり、そこにつながってくるのかと納得しました。
しかし、いくら自分の若いころや存在してほしい浩市の存在がフィロソフィカル・ゾンビとして見ることができると言っても、現実との違いはそんなに曖昧になるものだろうか?という疑問も少しだけありましたね。実際に存在しない人物をこんなに鮮明に意識の中に存在させることが可能なのでしょうか。また、相原が何をどう操作したのか中野泰子として敦美の意識に侵入してくるわけですが、そのようなことがどうやってできるのかが明確にされていませんよね。相原が泰子として電話をかけるという行動をセンシングで行うことが可能ということですかね?
まあその点だけ少し疑問ではありましたが、フィロソフィカル・ゾンビの現実世界とのつながりはお見事!という感じでしたね。騙されました。
主人公の職業について
主人公の敦美は職業が漫画家でしたね。私としては読んでいる途中でこの話は主人公が漫画家であることに何か深い意味があるのだろうかと考えながら読んでいました。(本筋とは少しずれますが・・)最後の最後には主人公の職業が漫画家でなければいけなかった理由がわかるのかなと思いましたが結局はそんなに関係なかったのでは、というのが感想です。関係あるとすればプレシオサウルスの絵を描いたというところだったのかもしれないですがまあ、将来漫画家になるわけではなくても成り立つしなあ・・と。
後輩や支えてくれた人との関係性とか、仕事がうまくいかないとかファンの存在とか、そのへんの話に関しては正直別の職業でもいいのではないかと思いましたね。まあだからこそ漫画家でもよかったのですが。本を読む楽しみとして自分が経験したことない仕事とか周りにこの職業の人いないっていう職業のことがわかるっていうのがひとつあったので、今回漫画家ということでこの職業が話にどのようにかかわってくるのか楽しみでした。その点だけでいうと、漫画家でなくてはいけない理由が何かあればうれしかったですね。たった一つ大きな疑問だったのがそれでしたね。
「このミステリーがすごい」大賞の作品はたくさん読んだことがありますが、個人的な感想としては「当たり外れが多い」でした。この作品は選考委員会が満場一致したと解説にも書かれていましたがそれにも大いに納得できる作品だったと思います。
センシングで昏睡状態の人の意識に介入していくという技術に関して、胡蝶の夢・フィロソフィカル・ゾンビという存在が最後にきれいにつながった点、読み終わった後にとてもすっきりとしました!
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