怪談のオリジナル
この本との出会い
私は以前夢枕獏の作品を読んだことがあります。その時は、あまりそういう小説を読まないせいもあるのか、夢枕獏のエロい文章に途中で嫌になりながらも、やっぱり最後まで読んでしまった記憶があります。
私はあまりネット検索をしないのですが、この夢枕獏が一体全体官能小説家かどうなのかは全く知りません。でもあの文章を書いていた作者が描くホラーは何といっても興味津々です。それが、私がこの本を選んだ理由です。
エロいだけではない。
はたして、夢枕 獏は私の期待にしっかり答えてくれただけでなく、今までエロいおっさんなんだろうと思っていた私の夢枕獏への第一印象もすっかり変わりました。とはいってもエロいおっさんという印象はそのままなのですが、エロくて面白くて、親しみやすいおっさんに変わったということなのですが。
文字で書くと、あまり夢枕獏への私の印象が変わったというようには見えませんが、これは相当大きな違いです。
私は本を読む時、それが面白いかどうかを(笑えるかどうか、と、興味深いかどうか。)特に重要視しますし、(世の中のほとんどの人が、それを重要視しますね(笑))人付き合いをするとき、その人がどれだけ親しみやすいかを重要視します。
つまりこの本は私の中で、ただのエロいおっさんだった夢枕獏なる人物が、完全にこれからの本選びの時の範疇の人になったのです。(それにしたって、夢枕先生にとっては別になんの変わりはないですね。)
ともあれ私はこうして、「奇譚草子」に、「夢枕獏」に出会いました。
小話がぎっしり詰まった怪談集
この本は大きく分けて10個の見出しを目次で見ることができますが、これは作者が大きくジャンルごとに分類した見出しで、その一つの見出しの中にも多数の小話を収録しています。
初めの「奇譚草子」はあちこちから作者が聞いた話、どこかで読んだ文献から、作者が抜粋して、自分の文で紹介しています。
目次で二つ目にある「逆さ悟空」はちょっとメルヘンチックでかわいらしい、夢枕獏の体験談、その後、4つ目の「おくりもの」では会話調でつづられるシュールな詩のようなものが続いています。
その次は「暗い優しいあな」です。
これはタイトルを見たとき、そしてこの作者のことを考えたとき、イヤーな予感がしましたが、読み進めて、やはりかなりフォルムを崩してはいるものの、やはり私はこれはあの穴だろうと結論付けました。女性の あな です。もしくは私がかなり屈折しているのかもしれませんが。
書きたかったというだけで、怖いといえば怖いけれども、結構どこにでもあるような怪談を あな に結びつけています。このアイデアはとても好きです。
「せつなくん」辺りから宗教的なそれを小ばかにするような話がいくつか続き、「ヒトニタケ」で、背筋をヒヤッとさせ、「ふりんのみち」と「ふたりの雪」で読者にいろいろと連想させます。
文中の空間は安らぎをくれる
もう我慢できずに、あらすじを大まかに紹介しようと思ったところで、少し自分の感想も入れてしまいましたが、この本は実はそういう場所がたくさんあります。
文章の中にちょっと空間を残しておいてくれていて、読者が自由に突っ込めたりできるようになっているような気がするのです。それが、さっき私が言った、親しみやすさにつながっているのだと思います。
大きな見出しの冒頭に作者の声が入っているものがあります。雑誌に連載をしていたようなので、それに対する寄稿なのだと思います。
その中で、何度か作者自身が「これは人から見聞きしたり、どこかで読んだものである」と断っているのですが、いろいろな怪談話を虱潰しに読んでいる私にとって、この最初の見出しに出てくるいくつもの小話はほぼすべて、聞いたことのあるものです。「誰かから聞いた話だ」と断っておいて、そのちょっと先の作者の寄稿でやっぱり読者から指摘を受けた、と問題になっていた「何度も雪に中に埋めた死体」に関しては、読者の指摘している海外の文献なんて出す前に、北海道の牧場で昔愛した女性の遺体を知らないうちに掘り返していた友達の話、という稲川 淳二の怪談話を彷彿とさせます。
これは時系列的にいくと、稲川淳二が夢枕獏を読んでいたと考えるほうが自然ですね。
溢れ出るオリジナル溢れ出る
それにしても、私が驚いたことは、これらすべて、どこかで語られているのを聞いたことがあるような怪談話を、この作者が文にすると、あたかもこれがオリジナルなのだ、と感じてしまうことなのかもしれません。
これは私にとっては、外ならぬ「親しみやすさ」のせいだと思っています。それは飾られていない、オリジナル然とした文章だからだと思うのです。
それは例えばこういうところから見ることができると思います。
375ページの「夜になるとやってくる小人の話」という話の中に、「小人が布団の端をつかんで、すっ、すっ、と上に持ち上げている。...いつの間にかキクオも眠ってしまう。話といえばそれだけである。」という部分に対して、これは夢枕獏がキクオという友達から聞いた話ですが、その話をしてくれた時のキクオの「すっ、すっ、」といっている感じと雰囲気をよく覚えている、と結んでいます。これ以上ではないのです。お話としてはこれだけ、小人が出てくるだけで、祟りがあったり、そのあと何かが起こったという話ではないのです。それで目の前でそれを怖そうに話したキクオの表情を鮮明に覚えている、これはオリジナル性が高いと感じました。飾られていないのです。昔の記憶というのは、その出来事の根幹より、こういうその時の小さな表情、出来事の脇で同時に流れていた音楽や、視覚的な情報からより、鮮明に思い出すことができるものではないでしょうか。
私は子供のころ、お母さんに説教されている情景が、壁にかかっている、もっと幼いころ保育園で描いた絵が窓からの風でなびく映像とともにいつも思い出されます。(説教の内容は思い出せませんが(笑))
このように親しみやすい、すんなり私に入ってくる文章がやはりこの怪談のオリジナル性を高めているのだと思いました。
なんか書いてみたい気分にさせてくれました。
この本は私にとって、とても勉強になりました。この本には怪談、怖い話、という一貫したテーマがありますが、実に様々な種類な書き手の手法を読むことができる作品だと思いました。詩であったり、会話仕立てであったり、手紙風であったり、日記風であったり。
私は本を書く予定はありませんが、うまい書き手さんが書く本は考え方を教えてくれると思います。ちょっとエロい傾向はありますけど、手紙や日記を書くときに、文章を作ることができるのです。もちろん本をよく読む人は語彙が多いからそれだけ、日記や手紙を書くと奥行きのあるものが書けると聞いたことがあります。
でもやっぱり堅苦しく書かれた文章や、プロっぽい絶妙な書き出しなどは、完全に真似をしない限り、うまく自分で使うことはできませんし、真似だと、他のところの文章との対比ですぐに気づかれてしまいます。
この奇譚草子を読んで、どこを真似したいとか、そういうことではないのですが、もっとカジュアルな気分で書く気になったり、なんか「こんな風に肩の力を抜いても、怪談のようなものは書けるし、実際本当に怖いし、それにちょっとユーモアを加えるだけで、怪談としてはちょっと物足りないような作品でも、しっかり読み物として成立させてしまうテクニックを垣間見せていただいたなあ」と、自分も何かを書いてみたい衝動に駆られる本でした。
オリジナル性のせいかもしれません。
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