丸くなるな。星になれ。絶対的不安をもたらしてくれたマンガ。
ジャンプのギャグを振り返ろう(30代後半向け)
その頃、私はジャンプ世代ど真ん中ではなく、高校生で少々トウのたったジャンプ購読者であった。
しかしその分、ジャンプのギャグをたっぷり浴びてきた自負もある。
昭和50年代後半生まれくらいだと、ジャンプのギャグマンガで言えば「燃える!お兄さん」をはじめとして、「ぼくはしたたか君」、「ボンボン坂高校演劇部」、「究極!変態仮面」など、古いこってりしたギャグの残り香を楽しめた時代。
しかし時代はだんだんと、「王様はロバ」などでジャンプギャグマンガをシャープなものにしていった。そして「すごいよ‼マサルさん」の登場によりジャンプのみならずギャグマンガはいきなり洗練され、まるでモテるお笑い芸人のようにお洒落なものになった。個人的にはうすた京介をギャグマンガ界のキリストと呼んでいる。
(ちなみに、珍遊記はギャグマンガから除外とした。あれは画太郎先生の生きざま記録だ)
古く、ギャグマンガは冴えない漫画家のおじさんが面白いことをこれでもかこれでもかと重ねてくるものだったのに、下北あたりのお酒とか飲まないアート系若者が、肩の力を抜いて描くものになったのだ。
そんなギャグマンガ混沌期、マサルさん的ノリツッコミはギャグマンガのみならずストーリーマンガでもエッセンスとして使われるほど浸透した。いわんや、マサルさん的マンガの大量作成はすさまじいものがあった。
しかし、模倣品でそのセンスに敵うと思われるマンガは一切出なかった。その後ジャンプのギャグマンガとして成功したのは「花さか天使テンテンくん」「ボボボーボ・ボーボボ」など、小学生の心をスパッととらえる従来のジャンプギャグ。唯一「幕張」が善戦していたものの、大枠としてはうすた京介作品対従来のギャグマンガという対決が続くかに見えた。(ノルマンディーひみつ倶楽部のことは忘れてあげることにする)
そして、ギャグが停滞したジャンプに、流星のごとく現れたのが純情パインであった。
受賞はしたけどジャンプ恒例の打ち切りの憂き目に。
私は純情パインが第52回赤塚賞準入選を受賞した際、それを実際の誌面でリアルタイムに見ていた。その時のうすた京介の評価が忘れられない。
というより、正確には他の審査員との温度差がスゴイのだ。
うすた京介がものすごい面白がってる。しかし、他の審査員は渋いコメント。というか、できれば落としたがってるのがありありと出ている。そんな感じ。
まさに他の審査員の反応通り、純情パインは13週にて、ジャンプにおける最短ラインの打ち切りとなる。(ちなみに、超最短は8週の打ち切り作品がある)
もちろん、私も読んでみた。それは確かに高校生の私ですら、ついていくのが困難な世界だった。
早すぎて狭すぎた作品、純情パイン
尾玉なみえは天才であるとは思う。しかし、人気は出なかった。それはいったいなぜなのか。
絵はもちろん、うまくはない。しかし独特の質感はある。
梅津かずお的と言ったら言い過ぎだろうか。萩尾望都的と言ったら言い過ぎも言い過ぎだ。
しかし、それに通じるような少女マンガ的キャラのかわいさと、画面のやたらな黒さが目に付く。
まあそもそも、「とっても!ラッキーマン」を掲載していたジャンプに、絵のうまい下手を言われる筋合いはきっとない。絵は下手でも時代に合いさえすれば人気は出るはずなのだ。
ギャグの毒はとびぬけてキツイ。しかし、実は小学生にキツいギャグではなかったりする。
一話目から遠慮なく投下された体臭ネタ、もっと的確に言えば腋臭ネタだが、この問題がセンシティブに感じられるのは実は中学生以上~なんなら大人だったりする。子どもは匂いについてそこまで敏感ではないので、大人の真似をして臭いと言っているだけである。
むしろ、子どもたちはそんなネタを大人びていると思い多用する。そのため、別に体臭がない子供でも、臭いといういわれなき理由でいじめられたりするのだが・・・それはまた別の話。
ともかく、小学生の子どもたちからすれば、それが悲しい、しんどいギャグだと思うことはないだろう。ただし、自分の身の丈にあったギャグでもまたない。他人事のギャグである。
絵の可愛さに注目し、ページをめくった子どもからすれば、分からなすぎるギャグの連発で早々にページを閉じてしまうのも仕方のないことである。
では、当時の私のような中学生以上のジャンプ読者からすると、これもまたニーズに合わない。絵はポップでかわいらしいのに、やってる内容は思春期の青年の悪夢に出そうなギャグである。
「ピューと吹く!ジャガー」と「無頼男」と、誰にも言えないが「りりむキッス」を読むためにジャンプを買った高校生男子は、絵本も悪夢も必要ないのでこれまたジャンプを放り投げてしまうのだ。
しかし、メルヒェンな悪夢というジャンルは、実はニーズの少ないものでは決してない。にらみつけるようなの子供の絵が有名な奈良美智の画風も、言うなれば悪い夢系絵本の世界である。しかしそれは私のようなアートを知らない人間からも認知され、評価されている。
純情パインは早すぎたのだ。そして、場所を間違えた。
ジャンプという大海ではなく、琵琶湖、なんなら猪苗代湖くらいの規模で公開することこそ、純情パインが輝けたのではないか、私はそう思っている。
もし純情パインが今のマンガだったら。
純情パインは第52回赤塚賞準入選作品だ。由緒正しきギャグマンガの登竜門であり、赤塚先生の名を関したジャンプの看板である。
そこに純情パインが食い込んだのは、やはりジャンプのみならず、ギャグマンガという世界が停滞、そして過渡期にあったからだろう。
今、ニッチな漫画を発表したければ、Pixivを使うという方法はあまりにも一般的だ。
それにより実力のある若手がデビューしたり、実力よりも内容の話題性が勝っていたとしても、少なくともその作品については商品化されたり連載されたりする。他にもTwitterやInstagramなど、発表の場はいくらでもある。
もし、仮に純情パインがネット発のマンガだった場合、「このマンガがやばい」というキュレーションに取り上げられまくり、尾玉なみえのスマホが破裂するほどバズる様が容易に想像できる。そしてちょっと訳ありな編集プロダクションから声をかけてもらい、謎のルートで書籍化し、「このマンガがすごい!」にノミネートされるのだ。
しかし、純情パインの発表は2000年。ギリギリ20世紀だ。その頃はまだ、スマホはおろかパソコンを持っていない人の方が多かった時代。マンガを発表するならマンガ誌というのは至極当たり前だっただろう。
そして、それをジャンプが通したのは、やはり「風」を起こしたかったからだろう。純情パインは良い、悪いを超越して新風ではあった。そしてジャンプ編集者という強敵を前にしても尖り続け、丸くなることなく、最終的には流れ星として消費されてしまった星だった。
尾玉系を忘れない。
しかし、私のような高校生読者はいまだに純情パインの衝撃を覚えているし、その後の作品もチェックしている。あれほど見ていて不安になるマンガはなかった。最近の、そんじょそこらに乱立するハード実体験系とはわけが違う。創作で、ギャグで、きっちり嫌な気持ちにさせてくる。ギャグマンガの一派として、「尾玉系」と名付けてしまってもいいくらいの独特の感覚だ。こんなマンガ、他にない。
純情パイン自体の評価は低かったかもしれない。しかし、スタイリッシュか古めかしいか、どちらかの安定に浸っていたギャグマンガユーザーを脅かしたことこそ、純情パインの最大の功績なのではないだろうか。
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