正しい妖怪とモテ中年で綴る、新昔話。
これぞ妖怪の正しい姿。
妖怪、と言えば日本人である我々はすぐに鬼太郎の世界観をイメージするはずだ。
しかし、アニメ鬼太郎は実はすでに妖怪ではない。アニメだったとしてもノイタミナ枠でやった「墓場鬼太郎」の方だ。
妖怪には目的はない。妖怪に意思はない。
実に大自然に近い、事象と命の境目があやふなやもの、それが妖怪。
蟲師では「蟲」という存在がそれであるが、その手加減の無い目的のなさや理不尽さにしびれる。妖怪ってこうでなくっちゃ!
また、古代日本(古事記の時代)では、命の誕生を「蒸す」と表現していたという説がある。湿度のある場所に現れ出る・・・というイメージなのか。ページ中に漂う霧の湿り気と「むし」という響きは、部屋のすみっこでなにか不思議なものが産まれて蠢いているような印象を与える。
時代設定のあいまいさもまた大変よろしい。江戸から明治までの謎の時代、といった設定らしいけれど、こちらとしてもバキッと「〇〇時代」と言われるわけにはいかないんだ。言われた瞬間に余計な思考が入ってしまう。そこはハッキリしてほしくない。
どこまでもあいまい、なにもかもふんわり。それでこそ正しい妖怪の背景だ。
ギンコ、モテ中年説。
しかしそれにしても、特に後半のギンコはどう考えてもブラックジャック(以下BJ)だ。
いや違いはある。BJほど暑苦しくないし、BJほど悩んでない。
なので、正確にはストーリーテーラー回で、直接執刀しない回のBJである。
なぜなら、ギンコは責任を負わないからだ。
ギンコは蟲という存在のカウンターとしてとても正しい。蟲を倒そうとしない、蟲の被害をガードしない。せいぜい困っている人に忠告したり、ちょっとだけダメージを軽くしたりするくらいだ。そしてその結果、そのまんま大ダメージをくらう人もいるがそれでギンコが苦悩したりはしない。
BJは医療の限界を超えようとする、あるいは超えられなくて苦しむが、ギンコは元から張り合う気がない。言うなれば蟲と共存するのがウマい人、くらいの立ち位置で佇んでいる(それを蟲師というのだろうが)。しかしそんな不確定な立場の人でも、蟲に困っている人たちはギンコに助けを求める。ギンコはそれに能う限りは応える。
ものすごいもの知りで、人生の苦みも知っていて、逆らえない運命があることも分かっていて、それでもたまには人助けをする。そして、なにより自分も弱いことを隠そうとはしない。
・・・これ、「モテ中年」要素じゃないですか!
世の中にBJ萌があるのは知っていたが、なにせBJは責任感の強い人なので正直たまにめんどくさい。
それに引き換え、ギンコのモテ中年は完璧だ。その上くわえタバコに猫背、そして巻の後半になると出てくる「~ますぜ」口調が更に場末のバーにいるイケメンくすぶり親父を彷彿とさせる。
ギンコの実際の年齢はこの際関係ない。訳知り顔な苦み走ったオーラに、女子はノックアウトされる。
蟲師は、妖怪とモテ中年の二本柱で立っている。そりゃあページもめくりたくなる。
65歳母、騙される。
ところで、ウチの65歳の母が蟲師を読んだらしい。
曰く、「絵もなごむ感じだし、昔話を読むようで構えず読めるわ」とのこと。
騙されてる!
やはり65歳に、この近代的な絵のタッチを理解するのは無理なのか。10年前の作品とは言え、相当今っぽい線ではあると思うのだが。色の塗り方は回を追うごとに水墨画のようににじんでいくためご老年には見やすいものだろうが・・・
また、昔話ほどハードでもない。別に蟲が手加減しているわけではないが、結果として人間側が辛くない着地点に収まることも往々にしてある。
本物の妖怪ではこうはいかない。台風のような暴虐、日照りのような冷徹、人サイドの事情はまったく考慮しないのが妖怪だ。昔話で言うならカチカチ山や因幡の白兎あたりが本当のところ。
しかし、蟲師は例えるなら桃太郎や金太郎。目を覆うような惨状はあまり起こらない、ソフトな昔話である。
それらを理解した上で優しい昔話みたいだわ~と思っているならいいのだが、「たまにはこんな怖い話もいいものね」などと思っているならそりゃ勘違いだ。
蟲師は超近代的妖怪話だ。今風の漫画家さんが妖怪を解釈してみたら、という実験的な漫画とも言える。
閉鎖されたムラ社会や因習などを扱っているということはあるが、それもどちらかと言えば「昔の人ってこんなこと気にしてらしいよ~」という若者の感性だ。ガチの昔話であれば大前提すぎて、説明もなく流している部分だったりする。悪いタヌキを殺して鍋にしようという感性は、現代日本に置いて野蛮かつ非情である。その部分の葛藤シーンだけでも数ページ稼げる。が、本物の昔話ではページをめくったらあっさりすでに鍋になってる。
蟲師は昔話の要素を取り入れた、現代のマンガなのです。
噂話から始まる、新たな昔話。
ただ近代的解釈の妖怪物語だといっても、それが全体の魅力を損なうことはない。
昔はそうだったんだってさ、聞いた話だけどね・・・
実に妖怪の話をするに相応しいスタンスではないか。
現代から遠く、妖怪の姿に想いを馳せてみる。そんな見せ方は、なにか分からないあやかしを表現することに成功していると言える。
ぼんやり、ふわふわ、多分そうらしい・・・
だからこそ蟲は不気味で、それなのに本当にいる気がしてしまうのだ。
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