誰も責められないリアルな夫婦の破局
いつもの朝からずれている2人
この映画はいつもの朝から始まる。もっと寝ていたい母親をふざけ半分で子供と起こす父親。起こされて真剣に苛立っている母親の顔がリアルな始まり方だった。その後も急いで仕事に出たい母親と、いつまでも子供と遊んで片付かない夫。オートミールをふざけて食べあっているところは、楽しそうな子供を尻目に「片付けるのは私なのよ」とイライラとつぶやく母親のこの顔を見て、わかるわかると感情移入しない母親はいないと思った。その忙しい朝の間中、母親は父親の顔を一切見ない。その仕草からもこの2人の隠れた危機を感じさせた。
家族の飼い犬であるメーガンがいなくなったことはあまりストーリーに関係がないように思えた。でも悲しみにくれる母親に対して「鍵を閉めろって言ったろう」と責めるような言葉を不用意に吐く父親の無神経なところを垣間見せる小道具なのかもしれない。
そんな忙しい朝の中、父親が言ったセリフが心に残った。「もう大きいんだから」とふざけて遊ぶ子供をたしなめる母親に対して、「大きくなったら遊んじゃだめなのか?」というセリフだ。私も子供に対してついそう言ってしまうけれど、大きくなったら遊んだらだめなはずがない。そういう小さなことを気づかせてくれたセリフだった。
父親ディーンをライアン・ゴズリングが演じ、母親シンディをミシェル・ウィリアムズが演じている。この2人の演技がこの映画のリアリティを揺るぎないものにし、深みを増していると思う。
冷めていく妻と縋る夫
シンディの心の冷えを感じたディーンはなんとか昔の愛情を取り戻そうと色々試みるのだけど、なにをしてもシンディには響かない。それどころか、かまわれるほど嫌になっていく様子が手に取るように分かった。恐らくそれをディーンも感じているのだろう。焦るからこそ言葉遣いが荒くなり、それがまたシンディをどんどん遠ざけてしまうという悪循環にさえ陥っているように見えた。
2人の愛を取り戻すためにディーンがラブホテルに泊まろうと提案したときも、シンディは楽しげな様子ひとつ見せるわけでもなく、「行かなくちゃだめなの?」と言う。なんとか連れ立ってホテルに泊まることはできたけれど、ただお酒を飲んで酔っ払っただけで、なにひとつロマンティックな出来事は起こらなかった。またそのラブホテルのどぎつさと窓のない閉塞感が余計2人の間をこじらせたような感じさえあった。
病院からの呼び出しで先に出たシンディを追いかけてディーンはシンディが勤める病院に行く。前夜からのお酒が抜け切っていないディーンは酔っ払い扱いされ、何も話そうとしないシンディに何とか必死に話そうとするうちに大きな声になってしまった。そのうちその揉め事は大きくなってしまい、感情を爆発させたシンディはディーンをめちゃくちゃに殴る。殴られてさえも手は出さないディーンの優しさは感じられたけれど、ディーンは止めに入ったシンディのボスを殴ってしまった。このあたりの何をしてもディーンが悪者になってしまうところがかわいそうすぎて、見ていられなかった。
離婚だと言い合い、勢いで指輪を茂みに投げ捨ててしまったディーンだけど、すぐ後悔して必死に探す。その鈍くさいところは何よりもディーンの長所でもあるのだろうけど、傍でそれを見つめるシンディの目にはそうは映っていないのだろう。
この場面はディーンが痛々しく、逆にシンディの身勝手さを感じてしまったところだ。
出会ったころから破局は決まっていたのかもしれない
この映画は時系列順には進まない。出会った頃の2人のストーリーも間に差し挟まれる。出会った頃の2人は愛情溢れる眼でお互いを見つめ、笑いあっていた。お互いの環境は違ったけれど、愛情だけで十分だと心から思っている表情だった。しかしこの破局はこの愛に溢れたころから既に定まっていたことかもしれない。
医学生であり常に上を向いて生きるシンディと、家族を第一に考え仕事にそれほど重要性を感じていないディーン。しかしそれは出会った頃と全く変わっていない。ディーンがシンディの収入を当てにして仕事もしていないわけでなければ、暴力も振るわない。ディーンの人生を楽しむという長所がそう見えなくなってしまったシンディにこそ、変化があったのだろう。
出会ったころディーンがシンディにプレゼントした曲。2人の曲だとあれほどうっとりして聴いた曲でさえ、2人で行ったラブホテルでかけるとなんとも色あせてしまっていた。それを持っていったディーンの心がなんとも切ない場面だった。
しかしそういう心変わりをしたからと言って誰も責められない。付き合っていたときは好きでたまらなかったところが、冷めてしまえば見るのも嫌になってしまう気持ちはわかる。
でもどうしてもディーンが気の毒すぎて、シンディには感情移入できなかった。
ディーンの愛情の深さ
愛し合っていてもどちらかが冷めていき、それを取り戻そうと片方が必死になっても、必死になればなるほど相手は離れていく。ありふれた話ではあるし、誰しも経験することかもしれない。けれどそんなありふれた話ではあるけれど、ここではディーンの愛情の深さを無視できないと思う。
元彼の子供を妊娠したシンディの産婦人科についていき、途方に暮れるシンディを抱きしめ、そのまま受け止めて結婚しようと言える男性がどれほどいるだろうか。
ディーンが老人の部屋の引越しを受け持ったとき、その老人の部屋の壁に彼の勲章を飾り写真を貼り付け、部屋を彼の栄光で飾り立てた。そこまでできる引越し屋がいるだろうか。
医学生であるシンディに卑屈にもならず、あまり恵まれていない自分の過去を彼女の両親に堂々と話せる男性がどれほどいるだろうか。
結婚生活の間もシンディに怒ることはあっても手を上げることなどしたこともない。自分の子供でないフランキーに限りなく愛情を注ぎ、一緒に心から遊べる男性がどれほどいるだろうか。
そのディーンにシンディは愛情を少しでも返せたのだろうか。
そういったことが思い出されて、ただの心変わりというだけではつらすぎるストーリー展開だった。
ただそういう数多くの美点があっても、ただ一つの許せない欠点が全てを覆い隠してしまうという意味では、かなりリアリティのある話だと思う。
近すぎるカメラ、ぶれすぎるカメラ
この映画の欠点は、カメラが近すぎることだ。顔に近づきすぎて全体像が見えないことが多い。もっと全体を遠くから見た方が個人的には見やすいというだけでなく感情移入もしやすい。言い争っているときなど特にシンディにもディーンにも近づきすぎて、どうしても「近い!」となってしまった。
あと若い2人の場面に多かったのだけど、手持ちカメラで撮影したかのようにカメラがぶれまくる。もちろん若さゆえのもろさや危なっかしさといったものを表す演出ではあるのだろうけど、それにしてもぶれすぎて、ちょっと気持ちが悪くなってしまった。
最近「24」や「ウォーキングデッド」といったドラマとかでも、臨場感を表すときにこのわざとカメラをぶらす手法を見ることがよくあった。それなりに追うもの追われるものの切羽詰まった感じは出るのだけど、乗り物酔いに似た感じがしてしまってどうもあまり好きではない手法だ。
哀しいラストの反面、美しいエンドロール
シンディの愛を取り戻せるなら何でもすると懇願するディーンだけど、最後までシンディの気持ちは変わらなかった。シンディの勤務する病院で罵りあったときにシンディが「あなたなんてこれっぽっちも好きじゃない」と言ったあのセリフが本心なのだろう。それに対してディーンは「取り返しのつかないことを言うな」と言った。そこまで言われてもディーンはまだきっとシンディを愛していたのだろう。結局出て行かざるを得なかったディーンをフランキーが追う場面は涙腺が緩みそうだった。
ディーンが出て行くときに打ちあがっている花火の残像だけを残して映画は終わる。そこからエンドロールに入るのだけど、花火が打ちあがり、パッと光ったときの一瞬に若い2人の愛情溢れた場面が映る。その場面の一つ一つは本当にきれいだった。2人の哀しい別れと対照的な美しいエンディングに余計心が締め付けられた。
この映画は倦怠期の夫婦が見たら危機に陥るといった話をよく聞く。それよりもシンディに感情移入するかディーンに感情移入するのかで、お互いの性格がわかり、それで言い合いになるのではないか。そんな気がした。
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