手塚治虫のレアな妖怪絵が堪能できる作品 - どろろの感想

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どろろ

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手塚治虫のレアな妖怪絵が堪能できる作品

2.52.5
画力
3.0
ストーリー
2.5
キャラクター
2.5
設定
3.0
演出
3.0

目次

今まで読んだことのない手塚治虫の妖怪話

手塚治虫の作品を全て読んだことはないので他にもこういったストーリーがあるのかもしれないけれど、個人的にはこの「どろろ」のような妖怪話を読むのは初めてだった。手塚治虫といえば「ブラック・ジャック」や「ブッダ」といった、人間が生きる意味とはというようなシリアスなテーマであったりとか「リボンの騎士」や「ユニコ」というような、奥深いテーマを潜めながらもコミカルで可愛らしい絵が印象的な作品とかが有名だと思うけれど、比較的初期の作品であるこの「どろろ」にはそのような可愛らしさは影を潜め(どろろのフォルムは手塚らしい愛らしいフォルムではあるが)、百鬼丸という少年が奪われた体の一部を取り戻すために妖怪を倒す旅がメインのテーマになっている。タイトルこそ「どろろ」というものの、百鬼丸が主人公といってもいいかもしれないこの作品は、手塚作品には珍しく、妖怪がこれでもかと恐ろしく書かれている。その質感までもが感じ取れそうなリアルさは、手塚治虫が医学の知識を持っているからこそ描くことがしれないと思わせるくらいだった。内容はともかく、絵柄だけでいうと恐らく子供向けではなく大人向けといってもいいと思う。妖怪といえば水木しげるがあまりにも有名と思うけれど、水木しげるの作品を個人的には読んだことがないので(アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」はある程度マンガからデフォルメされているからここでは除くことにする)比べようがないのだけれど、あまりにもリアルで恐ろしい妖怪の描写に大人でも少し気味悪くなってしまったほどだ。

手塚作品に見る怪しいものたち

一番例えが出やすいのは「ブラック・ジャック」だろう。数々の奇病を独特のタッチで描いたあのストーリーは、時にグロテスクで時に生々しく、今回の「どろろ」に出てくる妖怪たちとつながるところがある。もちろん発行された順番としては「ブラック・ジャック」のほうが後になるため、「どろろ」で書かれた妖怪たちが「ブラック・ジャック」のリアルな描写につながったのかもしれない。
他の妖怪の描写で思い浮かべられるのは、「ブッダ」に出てくる、ブッダを煩わし誘惑しようとする数々の妖したちだ。だけど「ブッダ」に出てくる妖したちは、グロテスクな妖怪というよりはどこかしら幻想的というかエロティックささえ漂わせていることが多い。だから「どろろ」の妖怪とはまた違うのだけれど、私が想像する手塚治虫の描く妖怪というのはこういうイメージだった。だから「どろろ」で描かれている妖怪を見て少しびっくりしてしまった。

百鬼丸とピノコの違い

体の48箇所が足りないまま生まれた百鬼丸は、偶然彼を拾った医者によって足りないところを補われて命拾いする。このような展開は真っ先に「ブラック・ジャック」のピノコを思い出させる。ピノコもまた畸形嚢腫という奇病からブラック・ジャックによって命を与えられた人間だからだ。しかし彼女の場合は恨みよりもブラック・ジャックに対する愛情の方を強く表現している。逆に百鬼丸は救ってくれた医者に恩こそ感じられるが、彼を動かしているのは自分の一部を奪った化け物を倒して体を取り戻すという気持ちだけだ(時に母親に対しては愛情に似たものを感じてはいるようだったが)。倒せば手に入るものだからか、そこがピノコと百鬼丸との違いだと感じられた。
ただ庇護者がすぐそばにいるピノコよりも、百鬼丸のほうが過酷な状況に身をおいていることは間違いない。だからこの2人を比べるというのはいささか乱暴すぎるかもしれない。

衝撃的なストーリー展開

「どろろ」が発行されたのが1967年ということだけれど、当時からしてもこのようなストーリーは衝撃的だったのではないだろうか。百鬼丸の父親である醍醐が、自らの出世のために自分の生まれる子を48の魔人の化身に差し出す約束をしてしまう。そしてその子はその体の48箇所を魔人に奪われた形で生まれてくるのだ。48箇所を取り上げられた体はどんな風なのか想像さえしにくいが、産んだ母親はどれほど衝撃を受けただろう。もちろんこのままでは育たないだろうということで捨てられてしまった百鬼丸は奇特な医者によって足りない部分を補われ、成長を遂げていくというストーリー展開だ。
腕や足は義手や義足、目は義眼など、ストーリーが進むにつれ百鬼丸が背負った苦の多さがわかってくる。目、耳、口くらいは想像がついていたが、嗅覚から全く必要でもなさそうなへそまでもがなかったというストーリー展開に、当時どのような衝撃がわきおこったのか想像に難くない。今ほど障がいを持つ人たちに寄り添った社会ではなかっただろうけれど、それにしてもかなりの問題作だったことだろう。
また、手塚治虫は1976年には「MW」を世に出している。この作品も政治的社会問題から同性愛まで、様々なタブーをてんこもりにした作品だった。今読んでもかなり衝撃を受けてしまったくらいだ。手塚治虫は、可愛らしく子供向けのストーリーも達者だけれど、こういう大人向けのダークなストーリーも得意としているのだろう。そしてそれは意外にも意外ではなかった発見だった。

どろろと百鬼丸

タイトルはどろろだけれど、どろろは死んだ義賊の子供で縁あって百鬼丸と旅を共にするようになった仲間だ。どろろが百鬼丸を助けたことは(結果としては)あったけれど、ほとんどが足手まといでありながらその存在はこの作品の中では唯一愛らしいものだった。百鬼丸の奪われた体の48箇所は恐らく耳や鼻などの手に触れるものだろう。寂しく思ったり大事に思ったりする感情が最初からなかったとは思えないが、どろろの存在が百鬼丸にそのような感情を強く刺激し引き出したことは、読んでいてよく分かる。旅を重ねるごとにもちろん体の一部は戻ってくるのだけれど、それ以上に表情も豊かになっているような気がする。
ただどうしてタイトルが「どろろ」なのかが最後までわからなかった。主人公はあくまで百鬼丸だったし、“どろろ”というおどろおどろしいネーミングからいっても化け物に体を奪われた少年の名前にぴったりだったし、こっちがどろろだったんだという単純な驚きはあった。しかし、どろろが最後女の子とわかるのだけど(もう少し前にそう思わせる描写もあったけれど)、その設定はあまり生きてこなかったので別にいらなかったのではないかと思った設定だった。

ストーリーとして少し物足りないところのいくつか

手塚治虫の作品は、かなり問題を提起していたり、ストーリー展開にトラウマレベルの衝撃を受けるものが多いけれど、時に、チェーホフの銃ではないけれどせっかくの設定が生きてこなかったりして物足りなく思うことがある。今回の作品にもそれを感じることがある。例えば「どろろ」は3巻で完結するのだけど、ラストはいかにも打ち切りといった尻切れトンボ感がある。百鬼丸の全ての体を取り戻す前に話しが終わってしまうのが一番の理由だけれど、どろろともそこでなぜか生き別れるし、もう少しラストシーンは充実してほしいところだった。
また子供を差し出してまでも自らの出世を願った醍醐は、時々ストーリーで顔は見せるもののその存在感は薄く、願った出世さえしていないように思われる。また自分の欲のために子供さえ差し出すような邪悪さも作中ではそれほど感じられないのが残念なところだ。
どろろの背中に書かれた宝の地図さえ、宝は見つけられずに終わったし、あちこち消化の悪さは感じられる。
とはいえ、当時のマンガの質は決して今よりも劣っているというわけでないということを手塚治虫作品は教えてくれる。手塚治虫作品の中では一番とは思えないけれど、このような問題作を当時書いたということがすでに常人でないということなのかもしれない。

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