様々な短編を詰め合わせた豪華な作品 - いかしたバンドのいる街での感想

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いかしたバンドのいる街で

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様々な短編を詰め合わせた豪華な作品

3.53.5
文章力
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ストーリー
3.5
キャラクター
3.5
設定
3.0
演出
3.5

目次

原題「NIGHTMARES&DREAMSCAPES 1」

この作品には、多種多様の恐怖を味わえるスティーブン・キングらしい作品が全部で11作品収められている。その中には「ドランのキャデラック」や「争いが終わる時」などビッグタイトルが惜しげもなく収められており、分厚いハードカバーとはいえ中身は充実していて、一気に読んでしまうであろう良作である。またこの「NIGHTMARES&DREAMSCAPES 1」と銘打っているように、同タイトル2も存在するため、スティーブン・キング好きとしてはまだまだ読むものがあるとワクワクしてしまう。
「ドランのキャデラック」他それらビッグタイトルは分冊されているものも多いため読んだことのあるものも多かったが、それでもこのようなハードカバーを手に取ると読み終えるのがもったいないような気にもなった。
原題「Four Past Midnight」「Full Dark,No Stars」のように、日本語訳では分冊されていることが多いが、この作品に関してはそのまま日本語訳されているのもうれしい。もちろんこれも分冊されてはいるのだけど、まるまる一冊が原題のまま訳されているのを読むというのは、やはり雰囲気が味わえてうれしいところだ。

後味の悪さがキングらしい「争いが終わる時」

天才的な頭脳の弟を持つ兄の一人称で語られるこの話は、なにかしら冒頭から不吉な予感漂う話である。頭脳明晰な両親から生まれた平凡な兄と同じく天才的な弟の話は、確かにかなり興味をひく話ではある。話の初めから弟の頭の良さがこれでもかと書かれているのだけど、それがどんどん加速するにつれ崖に突っ走っていく野生馬のような印象をまとい、かなり初めのほうからバッドエンドだろうなということを感じさせる。
この弟ボビーが作った飛行機の話は実際に可能なのだろうか。時々聞く都市伝説的なもので“飛行機がなぜ飛べるのかは科学的にはっきりしていないところがある”というものがある。これもその類のものなのか、それともボビーが言うように鷹の翼のように作ればこのようなおもちゃの飛行機がこうも簡単に飛ぶのだろうか。それともリアリティあふれるスティーブン・キングの物語に飲み込まれすぎているだけなのだろうか。あまりに想像がしにくかったので夢オチなのかと思ったけどそうでないところが逆にリアルで気になった場面だった。
争いのない町から採取してきた水によって、争いは確かになくなった。しかし人々はいわゆる痴呆状態になり世の中は壊滅しつつある。その痴呆が進んでいく描写が秀逸で、気持ち悪さと同時に憐れみも感じた。そのような中、弟が無事だったのがこれまた皮肉な結末でもあると思う。

吸血鬼ものの二つの物語

「ナイトフライヤー」と「ポプシー」はいわゆる吸血鬼ものである。日本人ゆえか、それとも個人的好みなのか、吸血鬼ものにはあまり食指が動かない(村上春樹の短編「タクシーに乗った吸血鬼」は好きだけど、あれはこれとは全く趣旨が違う)。そういうこともあり、冒頭から相手が吸血鬼だとわかると一気に話に対する興味がトーンダウンしてしまう。しかしこの二つは最後の最後まで吸血鬼だということがわからない上に、ラストまで一気にひっぱられてしまう勢いがある。ホラーとしては個人的にはもう一つだけど、展開の早さと映像を見ているかのような文章力はキングらしさが味わえる作品だと思う。
「ナイトフライヤー」の最後の人を殺しまくるところは、小説よりも映画向きの内容ではないかと思った。スティーブン・キングの作品では、本で読むよりも映画で観た方が面白いかもしれないと思える作品が時々ある。これもその一つだ。あともう一つ思いだせるのは、「ランゴリアーズ」だ。「ナイトフライヤー」を読んで「ランゴリアーズ」と似ているなと感じたのだけど、「ランゴリアーズ」も映画向きの作品だと思う。
「ポプシー」は最後、グロテスクながらもなにやらほんわかした終わり方で好きな作品のひとつだ。しかしこの誘拐犯がもっと根っからの悪人だったほうが気分がすっきりしたようにも思う。だけど悪者が小悪党故の後味の悪さがキングの目論見なのかもしれない。
このタイトルにもなっている「ポプシー」の意味が分からなくて色々調べたのだけど、結局個人名なのだろうということに落ち着いた。サン・ジェルマン伯爵とか吸血鬼カーミラとか。きっとそう意味なのだろうと思う。

気持ち悪さが漂う「丘の上の屋敷」

このストーリーもキングお得意のものだと思う。さびれた田舎町でよそ者が田舎者たちを尻目にどんどん富を築いていく。よそ者である彼らのことを嫌いながらも周囲のものたちは彼らから目を離さない。この、一人が見たら1分後には村人全てに話が伝わっているであろう田舎特有の閉塞感はスティーブン・キング特有の執拗な描写でこれでもかと描かれている。もちろんよそ者としながらも富をなした彼ジョーは、なにも犯罪を犯して財を築いた訳ではない。しかし地元に長く住み着いていながらも何一つ達成できなかったことをよそ者にあっさり出し抜かれたのだから、村人たちが面白く思うはずがない。だからジョー夫婦が嫌われるのは逆恨みではないかと思えるのだけど、これまたジョーに対して同情がどうしてもできない。正直に言えば彼はともかく、彼の妻コーラが余りにも気味が悪いのだ。その気味悪さは原始的なものでないかと思わせるくらい体の中からくる不快感であり、そしてこのような描写をどうしてできるのか、どうしてここまで書けるのか、スティーブン・キングの文章力を恨む思いだった。まずコーラの人相風体を描く描写。文章にするとせいぜい10行かそこらなのだけど、その描写だけで気分が悪くなってしまった。そして短いながらも的確で、短いのに気持ち悪さを100%感じさせる言葉のチョイス(これは訳者の努力もあるのだと思う)はある意味素晴らしいものなのだとは思う。
性的虐待なども絡めてねっとりとした嫌悪を感じさせるこの話は、もう2度と読みたくない短編のひとつだ。

「いかしたバンドのいる街で」

タイトルにもなっているこの作品は、道を迷った挙句なにやら不思議な町に流れ着いた夫婦のであった世界の話である。この死んだロックミュージシャンたちが集うこの町の話は、ロックに詳しい人なら話が2倍楽しいのだと思うが、いかんせん私のロックの知識は14才で止まっており、そこまで楽しむことはできなかった。エルヴィス・プレスリーとか(彼がこの町の町長という設定は少し笑えたけれど)ジャニス・ジョプリンとか皆が知っている名前だけしか知らないのではこの物語の魅力は恐らく半減するのだと思う。
個人的にこの物語の好きなところは冒頭の、夫婦が道に迷っている描写である。夫はバックをしたり人に道を尋ねるくらいならば、森に頭から突っ込むタイプに見えたし、そういう夫を怒らせないようにしながら(自分の怒りが言葉の端々に出ないように注意さえしながら)丁寧に話す妻はとても共感が持てたからだ。そしてとことん道に迷いながらも、そのように夫を怒らせないようにする配慮をしている自分にまた腹が立っている妻の様子がとても身近に感じられた。
また夫も実はバックして帰ったほうがよさそうだとうすうす感じながらも、今寝ている妻が起きたらどんな顔をするだろうかとか、目先のことしか考えていない。とはいえバックしたほうが…などと逡巡している様子も手に取るように感じられ、この夫にも共感が持てる。まるで共に迷っているような親近感を覚えた夫婦だった。
スティーブン・キングの作品は風景や現実に起こっている周りの描写がうまいだけでなく、人物の心理描写さえも奥深く描く。だからこそすべての文章が脳内で素早く映像化されるのだと思う。
この作品に収められている短編のすべてがスティーブン・キングのそのようなところを際立たせて感じることのできる話ばかりだ。だから、次の「NIGHTMARES&DREAMSCAPES2」が実に楽しみになる作品だった。

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